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真剣に心を修め、着実に行う(一)


文/長春の大法弟子 一梅

(明慧日本) 
 
 師父、こんにちは。同修の皆さん、こんにちは。
 
 修煉の中で難関や、難儀に直面する度に、目の前に師父のお顔が浮かんできて、大変親しみを感じます。私は、本当の修煉とは何かについて考えました。携帯を使って、1年間真相を伝えることを通じて、やっとこの法理にについて、明確に認識することができるようになりました。中国本土の大法弟子のネット修煉体験交流会に際し、わずかな体験を書いて、同修と切磋琢磨し、より良く衆生を救い済度することができるようにと思っています。
 
  一、真相ショートメールを送る
 
  最初のころ、私は携帯を利用して、真相ショートメールを送りました。明慧ネットは毎日、大法弟子を迫害する悪人の電話番号を大量に掲載していました。もしこれらの悪人に電話をかけたら、邪悪を震え上がらせ、衆生を救い済度できると同時に、悪人の悪事を制止することができたら、どんなに良いだろうと思いました。しかし、当時、周囲にはまだこのことに参与する修煉者がいなかったため、恐れる心もあり、相手に直接電話する勇気がありませんでした。
 
 去年、同修が家に来た時、自分は携帯で真相ショートメールを送っていると言いました。その話を聞いた同修の指導の下、自分の携帯電話を、法器として使うことができるようになりました。『携帯ダイレクトショ—トメール実用手引き』を綿密に読み終えた後、カードリーダー、無線LANカード、モバイルカード等を早速購入して、ショートメールの内容を編集し、明慧日刊から、対象になる電話番号を抜粋して、グループ分けにして入力し、これらの公安部門、検査部門、地方裁判所に真相を伝え始めました。
 
  安全面を考慮して、ショートメールを送った後、バッテリを本体から外す必要があります。ですから、再度電源を入れてから返信メールを見ることができます。初めて返信メールを貰った時、私は本当にびっくりして、心臓がバクバクしました。内容は大体「ハハ、あんた、結構度胸があるじゃない、根気があるなら、一生携帯の電源を入れるな。やっぱり電源を入れただろ、ハハハ」と書いてありました。その時、まるで邪悪が頭上で私を見下ろしているように感じました、今でもはっきりと覚えています。獰猛(どうもう)な面構えで大笑いをしているように感じました。慌てて、バッテリを外し、返事を読む勇気を無くしました。まるで自分はすぐにでも邪悪につかまってしまうのではないかと、とても恐ろしく感じました。
 
 気持ちを落ち着かせて、恐れてはいけない、師父がおられ、法もある、なのに何を恐れているのでしょうか? この恐れる心を取り除かなければなりません。私は、またバッテリを装着してメールを送り続けました。しかし、まだ送信を完了していないうちに、返事の電話が掛ってきました。私は再びバッテリを外して、メールを送信する勇気を完全に失ってしまい、私を連行しにくるかもしれない、尾行がいるかどうかを確認してみよう、これからメールを送り続けるのか、それとも、携帯の番号を更新した方がいいのか、SIMカードを取り換えた方がいいのかと、恐怖心が一気に高まり、心が乱れました。 
 
  家に帰って、同修と交流をしました。同修は穏やかな口調で「怖がらないで、内に向かって自分を探して、執着心を取り除けば、なにも起こらないよ」と答えました。あの冷静な表情はまるで何事もなかったかのようでした。同修と比べて、自分はなんとちっぽけなのでしょうか、これが正に同修との差ではないでしょうか。私は法をよく学び、恐怖心を取り除き、できるだけ早く自分の状態を正す決心をしました。恐れる心が頭に現れれば、直ちに取り除きます、その心ははじめから私のものではないのです。本当に恐れているのは邪悪です。ほどなく、これらの心は消え去り、また真相ショートメールを送信することができました。
 
  ある同修は、一度に何百通ものショートメールを送信することが出来ると言いました、これを聞いて、私は心の中で、衆生を救い済度するに当たって、楽すぎるのではないか、と思いました。自分の場合はまず電話番号をダウンロードして、そしてショートメールを編集しなければなりません、これらの作業は皆とても手間のかかる作業で、その上、一度にそんなに多くのメールを送信することもできません。しかし、同修は簡単に大量のメールを送信することが出来るのです。心に不満と不平の気持ちが湧いてきました。実はすでに嫉妬心が作用しはじめていたのです。
 
