日本明慧
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同修の間で多くの時間を人情の付き合いに費やしてはならない


文/中国の大法弟子

(明慧日本)われわれは常人の中で修めていて、最大限に常人社会の形に合わせて修煉しています。しかし、常人と混同してはならず、それで修煉の標準を低くしてもなりません。要求をさらに高くして、神が人の中で衆生を救う形を取るのです。

 しかし、多くの修煉者は法理において、また三つのことで互い交流して向上するのではなく、人情の付き合いに忙しく、常人の是非に気を取られています。もともと神聖な修煉の環境をますます常人向けにして、不純にしました。

 地元では以前、資料作りの拠点を運営していました。いったん同修が妨害されたら多くの同修に影響が及ぶため、同修の間の往来が少なくなりました。同修の甲さんは数年前に妨害されて拷問を受けた中でも、他の同修を裏切りませんでした。そのため、他の同修は甲さんに対する信頼が高まり、それぞれの同修は甲さんとの付き合いが多くなりました。それで甲さんも執着が生じて、自分の修煉は良くできており、同修より上にいるという心が生じました。

 同修たちは甲さんとの付き合いが増え、常人のことも甲さんに頼むことが多くなりました。甲さんは学法を重視せず、みんなを率いて集団学法もしませんでした。他の同修は甲さんを信頼していて、自分の修煉中の過ちやプライベートなど甲さんに話したことを、同修の中で伝えたりしました。多くの問題点について同修たちは法に基づいて切磋琢磨していますが、甲さんは法理上の認識を話さず常人の中の言い訳をしていました。そのほか、自分の理に合わない時は他の同修の修煉に漏れがあると話したりしました。

 他の同修の「優しい」「寛容」などは、大法弟子の中にはいるが法の中にいない修煉者に対して、自分の執着、漏れを認識させることができません。

 実は、皆は人の中で修めていて人心がまだあります。また、家族の面倒を見なければならず、適度な人情の付き合いは必要です。しかし、修煉者にとって、多くの考えと時間を人情に使えば、それは自分を常人にすることになってしまいます。常に自分を常人にしたら、必ず自分の修煉と人を救う使命に影響します。ですから、一人一人の同修は他の同修の人心を見かけたら、善意で指摘すべきで、同修が法の中で自分を正せるように手伝うべきです。これは、修煉者に対する真の善で真に責任を取ることです。また、法と正法修煉の純粋な環境にも責任を持つべきです。

 個人の現在の次元での認識ですので、限りがありますが、書き出して互いに注意を促し、共に向上したいと思います。同修からのご指摘をお願いします。
 
2010年10月04日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/10/2/230368.html

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