文/中国の大法弟子 洪願
【明慧日本2014年10月24日】本文は作者が自分の状態の中で見たもので、あくまでも同修のご参考まで。法を師としてください。(編集部より)
学法と大法の実証が形式的になり、本質から自分を変えようとしない
私が外地で出会った同修は、病業を消しているところでした。普段彼女は三つのことにとても精進しており、みんなが集まってともに学法し、協力することもよくできていて、皆とても気に入っていました。その後彼女が病業に陥り、ある人の呼びかけで、皆で彼女の家へ正念を発しに行くとき、私も呼ばれました。私は問題を見て、単独に彼女と話してみると、本当のことを話してくれました。実は彼女は元々あまり大法を信じておらず、ただ皆と一緒に何かを行うのが好きで、充実していると感じ、最後に自分が修煉したから病気治療に影響したと思うまでになりました。私はこのことが分かり、皆に話すと、誰も信じず、あんなに精進しているのに大法を信じないことはありえないと思いました。しかし、本当のことが分かり、助けようがないので、直ちに病院へ送りました。
一部の人は表面の形式だけを重視して、気勢勇壮に事を運びますが、学法は形式に陥り、交流と向上を重視しないため、根本的な変化がなく、理性的な昇華がなければ、修煉ではありません。ある学法グループでは法の勉強が終われば雑談し、同修に自分の不満と怨みを発散して、甚だしきは同修の噂まで広め、それを助長する人もいました。実はこういうときこそ、指摘をして全体で向上するべきです。
同修と大法に大きな損失をもたらし、覆い隠して償わない
ある学習者は病業で亡くなり、その後夢の中で仲の良かった同修の前に表れ、数年前に師父の写真を作ったが、とても精巧で美しかったので、現地の同修に販売して、少し儲けたことで法を乱してしまったと話しました。その後、誤ったと分かりましたが、償わなかったため、病業で亡くなりました。このようなことは、99年前には、お金を儲けなければ個人のことで、厳しい要求はありませんでした。しかし99年以降、作ること自体も許されなくなり、お金を儲けることはなお更いけないことで、過ちを知りながら償わないことは更に間違っています。実は彼女に市場を提供した同修も、助長した作用を働いたことになります。もし誰も相手にせず、止めてあげれば、彼女は自分を正せるはずでした。
またある同修は癌を患いましたが、あっと言う間に悪化して、リハビリをしても、多くの同修が正念を発しに行っても効果がなく、間もなく亡くなりました。私にどういうことかを聞きに来た人がいましたが、偽の経文を伝えて、反省もせず、償わなかったからだと分かりました。しかし聞いた人は信じず弁解して、話すうちに自分の手元にも一部彼女から回ってきた偽経文があると告白して、分かってからそれを燃やしました。続けて他人に渡らなくて幸いだったのです。
偽経文を伝えることは直接修煉者を台無しにし、内部から厳重に法を乱すことになります。分かってからまた償わず、覆い隠すなら、なお更罪が重いのです。
また邪悪なウェブサイトを広める人もいて、分かった後も償いませんでした。師父は『精進要旨三』で「このスパイのウェブサイトを広めたことがあるすべての人は、出来るだけ早く自分がもたらした損失を挽回し、あなたが広めたことにより、このスパイのウェブサイトの被害者になった人を呼び戻すように私は提案します。一人でも漏らせば、あなたはその人とともに淘汰されてしまいます」と説かれました。なぜ法に照らして要求された通りにしなかったのでしょうか? 単なる面子の問題ではなく、他の空間では魔がその人を阻んでいるので、この空間では、その人が行おうとする時、色々な要素に阻まれて、時間が経つにつれ気にしなくなり、魔の道に封じ込められたのです。
また同修に重大な経済的損失をもたらしたり、同修を裏切ったり、同修の噂を真実だと思いこみ内部で広める人もいます。これらは全て内側からかく乱していて、参与者は他人を破壊していると同時に、自らの修煉も破壊しています。真心から反省し、償っていけば、師父が善いかたちで解消する機会を与えてくださいます。もし隠し通して、再三に繰り返す場合には、旧勢力がその人を完全に用済みになると、病業を用いてその人を迫害することは、通常よく見られる形式の一つです。
(続く)