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90歳の母は字を学び、小さな足で元気に山を登った


文/北京の大法弟子・真真

(明慧日本)私の母は今年89歳で、1997年に法輪大法の修煉を始めました。修煉を始めた日から、母は毎日煉功場所に行き、煉功と学法に参加していましたが、字を習ったことがないので、学法する時、ほかの人が読むのを聞くしかありませんでした。このように、1年中雨の日も晴れの日も、毎日学びました。
 
  1999年7.20以後、法輪功が迫害されてから、煉功場所がなくなりました。学法と煉功の環境を失って、母は困りました。大法は人に真、善、忍を教え、よい人になるように教えているのに、こんなに良い功法がどうしてできないのかと母はあきらめることができず、家で煉功を続けました。母は字が読めないので、本を読むことができず、師父の説法の録音を聞くことしかできませんでした。
 
  2002年の夏、母は私の家に来ました。私は母にこう言いました。「お母さん、自分で『転法輪』の本を読めるようになるのが一番いいですよ」というと、母はとても困ったように「もういい、やはり録音を聞くよ。こんな年になって、読める字があまりなく、こんなに厚い本を読むのは、あまりにも難しい」と言いました。私は母を励ましました。「お母さん、気持ちがあればいいのです。『転法輪』の中に『行ない難きも行ないうる』と書いてあるではありませんか、ためしてみましょうよ」というと、母は本気で本を読み始めました。老眼鏡をかけて朝から晩まで本を読み、わからない字は私が仕事を終えて帰ってから繰り返し聞きました。それから母は妹の家に住み、わからない字は孫に聞きました。このようにして、2年前に、自分でほぼ『転法輪』を読めるようになり、今はとても流暢に読めるようになりました。
 
  母は学法するとき、とてもまじめで、毎回学法する前にいつも手をきれいに洗い、恭しく座って、両手で本をささげ持って読みました。大法の神秘はときどき母に現れました。母がいつも読む『転法輪』の字はすべてきらきら金色に光り、まぶしく感じるときもありました。
 
  去年の夏、母が私の家に来た時、生理が来て、本当に人を驚かせました。法輪功を修煉する人は皆知っているように、これは師父が母の体を浄化して、母の体を若い方向へ押しておられるのです。そのときから、母は歩くのがとても楽になった、若い時のようだと言いました。ある日私は母に付き添って頤和園に行きました。母は後山から楽々と佛香閣に登りました。後山は山の下から山頂まで高くて急な石段です。90歳近い小さな足のおばあさんが、元気に階段を登るので、観光客は皆足を止め、驚嘆しました。このことは私にとっても予想外でした。なぜなら、以前母はよく足が痛み、少し歩いても休まなければなりませんでした。
 
  母が法輪大法を修煉してから、私たち姉妹はとても楽になったと感じています。母が病気になることを心配する必要がなく、病院に連れて行く必要もありません。煉功を始めてから、母の体はずっと健康です。私たちは母にどんな栄養食品を買おうかと気を使う必要がなくなりました。人々はよく年をとるとカルシウムが欠けると言っていますが、うちの母はカルシウムを一粒も飲んだことがありません。
 
  母は法輪大法のお陰で心身ともに健康になったとわかり、周りの友人に大法の福を分かち合いたいと思うようになりました。母はいつも大法のお守りを年寄り仲間に贈り、常に「法輪大法はすばらしい」、「真、善、忍はすばらしい」を念じると体が健康になり、家族が福を受けると教えました。ある日母は大法のお守りを、梨を売るおばあさんにあげました。しばらくすると、そのおばあさんはあっという間に梨を売り尽くしました。午前中までだれも買う人がなかった梨でした。母が私にこの事を話す時、その嬉しそうな様子は、まるで母があの梨売りのおばあさんになったようでした。
 
  法輪大法はすばらしいです! 法輪大法の神秘とすばらしさは自分でやって初めて本当に体験できます。すべての子供たちが、母のため、自分のため、真に大法を知り、法輪功の真相を理解して欲しいです。人々がよく言うように、梨の味を知りたければ、自ら味わってみなければわかりません。善良な人々がみな大法の中で受益し、すばらしい未来があるように願っています。
 
2010年09月04日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/8/29/228928.html

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