50過ぎで死を覚悟したが、72歳の今は健康そのもの
文/中国の大法弟子
(明慧日本)私は1995年に法輪功を修煉し始めました。修煉する前の私は、多数の病気を患っていました。
私は先天性心臓病で、心房中隔欠損症で1.4センチ欠けています。1992年に病院の先生に、あなたはもう投薬しても治らず、唯一の手段は手術しかないと言われました。当時の手術レベルは50歳過ぎの人にとって危険で、手術中の死亡率が高かったのです。しかし、手術をしないと、同様に心力衰弱のため尿毒症になり、死をもたらすことになります。あと何年生きられるか分かりません。肝臓の機能が悪く、油っぽいものを食べられず、鶏肉、魚介類、卵類、豆腐、春雨など好物ではなく、とても偏食していました。基本的に肉のない料理を食べています。腎臓も悪くて、頻尿が多く、時に泌尿・生殖器系に感染したりして、赤血球、白血球が3プラスになるときもありました。私はかつて、「私のような身体は55歳まで生きられれば満足です」と皆に言ってました。
法輪功を修煉してから、14年あまりもの間、薬を飲んだことも、病院に行ったこともありません。修煉者としての「消業」はあり、最初の数年は多かったのですが、私は全部乗り越えました。数種の持病が奇跡的に治りました。現在、私は一気に6階に登ったり、走ったり、しゃがんで地面を磨いたりしても平気です。顔の紫斑もしだいになくなっていき、顔色がとても良くなり、力持ちになりました。周りの人は私が心臓病だったとは信じていません。いろいろな料理も食べられるようになりました。小便も正常になり、数年の間に泌尿・生殖器系の感染はなくなりました。
私は修煉する前、いつも風邪をひいて、くしゃみや鼻水、発熱してから、咳が始まりというパターンで、2週間から1カ月かかっていました。1、2カ月に1回くらいのペースで風邪をひきました。現在風邪の症状があっても、長引かずすぐに良くなります。また以前は神経衰弱、頭痛、不眠症で寝つきが悪いこと、怖い夢をよくみましたが、今はベッドに入るとすぐに寝てしまいます。また、以前はとても寒がりで、木綿の服は10月から5月まで着て、リウマチを患っていると思われていました。現在、同年代より服が薄くても、冬には帽子さえかぶりません。
私は小さいときから車に乗ると酔います。特に、高級車によく酔いました。車に乗ると眼をあけられず、噴射のように、食べ物をすべて吐きだしていました。毎回、出張するときにビニール袋を用意し、食事も取らず、何時間も飢えていました。今、私は車に乗って、話したり笑ったりしながら乗っていて、よく食べるしよく飲んでいます。腰の痛い病気も1997年から1回も起きていません。
私は遺伝的に扁平足です。現在、扁平足ではなくなりました。年取った私は老眼の現象があまり見られず、針に糸を通したり、小さい字も見えます。顔にしわが少なく、同年代の人と比べると健康です。とにかく、法輪大法の健康法で私の体に現れました。若い時、私は55歳まで生きれば満足だと言いましたが、私はすでに72歳になって、元気でいきています。李洪志師父のおかげであり、法輪大法のおかげで私に命を与えてくださいました。私は心からで師父に感謝しています。法輪大法に感謝します。
数十年来、何度も政治運動、いろいろな事件、活動、仕事などを経験しました。私の経歴は比較的にドラマチックで、屈折が多くて、生きることに疲れを感じました。法輪大法を修煉した後、執着を放下し、世事に対して超然とし、トラブルに遭うと内に向けて探し、考え方が比較的に大きく変化しました。心は広くなり、平然としていて、気楽に生きて生きるようになりました。
20世紀の60年代、中共が「四清運動」を起こし、私は参与して、数人の同僚を中傷しました。法輪大法を学んで、私はその一人ひとりに対して謝罪し、公の場にも自分の過ちを謝罪しました。
以前、人に裏で悪口を言われるのがとても嫌でしたが、大法を修煉した後、裏の悪口を聞いても、気にせず自分が乗り越える関門だと認識しました。人と言い争わず、できる限り内に向けて探し、自分にある原因を探りました。
