内に向けて探すことの玄妙さを知る
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文/中国の大法弟子 

 【明慧日本2020年9月12日】以前、明慧ネットで内に向けて探す多くの交流文章を読みました。自分も同修の真似をして内に向けて探し、そして、同修の前で自分の問題を認めたりして、「謙虚な態度」を見せました。しかし最近になって、やっと内に向けて探すことのもっと深い内包と重要性を悟りました。

 私はある教育機関に就職してから、一連の「不運なこと」が起きました。しかも、すべて前兆のない状況下で起きたのです。まず、まだ慣れない状況で連続してミスを引き起こし、オーナーに目を付けられました。その後、もっとも自分が得意だと思っていた分野でも小さなミスを連発して、保護者たちに不満をもたらしました。そのため、本来、私のことを気に入っていたオーナーは、私に不満を爆発し信用しなくなりました。

 しかも、不思議に誤解を受けるような出来事も出てきました。例えば、オーナーの奥さんは私に子供たちがこの建物を離れる順番を教えてくれました。その通りに行なおうとした時、いきなり横から入ってきた一人の教師が、自分のやり方で私の代わりにやり始めました。あまりの突然のことで、それに急いでいたので、私は反対の意見を言えませんでした。その結果、オーナーの奥さんに知られ、私の所に走って来て激怒されました。その時に、その教師も怖くて黙っていました。私はその教師を見て、本当の事情を話してほしかったのですが、彼女は黙り続けました。仕方なく、私は奥さんに「次回は注意します」と口では謝りましたが、心の中で自分の責任ではないと思いました。その後、オーナーは会議で名前を出さずに、私のことを批判しました。私は本当は弁解したかったのですが、その場で釈明できず、皆の前で間違いを認めて謝りました。

 このような一連の出来事に、心の準備が出来ていませんでした。長年、仕事をしてきた自分がずっと、「上司を安心させ、優秀で仕事ができる人だ」と褒められてきましたので、今まで、このような出来事はあまりありませんでした。

 しかし、これで終わりではありませんでした。オーナーは私に事前に何も知らせず、私の1カ月分の給与をカットしました。このことを家族は理解できず、疑問を持ちました。私はすぐに、家族にうまく説明できませんでしたので、返って両親からは給料を請求するように、と圧力をかけられました。

 その時期、師父が「突然厄介なことがこんなに多くなってきたのだろうか、と思うことがあります。まわりの人に親切にしてもらえなくなったし、上司から嫌われるようになったし、家族との関係も悪化してしまった。どうして突然こんなに多くの面倒なことが出てくるのだろうか?」[1]と、おっしゃた通りのことが現実に起きたのです。

 しかし、魔難がやって来たときに、なかなか悟れないことがあります。当時、私は「邪悪の黒巣(労働教養所や刑務所)から出られたのに、仕事上でのこのくらいのことはなんでもない」と重要視せず、心性上の小さな摩擦だと思っていました。「環境が悪くなったときに自分の内に向けて探し、心性を向上させるべきだ」とは、まだ認識できていませんでした。

 その後、トラブルが絶えず増えていきました。両親が私の事と父がテレビで宣伝している商品を買いたい事で喧嘩しました。母は私に父親の多くの悪口を言い、父と離婚したいと言い出し、しかも「私を止めないで」とまで言いました。その時になって、私はやっと深刻な問題になっていることに気づいたのです。母が私の勧めを聞かないので、とりあえず、自分の事を話してみよう、と考えました。この前の仕事のミスについて、客観的な原因ばかりを強調し続けましたが、今回は自分の最近連続して起きたトラブルの中での責任と過ちを話しました。それと、父がテレビの広告商品を買うことについて、それは人のことを強制的に干渉することで、党文化の一つであり、自分にもそういう問題がある、と母親に話して聞かせました。

 私は母に「これらの事は私のせいだと思う。お母さんはお父さんが騙されるのではないかと心配して、強制的に買わせないようにし、私はお母さんのようにやってはいないけど、実際には、私もお父さんが騙されないかと考えている。実はどれも因縁関係があり、これはお父さん自身のことだから、私たちは干渉すべきではないのよ。一歩下がって言うと、お父さんが本当に騙されたとしても、以前にその借りがあったのかもしれないわ。なので、私たちはこの事で争う必要があるの? それにお母さんも使わない日常用品を多く買った時に、私にも不満があったわ。これは私が自分の観念と基準で人を測り、自分と同じように他人に要求したことで、これはまさに党文化よ。これから、お母さんとお父さんが何を買っても、私は心から反対しないようにするわ」と話しました。話しているうちに段々と慈悲心が出てきて、涙が出ました。それを聞いた母は感動して、怒りを抑えて落ち着き、「あなたの言うことを聞いて、心が大きく開いたわ」と言ってくれました。

