5代にわたる校長たちの選択
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年7月29日】私は大学卒業する直前の1996年5月、法輪大法に出会い、修煉を始めました。当時、友人の紹介で『轉法輪』を読み、もっと早く知ったらよかったと思いました。24年間の修煉の道を振り返ると、大法を得た幸運に対する喜びもあれば、困難にぶつかった時の涙もあり、風雨の中で成長してきました。ここで長年の修煉体験を書き出し、師父の慈悲なる救い済度に感謝し、大法の真相を知った衆生の選択を書き留めたいと思います。

 一、「信仰は自由で、仕事さえよくすれば、他の事は構いません」

 1996年7月、大学を卒業した私は今の中学校に就職して教師となりました。法輪大法を修煉したばかりの私はその喜びを隠せず、上司や同僚に大法を紹介した上に大法の書籍を読ませました。当時、初代の校長が『轉法輪』を読んだ後、「とても素晴らしい本ですね。でも、要求が高すぎて、私は多分そこまでできないと思う。あなたはよく修めてくださいね」と言いました。

 私はどんな仕事を与えられても不満を言わず、真面目に仕事に取り組みました。また、毎日自ら事務室を清掃し、各グループのポットにお湯を入れるなどして、上司や同僚との人間関係もスムーズでした。周りの人々はみな私が法輪功を修煉しているのを知っていて、私は親切で、よく人を助け、そして人と争うことのない良い人だと評価してくれました。学校の敷地内で、私は学生らと法輪大法の横断幕を掲げ、穏やかな大法の音楽の中で煉功をしました。その光景はとても和やかでした。

 しかし、1999年7.20以降、中国共産党(以下、中共)が法輪功への弾圧を引き起こしました。私も上層部から法輪大法の信仰を放棄するよう迫られましたが、大法の真相を知っていた校長はただ私に「信仰は自由で、仕事さえよくすれば、他の事は構いません」と言いました。

 大法が迫害される最初の段階で、校長と副校長は圧力の中で、敢えて私と大法の資料を守ってくれました。私が何度も不法に拘留されましたが、校長は何も言わずに私を迎えに来てくれて、仕事に復帰させました。私が不法に労働教養をさせられた後、私の宿舎にあった大法の書籍を保管してくれていました。

 このような善行を行なった校長に善の報いが訪れ、2003年に昇進され、その後、何度も危機から逃れて無事でした。最近、その校長に久しぶりに会った時にも「信仰は自由です」と言ってくれました。

 二、「大丈夫です。これから安全に気を付けなさい」

 2代目の校長は元副校長です。温厚篤実な彼が校長になるなんて、誰もが予想できませんでした。彼は前の校長と重圧の中で、大法弟子の私と大法の書籍を守った義挙が福に報われ、校長に昇進したと思います。

 2006年8月、夏休み中の私に突然校長から電話があって、市内のあるレストランに来るように言いました。電話に出た瞬間、私は法輪功に関係があることだと予感しました。レストランに着くと、そこには校長と数人の学校の幹部達がいました。私が入ると、校長が私を呼んで座らせ、料理を注文してから皆と雑談を始め、私に関しては何も話しませんでした。

 食事の後、校長は私に「実は、あなたを呼び出したのは大きな事でもありません。あなたが3年生の女子生徒に大法のお守りを渡したそうですね。その中のある生徒の保護者は政府の教育委員会の幹部に告発したそうです。幸いその幹部は大法の真相を知っているので、このことを表に出さなくて済んで良かったのですが、これからは、あなたも安全に気をつけなさい」と言いました。軽く言ってくれた言葉で私はほっとしました。そして、校長先生達の選択に嬉しく思いました。

 三、「一人一人がみな真・善・忍を修めると、どんなに素晴らしいものか!」

 2007年8月、3代目の校長は全校教師大会で、上層部からの法輪功への迫害する公文書を伝えました。それを聴いている私の気持ちは辛かったのです。「前の校長たちはこのような発言はなかったが、今の校長は多分大法の真相をまだ分かっていないので、彼に伝えるべきだ」と思いました。

 会議が終了後、私は大法について簡単に説明しました。校長は厳しい口調で「上からの要求なので、その通りに実行するしかありません。これは原則的な問題です」と言いました。私は諦めず、しばらくしてから、もう一度詳しく話しました。今回は校長の態度が少し柔らかくなり、私に「あなたの人柄の評判を聞いたこともあります。法輪功が良ければ自分で煉ったらいい。学校の教師や生徒に宣伝するのはいけません」と言いました。それに対して、私は「校長先生、1+1=2は正しいと知りながら、他の人に1+1=3と言われても、それが正しいと思いますか?」と聞くと、「そうです、それは原則です。上層からの命令が間違っていたとしても執行するしかありません」と言われ、会話が平行線のままで終わりました。

