大法の威厳はどこから来るのか
(明慧日本)ある同修は「610弁公室や警察は弱者をいじめ、強者にへつらっています。彼らは後ろ盾がなく、社会地位の低い修煉者ばかり迫害しています」と話しました。実は、これは人間の観念で、迫害を受けた大法弟子の中には、社会的地位が高く、高学歴の人もいます。とりわけ迫害の初期、邪悪が最も血気盛んであった頃は、いったん法輪功修煉者と分かれば、どれほど後ろ盾があり、社会的地位が高くても迫害を受けました。大法の中で修めた金剛不滅の正念こそが邪悪を抑制する唯一の方法です。この迫害は、異なる空間の邪悪が作用しているもので、彼らは人の社会背景、社会的地位などまったく気にしません。
以前、私もこの同修と同じ考えがありました。皆と交流するとき「もし自分にもっと経済的余裕があり、社会的地位も高ければ、真相を伝えるとき、相手はもっと受け入れやすいのではないか」という話をよくしました。ある同修の交流文章の中にこのようなエピソードがありました。同修が自転車に乗って真相を伝えたとき、ある善良な人が「私のためにみすみす損をすることはないですよ。自分にもっと余裕ができてから他人のことを考えなさい」と言いました。違う日に同じ同修が、BMWに乗って真相を伝えたとき、警官さえにこやかな顔で同修と話しました。
党文化に害された衆生は本当に悲しいもので、衆生に大法のすばらしさと威厳を示して済度すべきです。確かに、常人の観念と執着に合わせて真相を伝えることは、法の中で許され、要求されていることです。しかし、真に大法の威厳を示すには、着実に法に基づいて向上することが前提です。師父がおっしゃった通り、「宇宙の真理に対する堅固で破壊できない正念は、善良な大法弟子の、磐石のごとく堅固な金剛の体を構成しています。すべての邪悪は驚き恐れて、放たれた真理の光は、あらゆる生命の正しくない考えの要素を解体します」(『精進要旨二』「同じく二言三言」)で、これこそが真の大法の威厳です。
社会の底辺にいる人、文化的素養のない人が、大法の中で修め出した堅い正念と慈悲心で真相を伝えるとき、衆生の頭の中の良くない要素が取り除かれ救われるほか、何があるのでしょうか? これこそが大法の威厳ではありませんか? 邪悪はこの人の社会的地位が低いという理由で迫害することができるのでしょうか?
私たちは、正々堂々と胸を張って立ち上がるべきです。法をしっかり学び、着実に法の中で向上することが真に立ち上がることで、師父がおっしゃった通りに行わなければなりません。「もしも、みな一人一人が心から法を認識することができれば、それこそが威力無辺の法の体現であり─強大なる佛法のこの世での再現なのです」(『精進要旨』「警告の言葉」)
2011年04月17日
|