九死に一生、迫害された女性が身体障害者に(三)(写真)
(明慧日本)24時間のうちトイレに1回しか行くことを許されず、30時間、ずっと行けなかったことも4回ありました。1カ月間お風呂にも入ってはならず、体が真っ黒になりました。
監視役の受刑者は、いつも拳で私の頭、顔、鼻、目、口を殴り、顔にはいつも青アザができ、腫れて血が流れていました。時には私の足、顔を踏み、拳で全身を殴り、昼も夜も大声で罵り、私の母と娘も罵りました。ある日、私が髪の毛を引っ張られて地面に倒れ、受刑者が私のお腹を蹴飛ばしました。
ある日、私は殴られて、気を失う直前に大声で助けを呼びました。財務課の警官・趙が来て、「窓の所に行って大声で叫んでみろ、誰も助けに来るもんか」と言いました。ある日、私の泣き声を聞いた警官は大声で「これ以上泣き続けたら、臭いズボンと靴下で口をふさぐぞ」と言いました。受刑者2人はホウキに尿をつけて私の口を拭いたことがあります。規律検査委員会の女性警官・張課長は私の状況を見に来ましたが、私が殴られた件については問わず、私に労働を強要しました。
患者を虐待する
ある日、暴行した後、警官は私に「これからはもうおまえを殴らない」と言い、本当にそれから私を殴りませんでした。話によると、外部のネット上での世論を怖がり、私が死んでしまったら責任を追及されると思ったからだそうです。しかし、私は労働を強要され、労働量は正常の人と同じで、約2カ月間、労働を強要され続けました。およそ10月中旬、私は労働の途中で気を失い、意識が回復した後は労働する力がなく人に持ち上げられて板の上に横になりました。それから数日後に、私は尋問室に監禁された。ある日、私は尋問室で気を失って倒れました。しかし、警察は受刑者に指示して私が掛けていた布団を持ち出し、窓を開けたままにしました。11月20日は冬で大雪が降っていました。私は寒さでけいれんが起き、指を曲げることもできませんでした。数日後、私は再びトイレに監禁され、その日から半年間、私は十分な食事を提供されませんでした。私は立つことができなくなり、人に頼ってようやく歩けるようになりました。しかし、監視役の受刑者は毎日私を殴ったり罵ったりし、それにまたトイレに行くことを禁止しました。
罪悪を隠すために強制治療を行う
長期間にわたる虐待、殴打により、私は頚椎、脊椎、胸椎、腰椎に損傷を受けて変形し、頭が左に歪み、歩けなくなり、一時的に上下の歯がずれて噛み合わず飲み込みが困難になり、目の視力をほとんど失い、左半身が麻痺して失禁しました。しかし、法輪功への信念は変わらず、その信念に支えられて生きぬきました。しかし、そこで労働教養所は新しい難題に直面し、それは私を捨てることができないことでした。それで、仕方なく治療をして責任から逃れることにしたようです。
2009年の春、2回目に殴打された私は、頭を上げることができなくなり、身体が曲がって、歩くときは両足が言うことをきかなくなりました。警察は私を連れて病院に行って検査をしました。診断結果、頚椎がS型、強迫性位置ズレが発生し、第三、四、五、六関節の穴が小さくなっていました。私を治療する医師の話では、筋肉も硬直していたそうです。去年の冬、私は数回気を失って倒れました。2009年12月18日の午後3、4時頃、警官は私を持ち上げて病院に行こうとしました。私は家族との面会を要求し、外部の公正な病院での検査を要求したが、拒絶され、強制的に持ち上げられて病院に行きました。病院に着いた時、警官はお店に立ち寄り、果物などの品を買っていました。誰にあげるものかは分かりませんが、おそらく医師に賄賂として渡し、診断書に偽報告を書くためでしょう。
警官は私に内緒で、私の夫と両親に電話を4回かけてお金を要求し、およそ2500元をゆすりとりましたが、領収書は発行しませんでした。今年の5月30日、満期になる前日の夜12時頃、私は闇の中でベッドの近くに人がいることに気が付いて、目を開けて見ると2人いました。私は大声で「誰? 何をするの」と叫びました。その2人はたちまちその場から逃げ去りましたが、深夜に私に何をしようとしたのか、考えるだけても恐ろしくなります。
不当監禁の期間中、家族が騙される
1年半の労働教養期間中、家族との面会を拒絶されました。2009年1月、娘と同窓生が私の見舞いに来てくれましたが、副隊長・趙麗麗は「現地の610弁公室の紹介状がないと面会できない」と言って脅しました。夫が2009年9月に面会に来た時、趙麗麗は「今はインフルエンザのため、省から規制があり、面会には省からの許可が必要だ」と言い、弟も面会に来たが拒絶されました。趙麗麗が言うには、転向するまで面会できないということです。実際は、私が迫害されて身体障害者になった事実を隠すためなのです。
(続く)
2010年9月2日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/8/11/228201.htm)
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