以前の私は言い訳ばかりで、頑固で、自分だけが真理を堅持していると思いました。大法を修煉した後、師父の教えを覚えて、自我の観念を捨てるようになりました。常人の理は正しいとは限らないことが認識できて、自分が以前より進歩したと思いました。
以前、普通の人なら、私の前で何を言おうと、平気で対処できますが、ただ息子はだめです。息子に対して私は「忍」ができません。法輪功を修煉し始めた後、息子が何回か私に突然怒り出すことがあり、私をとても刺激する話をして、私は我慢して聴いて、涙を流すこともありました。師父の教えに照らし合わせて、私の関門だと認識し、私が本当に「忍」ができるかどうかの試練だと考えました。ですから、私は悲しくもなく、怒らず、穏やかな気持ちで息子と話し合いました。自らの観念を捨て、息子の立場に立って問題を考え、自分のよく考えない部分を探し出し、息子に自分の過ちを認めました。
私は、法輪大法を修煉してから、心性が高まったと思っています。
1997年5月のある日、北京の十三陵からタクシーに乗って帰る途中、1台の中型バスと私が乗っていたタクシーとぶつかりました。タクシーに1カ所大きい穴ができ、私は上に投げられて下に落ち、最後に窓ガラスにぶつかりました。運転手は、おばあさん(私のこと)が怪我をし、車も損傷したという理由で相手に弁償を求めました。「私は大丈夫です。私は法輪功修煉者で師父が保護してくださっているから、大丈夫です」と言いました。周りの人が「あなたが練習している功法は本当に不思議です」と言いました。
1998年の春、私が担当した大型電気機械を試運転することになりました。晩、夢の中で病院から私の身体にある三つの問題を再検査しなければならないという通知が来ました。ただ、それらの問題は私の責任ではありません。目が覚めた後、病気には責任もあるのかと考えて、もしかしたら、師父の私に対する注意かもしれないと思いました。翌日の試運転と関係があり、施工の準備する仕事に問題があるかもしれないと考え、それらは私の責任ではないけれども、私は再検する必要があるかもしれないと考えました。
私は何度も繰り返して三つの最も心配する事項を考え出しました。翌朝、急いで施工の会社にその三つのことを聞き、やはりこの三項目はすべてやり直したほうが良いと伝えました。そのうちの二項目はすぐできましたが、最も大きい項目は間に合わず、まもなく試運転が始まりました。結局電源がすぐ切れました。でも、みんな事前の準備があって、1時間あまりで処理ができました。試運転は成功ました。設計する担当者、施工する担当者、使用者の3方はみんな大喜びました。もし師父が注意してくだされなければ、問題が起き、きっと慌ててなんにも手がつけられません。そんな多くの人の前で、きっと恥をかくと思います。
2000年10月1日、私はキッチンで二つの踏み台に乗って家事をやっているとき、突然落ちてしまって、頭が棚の鉄環に当たりました。すぐに天地がひっくりかえったように感じ、手に持っている白紙さえ見えなくなりました。すぐ座禅をして1時間後、嘔吐と下痢をし始めました。1時間後には何もなかったように平常状態になりました。こんなような事例はたくさんあり、師父の説法の時に言及したことは全部真実だということを実証しました。10数年以来、私は多くの面で大法の奇妙さを証明でき、師父が大法弟子に対しての仏陀の恩を体験しました。
自分自身が体験したことで、私は深く「法輪大法が素晴らしい。真・善・忍が素晴らしい。法輪大法は正法です」と認識できました。法輪大法は奥深いもので、玄妙で不思議の「天書」です。私は心から師父の慈悲深い救い済度に感謝します。大法弟子になることができて、本当に生涯の幸運だと思っています!
2010年7月13日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/7/6/226559.html)
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