【明慧日本2022年1月15日】(前文に続く)
三、1回目馬三家労働教養所で受けた迫害
2003年3月、仲さんは大連教養所から帰宅した。その1カ月後、スーパーで人に法輪功の真実を話したとして、華東路派出所の警官に連行され、甘井子公安分局に送られ後、留置場に移送された。その後、労働教養処分2年を科された仲さんは、馬三家労働教養所に収容された。教養所で仲さんは毎日、朝4時に起こされ、「転向」を強要された。「転向」しなかった仲さんは、睡眠の剥奪や寒い日に屋外に立たされ、罵られたり殴られたり、ひどい刑罰などの迫害を加えられた。
当時、馬三家教養所は年間に2回、信仰を放棄しない学習者に対して拷問を加え、強制転向を行った。秋にトウモロコシの皮を剥く労働を科された仲さんは手首が大きく腫れ上がり、痛みで針さえも掴まれなかったが、警官に労働を強いられた。また、「転向」しなかったので、仲さんは1カ月の内に3回も睡眠剥奪の迫害を受けた。1回目に6日間連続睡眠を剥奪され、24時間体罰を与えられた。その上、受刑者らに鼻や顔、首などに法輪功を汚す言葉を書いた紙を貼られたり、服に汚い言葉を書かれたりして、教養所内で引きずり回されながら、殴打された。夜中にも警官に暴力を振られることがあった。
その後、省の公安庁からの警官が仲さんに尋問2回をし、どんな拷問を受けたかと聞いた。男性警官は記録しながら、「あなたは罪を犯したことを知っているのか?」と聞き、「私は罪は犯していません。法輪功が健康に良いという正式な報道がありました。私は以前、病気でいつも仕事を休んだりしていましたが、法輪功を学んでから薬を飲んだことはなく、元気です。法輪功は人に道徳の向上をさせることができ、健康にも良いので、国にも個人にも百利あって一害なしです」と仲さんは答えた。
2005年の大晦日、仲さんは独房に入れられ、冷たいトウモロコシの粉を水でこねて蒸したものと生のセロリしか与えられなかった。その後、6カ月にわたって仲さんはそのようなものを食べさせられていたが、時々神経を破壊する薬物が混入されていた。仲さんは24時間受刑者に監視され、教養期間を4カ月も延期された。2005年7月に帰宅した。
四、2回目馬三家労働教養所で受けた迫害
2004年3月、仲さんは法輪功迫害の事実が書かれた資料を配る際、当局が法輪功への誹謗中傷の宣伝を信じた人に通報され、再度、華東路派出所に連行された。その後、労働教養処分を科され、再び馬三家教養所に送られた。教養所で毎日、朝5時から夜中の12時まで強制労働をさせられた。刑務所側は毎月、労働の評価審査を行っていた。
拷問のイメージ図:暴力を振る |
月末、二分隊の隊長は受刑者に指示し、仲さんの手を掴んで労働の評価審査に拇印をさせた。これに反抗した仲さんは猛打され、鉄製の収納庫に頭をぶつけられ、体はあざだらけになり、手から血が流れた。それで、仲さんは病院で治療することを要求したが、拒否された。
8月の末、仲さんはまた、警官の指示を受けた受刑者らに手を掴まれて労働の評価審査に拇印をさせられた。反抗したので、警官にスタンガンで電気ショックを与えられた。
10月にまた、評価審査に拇印をしなかった仲さんは、警官に殴られ、部屋から廊下へ引きずり出された。仲さんは「法輪功を学ぶのは良いことです、迫害をやめよう!」と叫ぶと警官のオフィスに連れて行かれ、平手打ちされた後、暴力を振られたため、服や顔、地面が血だらけになった。それから、警官は教養所の医者を呼んできて、仲さんの血圧を測った後、「上大掛」という刑を与えた。「上大掛」とは、2段の鉄製ベッドの間に頭を押し込み、両手を上段ベッドの側面に手錠で固定し、両足を三角鉄棒で固定して下段のベッドに縛りつけることである。腰が真っ直ぐに伸ばせないので、疲れと痛みで数分だけでもとても苦しいのである。仲さんは2日間、この拷問を受けたため、全身の筋肉が萎縮したという。
馬三家教養所の拷問手段の一つ:上大掛 |
11月30日、綿打ちの工場で、すでにかなり弱っている仲さんに、警官は評価審査に拇印をするようにと強要した。従わなかった仲さんは、警官に平手打ちされて、押し倒され、革靴で激しく蹴られ、血を吐き、顔が腫れ、全身にあざができた。それから、十数日間食事をあまりせず、腰が曲がらず、手も不自由で、足を引きずりながら歩き、階段を昇り降りするときは手すりを掴まないと歩くことが出来ない状態で仲さんは労働を科された。
ひどい拷問を受け、仲さんは一度パニック障害になった。寝る時間に巡回してくる監視の者や隊長を見ると、「殴られる! 叩かれる!」と恐怖の声を上げていた。
(続く)