情、色、欲を放下し、至難の関を乗り越える
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年9月14日】あるとき、私は偶然にある同修と出会いました。 最初は何もかもが普通で、情も色心も全くありませんでした。その後、触れ合うにつれ、彼女は積極的に私に好意を示してくれました。 最初、私は笑い飛ばして気にしていなかったのですが、時間が経つにつれて彼女に好意を抱くようになり、無意識のうちにこれは運命なのかもしれないと思いました。「日々一緒にいると情が芽生える」という俗語があるように、色欲の心が生じてきました。修煉者としてやってはいけないことをしてしまいました。それは修煉者として最も触れてはいけないことでした。大法に対して不敬なことであることに気づかず、長い間、その思いの中に閉じ込められることになりました。

 修煉の進展につれ、師父の教えをしばしば耳にすることがあります。師父は「もう一つですが、多くの人はふしだらで、自身の修煉を厳しく見ておらず、これは皆あなたに厄介なこと、困難、ひいては苦痛をもたらし、さらには命さえ失ってしまうことがあります」 [1] と説かれました。情、色、欲のようなものは精神的なものに見えるのですが、本質的には物質であり、常人の世界での腐敗した物質であり、修煉する道の中で至難の関が横たわっていました。この乱れた世界では、本当に人を巻き込む要素が多すぎて、人が良いと思っていることは神の目には悪いことなのです。 そして、乱れた世間の誘惑に直面して、色欲心は本当に修煉者にとって大きな関です。主意識があやふやで正念が強くないと、常に邪魔をしてきます。修煉の道で繰り返し過ちを犯し、精進することも出来なくなります。しかし、師父は意気地のない私のような弟子を見捨てられずに、何度も啓発してくださいました。夢の中で私は何度か彼女の家を訪れ、さあ、帰ろうと思った時には道に迷ってしまいました。目が覚めた時に、情、色、欲に陥ってはいけないことに気づきました。この情、色、欲は人の心に取り憑き、深く魅入られることになります。しかし、それは絶対に許されない道です。私は、師父が警告してくださっている事に気がつきました。

 師父は「大法弟子よ、色欲は修煉者にとって最も乗り越えがたい関であると私は随分前に既に言いました。常人のこの情にひどく動かされています。これほどのことでさえ、自ら抜け出すことができません。当初旧勢力はこのような人が大陸の監獄に行ってはじめて改めることができるように按排しましたが、そうではありませんか? あれほど厳しい環境の下で改めるしかないでしょう。あまりに楽だからそうなったのではありませんか? 口実をもってこの心を取り除いていない人は皆自らを欺き、他人を欺いています。私はあなたのために特別な按排をしていません」[2] と説かれました。

 この乱れている世間に、高い次元からこの世に降りて来た大法弟子は、この世間の欲望や身につけた良くないものを抱えたままでは、自分の生命の本源に戻ることは不可能です。色の誘惑に志を奪われた男女の欲望は、取り除かなければ圓満成就できないのです。生命は大法の中にいれば大法に清められ、人として良くないのものを絶えず取り除いていけば、神としてのものを得ることが出来ます。人間と神の違いは、誰がそれらすべての主導権を握っているのかの違いです。人間の思想で主導すればそれは人間であり、正念と佛性で主導すれば、それは神の道に向かって歩むことになります。

 人の一念が生じると、天地はすべてこれらを知っています。他の同修も私と彼女の不正な関係を見て、様々な方法で私を助けてくれました。真の大法弟子とは大法修煉の神聖さと厳粛さを悟るべきであり、私は情、色、欲を放下し、修煉者の至難の関を乗り越え、決して色欲に溺れないようにしようと心に決めました。そして、大法弟子自身が引き受けた、宇宙から一層一層と降りて来たときの約束を果たそうと思いました。世の人々の背後にある厖大な体系と無数の衆生が救われることにも大きく関わっており、この事にどれほど大きな責任があるでしょうか。法を正す進展は最後の最後になり、自分はこのままの状態ではいけません。このまま行くと目の前に万丈の深淵が立ちふさがり、そうすれば自分自身だけではなく、自分の背後の巨大な体系にいる無数の衆生が救われないため、すべてが破壊されてしまい、それはいくら後悔してもしきれず、もう挽回することが出来ません。

 師父は「ミクロにおいても、マクロにおいても、全ての生命は地上の全てを注視しています。大法弟子の一挙一動、ほんの一念も彼らに分かっています。大法弟子が行った全ては皆、高次元の衆生の目にありありと浮かんでいます。ですから、皆さんは必ず良く行い、彼らに感服させなければなりません」[3] と説かれました。

 再び師父の教えを学んで私は深く後悔し、師父と大法に対して非常に恥ずかしく思いました。神々は色心のない常人を見たら、きっとそれに感動されるでしょう。大法弟子として、早く色心を取り除き、個人修煉の中で更に大きな一歩を踏み出すべきだ、と悟りました。修煉者として、色欲へのすべての執着を全部取り除かなければなりません。色欲の思考すらあってはならず、考えてはいけないのです。前史の大いなる願いに恥ずかしくないように、修煉者は必ず自分の修煉の道を正しく歩みましょう。

 修煉は厳粛なことであり、気を緩めてしまったら、また一部の良くない執着心が再び現れてきます。それに気づかないでいると中途半端な修煉になってしまい、一番心を痛めることとなります。いずれにしても、修煉は緩めてはいけません。最後になればなるほど、要求がますます高くなり、臨まれる事もますます高くなります。なので、法を正す最後のこの時期は、自分自身に厳格でなければならないのです。常に情、色、欲に警戒し、この億万年待ち望んでいたことを、安逸心や人心でもってダメにしないようにしましょう。待ち望んでいた修煉の機縁を台無しにしてはいけません。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『世界法輪大法デーの説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法五』「二〇〇四年米国西部法会での説法」
 [3] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年ボストン法会での説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/9/30/375150.html)
 
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