 この瞬間、私も心の扉が開いたような感じがしました。以前、皆の前で内に向けて探すことや過ちを認めること、本当に心からそのやり方の意味が分かっておらず、過ちを認めたのは、前進するためにはまず後退するという常人のようなずる賢い考え方があってしたことです。内に向けて探し、皆の前で真心から自分の過ちや問題を認めた時に、この生命が大法に符合しているということが、今回の事で悟りました。しかし、この生命が外に向けて探し、客観的な原因を強調するばかりで、いくら常人の理に適っていても、大法の要求に符合していなければ、人を感動させられないのです。というのは、この宇宙の法理がすべてを制約しているからです。

 以上の法理を悟ったその日、一日中ずっと全身の毛穴がすべて開かれ、頂を開いたと感じて、とても玄妙な体験でした。

 2カ月近くの魔難を経て、内に向けて探して乗り越えた時に、環境がガラッと変わりました。まず、私は掃除した時に生徒が落としたお金を拾い、オーナーに渡した際、オーナーは少し驚いた様子でした。続けて雨の日に、この教育機構の建物を出た1人の生徒が傘を持っていないのを見て、私は自分の傘を彼に貸しました。この子はわんぱくで先生たちの言うことを聞かない子で有名でした。その子に傘を渡した時、彼は笑いながら冗談で「この傘、オレにくれるのか」と言いました。私は「後日、先生に返してください」と言うと、「はい」と答えました。実は私自身、彼に傘を返してもらえるとは思っていませんでした。しかし数日後、オーナーの机の上に私の傘が置いてあり、「善の行為が彼を変えることが出来た」と感嘆しました。私はオーナーにその子に傘を貸した事情を説明すると、オーナーも少し驚きました。これをきっかけに、オーナーの私に対する態度も明らかに変わり、優しくなりました。以前、オーナーに大法の迫害の実態を伝えたことがありますが、今回の件で、オーナーが大法弟子の品行を認めてくれた、と私は感じました。

 内に向けて探す意義がわかると、家庭の環境も良くなりました。以前に比べ、多くのトラブルが自分に原因があるとわかりました。例えば以前は、「家」というものはゆっくりくつろげる「港」のようなものだ、と誤解していました。ですから、家では他の家族よりもよく行なえば十分だと思って、大法の基準で自分に要求せず、やり方も常人とあまり変わりませんでした。

 その他にも党文化の強制的な要素のせいで、家庭のトラブルをもたらしました。中国の多くの家庭にも同じようなことがあると思います。表現形式で言えば、自分の観念や好み、基準を家族に要求し、強制的にやらせるか制限するかのやり方を取ります。例えば、母親は医者で、卵には栄養があると、家族全員に毎朝、卵を一つを食べさせます。私は再三「食べない。私には効果がない」と強調しても聞いてくれません。また、父親は家族全員に「国の大きな出来事を知ることができる」と、あるテレビ番組を勧めましたが、暫くして、誰もが見ていないとわかってカンカンに怒ったのです。その後、自分の内に向けて探すと、自分にもこの問題があるとわかったのです。例えば、私はいつも家族に明慧の交流文章を読むように勧め、恩恵を受けると思っています。しかし、家族たちが興味のないような態度をしたり、拒否したりすれば、怒ることもありました。そのことから、「自分が認識できたものを家族も同じように認識できるとは限らず、例え、認識できたとしても必ず実行するとは限らない」と後で悟りました。家族に明慧の文章を薦めること自体は良い事ですが、ここには党文化の強制的な要素があり、高みに立って下を見下ろすような要素もあるので、あまり受け入れてもらえなかったのだと認識しました。

 ある日、私はとても良い文章を読んで淡々と家族に話しただけですが、家族がこれをすぐ読むことになりました。修煉の中で場合によっては、特に困難な局面に直面したとき、法の要求に従った正しい悟りが大切だと体得しました。これは容易なことではありません。しかし、大きな関を乗り越えたとき、あの玄妙さや奥深い味わいは、本当に言葉で言い表せないほどのものでした。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/8/22/410813.html)
 
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