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同修が連行されてから思ったこと


文/中国の大法弟子

(明慧日本)先日、私の地区にいる7、8人の同修が同時に連行されました。資料拠点が破壊され、衆生を救い済度することに多大な損失をもたらしたのです。私は、とても心を痛めました。連行された同修の中の1人は、ネットを使いすぎてネット警察に察知され、家を訪れた同修達が一カ月にわたって監視され続け、行動パターンなどをすべて知られたそうです。それで、多くの同修が連行されたわけです。ここで、山東省の大法弟子に必ず安全に注意を払うよう呼びかけます。特に、ネットを使って明慧ネットなどからダウンロードする時、ダウンロードのソフトウェアを使わないで別の方法を使うようにしてください。ネット警察は、ネットを使う量によって大法弟子を割り出してしまうからです。ネットを使う数値が正常を超えると、監視されるようになり、1日何回ネットを使ったのか、さらに使った時間まで分かるのです。

 現在、他の空間にいる邪悪が少なくなっているのですが、大法弟子への迫害を緩めたわけではありません。邪悪が完全に取り除かれていない限り、大法弟子への迫害を止めないはずで、隙があればすぐ乗じられてしまうのです。

 今回連行された同修の中には、ネットの使いすぎだけではなく、子供への情を捨てきれず、安逸心が強く、良い生活を求め、恐怖心に動かされて真相を伝えず、顕示心の強い様々な執着を抱えています。さらに男女の情に動じて過ちを繰り返している同修もいました。

 ある若い女性の同修は、2カ月の間に2人の男性と交際しました。破局すると落ち込み、口では執着が取り除かれたというのですが、内心では全く違うのです。これらの同修は心を静めて法を勉強することができず、量だけを求めていました。本質から正していなかったせいで、その上、長期にわたって執着を抱えていたため、邪悪に隙に乗じられ、正法に妨害をもたらすことになりました。

 ある年配の同修は、子供への情をずっと取り除くことができず、自宅を売却して子供の所に行こうとしていたのです。しかし、そこには知り合いの同修が1人もいないので、毎日常人と接し、自ら自分の修煉に障害を作ることになるのではありませんか。しかも、子供の世話で大量の時間と精力を使い、時間が経つにつれて修煉を怠けてしまうかもしれません。子供も、自分の世話をして親が疲れるだろうと思って、考え直すように言いましたが、その年配の同修は、「私に世話されるのが嫌なの? 私が死んだらさぞ嬉しいだろうね」と怒ってしまったのです。これは、大法弟子として言うべき言葉でしょうか? 法をよく勉強せず、執着心を取り除かず、自分に無責任ではありませんか。

 もちろん、これらの人心は、修煉を通して取り除かなければならない執着心です。師父がすべてを按配してくださいますので、私達も旧勢力の迫害を承認するわけにはいきません。意識の中でも旧勢力の迫害を認めず、行動においても正念をもって制止しなければなりません。正法がすでに最後の段階に入り、師父がより多くの衆生を救い出すことを私達に求められています。自身をよく修め、正念を強くしてこそ、衆生を救い済度することができると思います。

 私達はすでに、世のすべての物が幻であることを知っており、なぜ切り捨てることができないのでしょうか。常人社会の形式に最大限に符合することを口実にして、情に動かされ、常人との区別が全くありません。大法には慈悲があると同時に威厳もあるのです。同修の皆さん、内に向けて執着を探すようにしましょう。これは、旧勢力による迫害を恐れているわけではなく、根本から否定するためであり、衆生を救い済度すること、自分と衆生に責任を持つことです。

 それと、正念を多く発することも大事です。師父は説法をなさるたび、発正念の重要性を述べられています。発正念がどれほど重要であるかが分かります。他の空間にいる邪悪は、大法弟子の発正念と師父の正法の進展につれて減る一方です。しかし、邪悪が存在している限り、悪人を操って大法弟子を迫害するでしょう。大法弟子が発正念することは、即ち邪悪を取り除き、大法弟子への迫害と全体の損失を減らし、より多くの人を救い済度することになります。大法弟子は正念を多く発するべきで、特に若い同修は普段、会社にいる時間帯に発正念ができないため、休日になったらできなかった分を補うようにした方がいいと思います。私も同じく四つの決まった時間に発正念ができない時があります。今回の事件は、損失が大きく、これからこのようなことが起きないようにします。皆さんでもっと多く正念を発しましょう。

 この瞬く間に去っていく貴重な時期に、大法弟子としての責任を全うし、威徳を立てて師父と共に、家に帰りましょう。

 次元が限られているので、同修からの慈悲なるご指摘をお願いします。

 2010年8月26日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/8/1/227593.html

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