  仕事をする心、歓喜心、張り合う心、嫉妬心等、さまざまな人心が晒され、衆生を救い済度する神聖な使命を忘れ、人を救うことを怠けてはならないことも思い出せなかったのでした。そのため、プリペイドカードは封印され、ショートメールの件数も制限され、毎月の無料サービスも取り消されるなどの一連の妨害を招いてしまいました。
 
 このような大規模な妨害に同修と私は冷静さを保ち、自分のやっていることを深く反省し、自分がどんな執着を持っているのかを反省せざるを得なくなりました。同修は直ちに、全体に大きな漏れがあった事を認識できました。これは、ただ量ばかりを求めて、質をなおざりにし、形式にこだわって効果をおろそかにした結果、邪悪に隙に乗じられました。師父が説法の中で、中国古代の漢方の医者と、現代西洋医学の歯を抜く法理を説かれました「あなたはどちらが良いと思いますか? どちらが進んでいるのでしょうか? 道具だけで見てはならず、その実際の効果を見るべきです」(『転法輪』)衆生を救い済度する結果を軽視し、数だけ求め、実際の効果を重んじない事は、現代精密機械を使い、人の歯を抜く結果はどこに違いがあるでしょうか、勢いがあっても、実の効果がありません。邪悪は正に私たちの執着を利用して、妨害する目的を果たしたのです。
 
  今回の教訓をバネにして、私は全ての事を着実に良く行うように努力し、自分に規定を作りました。良い人からであろうが、悪い人からであろうが、着信した全てのショートメールに返信する事です。ある日、私は「共産党から遠ざかり、法輪功に近づき、党、団、隊から脱退して、平安かつ吉祥」のメールを送信しました。すると先方から「共産党はよくないが、法輪功も習いたくない」と返事が返ってきました。私も直ちに「共産党は『偽、悪、争』を信じ、法輪功は『真・善・忍』を信じるので、違うのです。それに、法輪功を勧めているわけではなく、ただ、真相を伝えたかっただけです」と返信すると、相手の方はすんなりと「了解」と返事をしてきました。
 
 先方はどうして「法輪功も習いたくない」と言ったのか、内に向かって探し、追及してみると、問題になったそのポイントを見つけました。ショートメールの「法輪功に近づく」を「法輪功を知ろう・・」に変えてみると、良い効果を得ることができました。正に大法弟子が歌うように「真相を知ることは救われ得る希望です」。「真相を知る」ことについて新たに理解できるようになりました。「近づく」と「知る」はわずかな違いですが、意義と結果は分かれました。その上、法を正す進展が絶えず加速するにつれ、私たちの心性も高めなければなりませんし、ショートメールの内容も常に更新しなければなりません。違う人間に違う内容を送るべきだと認識できるようになりました。
 
 ある日、地元の「610弁公室」の洗脳班あてにショートメールを送りました。直ちに、暴言の書かれた一通のメールが返ってきましたが、心は動じませんでした。「真相を伝えたのは、あなたのためを思い、あなたにも未来が訪れるようにと思ったからです」と返しました。先方から「まだ送ってくるなら、教えてやろうか・・もう通報した」と返信がありました。続けて「また送ったら、捕まえてやる」と違う宛先から返ってきました。これらのメールを受け、私は真相を聞こうとしないような人間はもう相手にしたくないと思い始め、諦めようと思いましたが、考え直しました。何があっても内に向かって探さなければならないのではありませんか? ならば、どうしてこのような返事しか返ってこないかを探して見た結果、自分には善の心が足りない、闘争心、恐怖心、ただ仕事をする心等など、これらの執着心が招いた結果だと分かりました。直ぐに、取り除かなければ、法を実証し、衆生を救い済度する事の妨害になりかねません。大法弟子は衆生が救われ得る唯一の希望であり、軽々しく諦めてはなりません。その人を救うことができなくても、悪人の悪事を制御する事も出来ると悟りました。そして、電話番号を見つけて、その人に電話をかけましたが、思いのほか、先方は真相電話を最後まで聞いていました。
 
 この事を通じて、修煉者の一念は全ての事に影響を与えてしまい、自分の観念を改める事が如何に大切なのかを悟らされました。師父が『洪吟』の中で書かれたように「観念転ず、腐敗物は滅し、光明は顕れる」。真相を伝える事は、とても大切な事を私に認識させてくれました。それは、観念を変えることです。
 
 (明慧ネット第7回中国大陸大法弟子ネット法会)
 
 (続く) 
 
2010年12月10日

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