 私は師父の法を思い出しました。師父は「衆生を救い済度すること、個人の向上、迫害に反対することなどはすべて、法を実証しているのです。道を正しく歩むことこそ、法を実証しているのです」[1]と語られました。私たちは法を正す時期の大法弟子で、大法を実証するのは師父に与えられた使命であり、私たちの常人社会での修煉でもありますので、大法の素晴らしさを人々に感じさせるべきです。ですから、私は日常生活や仕事の中で厳しく自分を律し、正しい道を歩むようにしてきました。一方、私は自ら校長に手紙を書いて、大法の真相を伝えるDVDを送りました。

 それから、1年が過ぎた頃、仕事を通じて、校長に180度の大反転のような変化が見られました。ある日、私に「一人一人がみな真・善・忍を修めると、どんなに素晴らしいものか! そうなると、皆が自覚的に真面目に仕事をして、私が管理しなくても済むのに」と言い、中共の組織から脱退する三退もしました。2008年の北京オリンピックの前、校長は各方面からの圧力に耐えきり、私への迫害に応じませんでした。その時、私は大法弟子を守る校長に感動し、目覚めた彼の選択に喜びを覚えました。

 四、「このような人材は必ず引き止めて放したくないのです」

 2012年新学期が始まる前、私の配置をめぐって何度も討論されたそうです。教導部では私の器具室の管理を評価し、私に対する信頼から留任する意見が強かったのです。それに対して、当時の4代目の校長は宿舎管理の仕事、特に夜の当番を私に任せようと考えていました。校長は教導部主任に「彼女に宿舎管理員を任せれば一番適任であると思う。それなら、この校長である自分も安心して眠れる」と言いました。主任は「彼女のような修煉する人には、どんな仕事を任せても任に堪えると思います」と言いました。校長は「そうですね。このような人材は他の所に移動すると、必ず引き止めて放したくないのです」と笑って言いました。

 新学期後、初めての教師会議で人員の配置を按配する時、私を女性宿舎の管理員と任命されました。会議で校長はわざわざ私の仕事振りを褒めた上で、私の異動に反対する幹部たちに古い観念を捨てるようと注意しました。実は、教師の人数が余る状況の中で、誰もが他の部門に異動したがらないのは現実です。そうなると、メンツが潰されたと思い、激しく抵抗する人すらいます。それに対して、私は留任する機会も捨て、自ら宿舎管理人の異動に同意しました。私は校長に「自分は修煉者として、仕事には貴賤がないと思います。大法の師父は私たちに『まず他の人のことを配慮して無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです』[2]と教えてくださいました。ですから、私は良い機会を人に譲ることにします」と言いました。私の選択に校長はとても感心しました。ある時、私は校長に「今、社会の各業種でも法輪大法を修煉する人を優先的に採用しているそうです」と言うと、「そうですね、わが校でもあなたのような女性の教師が5人もいれば良かった」と真剣に言いました。

 実は、この校長はわが校に来る前、中共の嘘偽りの宣伝を信じ、法輪功に対して敵対する態度で、大法の真相も聞かず、積極的に中共の要求に従って教師と生徒に真実と異なる宣伝を広めていました。そのため、明慧ネットに悪名が出されても反省するどころか、恨みによって同校の大法の修煉者を摘発して迫害を加えました。

 現在の学校に異動して来たばかりの時にも、大法の真相を聞こうともしませんでしたが、私は諦めず、チャンスを見て大法の真相を伝え続け、それに善には善の報い、悪には悪の報いがある道理を聞かせました。特に、仕事の中で、私は常に大法の要求で自分を厳しく律し、どんな仕事にも文句を言わず、真面目に取り組みました。大法弟子の言動を通じて、校長は少しずつ大法の素晴らしさを感じるようになりました。師父が語られた通り「慈悲は天地の春を溶かし 正念は世中の人を救う可し」[3]であります。

