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河北省唐山市:毒物を注射された法輪功修煉者の証言(一)(写真) (明慧日本)中共(中国共産党)は法輪功を迫害して11年来、修煉者に信仰を放棄させるためにいろいろな手段を使ってきた。中でも、毒物の注射は最も悪質な手段の一つと言える。
倪英琴さん(女性)は、唐山市開平区の法輪功修煉者で、自営業を営んでいた。2000年8月22日、倪さんは北京に法輪功が迫害された真相を政府部門へ陳情に行った時に連行され、唐山市第一留置場に入れられ、さまざまな迫害を受けた。例えば、大きな足かせを付けて走らされ、長期にわたり独房に入れられた。特製の鉄椅子に24時間じっと座らされ、体を数人のスタッフに持ち上げられて地面に投げつけられた。電気ショックを加えられ、灌食された。最後に、倪さんは唐山安康医院に運ばれて毒物を注射された。注射をされてから、倪さんは自力で歩けなくなり、足は常に震えてしっかりと立つことができず、胸焼けもした。 留置場に1年近く拘禁された後、倪さんは開平労働教養所に移送された。釈放された後でも、開平派出所はよく倪さんの家に行って恐喝などをした。倪さんに脳血栓の症状が現れ、3年近く寝たきりになり、ついに2009年12月8日に他界した。享年61歳。 (2)毒物注射と電気ショックを加えられた梁志芹さん
2000年の秋、梁さんを含む数人の法輪功修煉者は信仰を放棄しないとして、唐山市安康医院まで連行され、毒物を注射された。その中で、被害がもっとも酷かったのは梁さんであり、計2回毒物を注射された。 一回目の注射をされた後、梁さんは直ちに人事不省になって心臓衰弱の症状が現れ、夜中にやっと蘇った。彼女の記憶によると、「夜中に、私は心臓の苦しみと自分の思わぬ大きな叫び声で目が覚めた。私の手足はベッドに縛られて、2人の麻薬常用者が私の体を抑えていた。私達の騒ぎで、同じ部屋に閉じこめられていた精神病患者の持病が再発した。当時の苦痛は言葉で言い表せないものだ。心臓が爆裂するような窒息感で、縛られていると知っていても私は一生懸命動こうとした。死が目の前に接近してきた恐怖感を覚えて、私の目玉は動かず、舌はこわばって、意識がもうろうとしていた」という。 注射されて1カ月のうちに、梁さんは3回も突然気絶したことがある。毎回、目と口が大きく開いて、失禁状態だった。医療関係の人によると、これはすでに瀕死状態であり、直ちに緊急措置をとらないと命が危険だという。 毒物を注射されてから、梁さんは心身ともに異常な反応が起き、心臓の症状は最も深刻だった。2000年から、心臓から背中まで苦しく、四肢は血流が悪くとても冷たくなって、まる半年ほど、何枚服を着ても布団をかぶっても身体が暖まらず、夜は寝つけなかった。1分1秒を言葉で言い表せない苦痛の中で過ごしていた。 (3)唐山市安康医院の迫害により精神異常となった邵麗燕さん 唐山市第一製鋼所の技術者・邵麗燕さんは2000年、北京へ陳情に行ったため、転々と唐山第一留置場、開平労働教養所、安康医院に入れられて迫害を受け、精神異常となった、未だに回復のめどが立たない。 邵さんとともに安康医院に拘禁されていた法輪功修煉者の話によると、薬物を飲まされ、あるいは毒物を注射されると、手足がよくけいれんと麻痺を起こし、全身の力がなくなって意識がもうろうとし、一日中そわそわして寝つけず、気絶することもあるという。 邵さんは意識がはっきりした時、安康医院にいた時に手足はベッドに縛られて、不明な薬物を注射された、と家族に伝えていた。意識がはっきりしない時は、両親のことさえ分からなくなる。 聞くところによると、邵さんの同僚、同じ法輪功修煉者である宋文泉さん(男性)も、上京して法輪功の無実を訴えたために、唐山市第5病院(精神病院)に連行された。宋さんはそこで何度も中枢神経を破壊する薬物を注射されたことがあり、手足に高圧の電気ショックを加えられていた。2年間の迫害により、宋さんは精神状態が異常になり、不衛生になった。迫害される前の宋さんは、とても綺麗好きな人だった。2004年3月、釈放されて間もなく、宋さんは家から出て、そのまま消息不明になった。 (4)安康医院で深刻な迫害を受けた元警官・李淑波さん かつて冀東刑務所で勤めていた元警官・李淑波さんは、法輪功を修煉する前に多くの病を患い、生活も仕事もできなくなった。4歳の子供の面倒を見ることさえできなくなり、子供を祖母にあずけた。しかし、法輪功を修煉して1カ月も経たないうちに、いつの間にか全身の病気が消えてしまった。 2000年、李さんは上京して陳情したため、冀東刑務所の「610弁公室」に拘禁され、その後2回とも唐山市安康医院(唐山市公安局の直属病院)に入れられた。安康医院に煉功する権利を求めたため、李さんは何度も縄で縛られ、手錠をかけられたことがあり、最もひどいのは、幺淑君という医者に、ある種の毒物を注射されたことである。それにより、李さんの行動と言語の障害が現れ、反応がとても鈍くなり、手足が動かず、碗を持って食事をすることさえできなくなった。また、李さんは頭の中で強い日の光、稲妻のような光景がよく見えて、とても怖かったという。毎日寝つけず、ベッドで横たわることさえできなくなった。3日目に、やっと一晩30分ぐらい寝られるようになり、約1週間経って、やっと普通に睡眠できるまで回復した。ある日、李さんは突然、意識不明になって地面に倒れたことがある。 2011年01月31日 (English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/11/2/121209.html) |
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