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神韻を広く伝える中で自分を修める

(明慧日本)この前同修のある体験談を読みました。同修はある常人に真相資料の話をすると、その常人は「あなたたちが夜に真相資料を配りに出るのが怖いなら、私たちはもっと怖い」と言いました。常人のこの言葉は私に目を覚まさせました。私たちの恐怖心は常人が真相資料を受け取っても怖くて見ないようにさせ、衆生を救い済度できず、かえって彼らを更に悪い方向へ押していました。

 長い間私は面と向かって直接真相資料を配ることができませんでした。最近多くの同修が常人に直接神韻の資料を配る体験談を読みました。師父は『転法輪』の中で次のようにおっしゃいました。「伝え終えてから、師はさらに『君はたくさんの執着心を捨てなければならない。そのために行脚に出かけなさい』と彼に言います。行脚は非常に辛いことで、社会の中を放浪し、物乞いをしながら、いろいろな人に出会って、嘲られたり、罵られたり、いじめられたりして、どんなことにも遭遇する可能性があります。彼は自分が煉功者であることを常に心掛け、人との関係を正しく処理し、心性を守り、絶えず心性を向上させ、常人のいろいろな利益の誘惑にも心が動じません。長い歳月を経て、彼は行脚から帰って来ます」 私は直接真相を伝えることが法を正す最後の時期に私たちがやるべきことだと分かりました。

 先日の夜、煉功する時に、私は明日から必ず直接神韻を伝えに行き、一軒一軒のお店で資料を配ろうと考えました。この一念があった時に、第4の功法を練習すると、体は突然調子が悪くなって、下痢の症状が現れました。これは旧勢力の妨害だと思い、頭の中で妨害を全面的に否定し、排除し、また師父の加持を求めました。翌日の朝起きた時、全身の痛みが激しく、体中がやけどしそうに熱かったのです。旧勢力は私たちが直接資料を配ることがこんなに怖いのです。真相資料を配る間に衆生が救い済度され、私たちの執着心が取り去られ、同時に旧勢力も解体されるからです。私は師父の説法を聞き、座れなくても横になって聞き、2日間起きられず、師父の説法を聞いたり、正念を発したり、師父の加持を願ったりして、3日目に何ごともなかったように元気になりました。

 旧勢力の妨害を経験したことから私は直接真相を伝え、資料を配る大切さが更に分かるようになりました。私は神韻DVDを持って家を出ました。一軒一軒の店で配りたかったのですが、恐怖心やメンツを重んじる心、恥ずかしい心がなかなか放下できず、一軒一軒のお店で口を開けませんでした。いけないと思ってまず買い物からやりました。小さい物を買って話を始め、「この芸術DVDを差し上げます、非常に綺麗です、是非見てください」と言って、店主はDVDをちょっと見て受けとりました。1回目ができましたから、2回目は自由自在に言えるようになりました。2回目はまた少し物を買って店主に神韻DVDをあげると、店主は嬉しそうに「ありがとう、今度来店の時に割引を差しあげます」と言いました。お店を出た後、私は毎回買い物をしてDVDを配り、お金を使ってしまったことはよくないと思い、街道に行って直接配ろうとしましたが、なかなかできませんでした。恐怖心とメンツを重んじる心で私はなかなか口を開けませんでした。2日目、3日目に外に行っても、また同じ状態でした。10枚のDVDは3日かけても配れませんでした。

 家に帰って、まずDVDにダンロードをしようと思い、無意識にある特別なDVDに気が付きました。そのDVDのしわが断続的なもので、師父は私に何を啓示していらっしゃるでしょうか? 通常、問題がある時に師父はいつも私が資料を作っている間に啓示してくださいましたから、少し考えて私は急に悟りました。私は直接配ることができなかったのですが、神韻を広く伝えなければなりません。都会では神韻DVDがたくさん配られましたから、私は農村に行くことにしました。農村はVCDが普及していますから、私は神韻のVCDを作りました。最初に私はVCDを配っていると、ある家の人は「何をしているの?」と聞き、私は「これが新年芸術ショーのVCDです、見てください、非常にきれいですよ」と言って、彼女は自然にVCDを受け取りました。今回はとても自然で、恐怖心や面子を重んじる心や恥ずかしい心がなく、衆生を救い済度する心だけがありました。私は対面がこんなに簡単なことだと初めて分かりました。その時第一念は師父に感謝し、師父は私に自信を持たせてくださいました。

 師父の按排を通して、今の私は順調に行うことができます。1週間に2、3回農村に行き、1回に60枚のVCDを持って行き、歩きながら正念を発し、師父の加持を求め、村で人に会うと、ほとんど対面で配りました。ここで例を挙げます。ある村の子供たちは学校の休みで、皆外で遊んでいます。私が子供たちに配ると、子供たちは喜んで競争でVCDを受け取りました。あるおじいさんは自転車で私を追いかけて、「何を配っているの? 何を配っているの?」と呼びかけ、私は説明をしてVCDをあげました。ある村に着いた時、外にいる人があまり見えませんでしたが、あるおじさんに遇って配った後、小路に入るとあるおばさんと車椅子に座っているお兄さんに遇ってVCDを配りました。純善純美の表紙は瞬間で彼の心を感動させ、彼は「私はこれを見るのが大好きです。そこに麻将をやっている人たちがいますから、VCDをもっとください、私が配ります」と言いました。人々が真相を知りたい表情を見て、私の心の中に師父を感謝する気持ちしかありませんでした。

 「『修は己にありて、功は師にあり』なのですから、あなたにそういう願望があれば充分です。本当にこのことをやってくれるのは師で、あなたにはとてもそういう力はありません」。(『転法輪』) 実際に人を救い済度されるのは師父です。もちろん人間の空間の中で私たちの行いは必要で、行う間に私たちの執着心を取り除かれ、修煉が向上できます。師父は私たちに縁がある人を按排し、私たちは是非毎度のチャンスを掴まなければなりません。

 この体験を文章にしたことは対面で神韻芸術を伝えに出て来られない一部の同修のためです。自分を制約せず、この限りある最後の時期に、精進していない一部の人たちにとっては、対面で神韻を伝えることは師父がくださったチャンスで、失ってはいけません。

  2009年11月1日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/6/6/202283.html

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