 2013年11月、国保大隊(法輪功迫害の実行機関)の隊長が全市の小中学校の校長会議で、公然と法輪功及び大法を修煉する教師を中傷しました。それについて、私は市の教育局長に手紙を送り、大法の潔白と大法修煉者である教師たちの名誉を返すように求めました。同じ時間に、地元の大法弟子と海外の大法弟子が一丸となり、真相を伝える電話や手紙が一斉に関連部門と関係者の元へと飛んでいき、力強く悪人を震え上がらせました。しかし、国保大隊の隊長は決して諦めず、私を連行して迫害を企てていました。2014年1月上旬のある日、国保大隊長はたくさんの人を率いてわが校に来て、私に罪を咎めようとしました。しかし、校長と学校の幹部たちは彼らを止めて私に会わせませんでした。そして大勢の前で私を高く評価し、私の住所も教えず、何かあったら学校側が本人に説教すると約束しました。国保大隊の隊長はぷんぷんと怒りなが去り、一件落着でした。

 その後、校長は、以前ならこのような上層からの圧力があると、あなたを学校から追い出したに違いないと言いました。しかし、大法の真相を知ることで、彼はすっかり変わり、理性的に善良を選択しました。その話を聞いて、私は涙が出そうになりました。自分が守られたことではなく、大法の素晴らしさと師父の慈悲を感じたのです。衆生を済度するため、師父は1人でも放棄されることはありません。その瞬間、私は「佛法の慈悲」についてより深く分かったようでした。

 一方、前述の国保大隊長は大法弟子を迫害しようとすることを諦めず、5月の上旬に再び大勢を連れてわが校にやってきました。結局、前回と同じ、校長と学校の幹部達は断固として学校に来ることを拒否し、私を守りました。派出所に行った学校の幹部達は私の仕事振りと人柄を高く評価してくれました。国保大隊長は私が普段外で大法の真相資料を配ったり、真相が書かれたシールを貼ったりしたことはないかと聞くと、学校の主任は「彼女は仕事が忙しく、しかも宿舎に住んでいて24時間学校を離れることはない。監視カメラを調べると分かる」ときっぱり答えました。そして毅然とした態度で、国が規定した14種の邪教の中に法輪功が含まれていないし、法律の中でもネット上でもそのような根拠が見つからないと言いました。国保大隊長は「そのようなことはネット上で公開できない」と弁解するしかありませんでした。校長と学校側の正義なる抵抗で、邪悪な迫害計画は再び破れました。

 2度も大法弟子を守った義挙で、わが校に福の報いが訪れました。2学期にわたり実りが大きく、いろいろな賞をもらいました。校長先生もとても喜んで、毎日元気で明るく過ごされました。

 2014年9月、新学期が始まってから人員削減が行なわれました。私より学歴が高い多くの教師が小学校の支援で異動されましたが、学歴が中学校基準に達していない私は留任されました。やはり校長は約束を守って、私を放しませんでした。

 五、「現在はあなたの人柄を知ったので、どうすべきか分かった」

 2019年7月、また教師の任命と各小中学校の校長が交代する時期になり、わが校に5代目の新しい校長が来ました。私は学歴のため、1回目には外れましたが、2回目の任命に校長が留任させてくれました。

 新学期早々、派出所から休暇中に私の行動を監視し、写真を撮って報告するように校長に要求しました。校長はそれに従って、同僚に私を監視するように指示しました。私はその同僚に「こんなことをすると、自分に良くないのでやめなさい。校長には私が説得します」と言った上で、校長にこれは違法行為であると伝え、そして大法の真相を伝えました。校長は「それは分かるが、上からの圧力があるから仕方がない」と弁解しました。

 仕事の中で、私は大法の要求に従い、積極的に仕事に取組み、どんな事でもどんな時でも不満不平を言わず、同僚たちとも仲良くしました。半年も経たないうちに、私の言動は校長の大法への良くない考えを変えました。12月上旬、私の地域のほとんどの大法弟子が様々な嫌がらせを受けたり、連行されたりしましたが、私には影響がありませんでした。校長が圧力に耐えきって私を守りました。政法委と派出所の人が学校に来る予定でしたが、「何かあったら私に言えばいい。彼女に会う必要はありません。ここでよく頑張っていますから」と校長に拒否されました。

 その後、校長は私に「最初来た時、あなたの事を知らなかったが、上層部から任されて仕方がないと思っただけです。現在、あなたの人柄を知って、どうするべきか分かりました」と言ってくれました。迫害に加担しようとする考えから、拒否するまで、校長の善良な本性が蘇り、正義を選択したことに私はとても嬉しく思いました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「正しい道を歩む」
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「佛性に漏れなし」
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「法正乾坤」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/7/21/408342.html)
 
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