日本明慧
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着実に修煉する(二)


文/中国の大法弟子

(明慧日本)私は何度も考えたのですが、当時、家を出なければ何の危険もなく、私は完全に家で修煉を続けられていたはずです。迫害への恐怖心のため、邪悪に脅えて家を出たのです。あの時、私と一緒にいた2人の同修も、家を出る前までは何事もなく、ただ警察が彼らを逮捕するという噂を聞いただけで、慌てて家を出たそうです。私が家を離れることを、修煉しない親友達には理解してもらえませんでした。当然、一人一人の状況は違うものです。外で良い修煉環境を作るのもかまいませんが、戻って、地元の修煉環境の中に溶け込むことができれば、それはもっと良いことです。
 
 あの時期、私は常に出国のことばかり考え、着実に修めず、迫害から逃避したい心しかありませんでした。今振り返って見ると、自分が大法のために大きなことをしたと思い込み、みんなからも私は修煉がよくできていると言われていましたが、本当に修煉がよくできていたのでしょうか? 今、悟りましたが、そうではありませんでした。私は内心から着実に自分を修めず、多くの貴重な時間を逃してしまいました。私は自分が迫害される前に、もっと着実に修め、皆からの「賛美」を受け入れなければ、邪悪に隙に乗じられるはずはなかったでしょう。
 
 ある日、私は思いました。「なぜ家を出なければならないのか? これは師父の按排なのか? 自分は今、いったい何をしているのか? 邪悪には私たちを迫害する理由はない」 私は家に戻って正々堂々と修煉すべきだと思いました。私は、自分の考えを一緒に放浪していた同修に話した時、同修は非常に反対しました。しかし、私は戻るべきだと思い、家に戻りました。戻ってから、邪悪の度重なる拷問に遭いましたが、私が家を出たのはビジネスのためだと話しました。それでこの事がうやむやになってしまいました。当時、私は家を出る必要はなかったのです。出てからかえって邪悪の注意を引き起こしたのです。
 
 家に戻ってから、修煉に精進していないと思っていたある年配の同修が私に言ってくれました。「修煉は着実に自分を修めなければなりません。誰々を見てください。着実に修めず、今は病に倒れているし、誰々は正しい修煉の道からそれていきました」 あの時の同修の一つ一つの言葉が私の心を強く打ちました。当時一緒に学法していた時、その同修は発言が非常に少なく、修煉のことで、私によく相談に来ました。今見ると、その同修こそ、本当に着実に修めている修煉者です。その同修は一歩一歩、着実に歩んできたのです。
 
 中国本土の多くの同修は協調人にとても執着していますが、そのため、師父は毎回これに関する法を説かれています。協調人も着実に修めなければなりません。宇宙の中に「協調人」という神はいません。この肩書きはよく注意しなければ本当に自分をだめにしてしまいます。当時、私はみんなの目にはどのようにすごい協調人だったのでしょうか? 結果はどうなりましたか? 自分を「住職」、「方丈」だと考えないでください。炊事係の「小坊主」が、一番修煉がよくできていることを忘れないでください。
 
 師父は佛学会と協調人に対して次のようにおっしゃいました。「佛学会はお手本でも師父でもありませんが、この形を大切にすべきです。佛学会は地区の協調を取り、より良く法を実証することができ、地区に協調してより良く衆生を救い済度することができます」「あなたの向上、あなたの圓満成就がなければ、あなたが救った衆生はどこに行けばいいのでしょうか?」(『二〇〇八年ニューヨーク法会での説法』) 師父は私たちを役人と考えておられませんが、私たちはなぜ自分が役人だと思い込んでいるのでしょうか? これは自分を欺いているのではありませんか?
 
 私は自分の体験をここに述べ、協調人になっている同修に、また外で放浪している同修の参考になればと思っています。どこにいても、外に向かって見ることなく、着実に自分を修めるべきです。時間は人を待たず、残念な思いを残してはなりません。不足の部分については同修の慈悲なるご指摘をお願いします。
 
 (完) 
 
2010年11月03日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/10/27/231562.html

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