あらゆる残虐な迫害を受けた仲淑娟さんは刑務所で死亡(三)
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 【明慧日本2022年1月16日】  (前文に続く)

 五、懲役7年6カ月の判決を受け 迫害により死亡

 (一)腰椎圧迫骨折の回復中 連行される

 仲さんは2016年3月11日、人に法輪功が迫害されている実態を伝えたとして、中華路派出所の警官に連行され、派出所の2階に拘禁された。仲さんは、「自分が法輪功を学んでいることは間違っていないし、警官が間違った命令に執行して良い人に迫害して罪を犯してはいけない」と考え、2階から飛び降りて、派出所から出ようとした。しかし、重傷を負い、派出所の警官に大連第三病院に運ばれた。15日間入院して、仲さんは退院を要求した。

 第三病院で、仲さんのCT報告書に腰椎の第2椎体破裂骨折と書かれ、MR報告書には腰椎2、4椎体圧迫骨折、分節管侵襲やや狭窄、腰椎変性、腰椎椎間板膨隆性変性と書かれていた。退院する際、「1、治療を続けることが望ましい。2、骨折が治るまで安静が必要。3、合併症を防ぐために、医師の指示に従い機能訓練を行う。4、病状の変化があれば来院してください」と、医者がアドバイスした。

 帰宅した仲さんは法輪功を学び続け、しばらくして、座ることができて、歩くことができ、食事を作れるまでに好転した。しかし、2016年6月28日朝7時過ぎ、大連春海派出所の警官は仲さんを姚家留置場に連行した。

 その後、仲さんは懲役7年6カ月の実刑を言い渡され、留置場で2年ほど拘禁された後、遼寧省女子刑務所に送り込まれた。

 (二)遼寧省女子刑務所第12監区で虐待を受ける

 刑務所第12監区に収容された仲さんは、自分の持ってきたものを全部押収された。「転向」しないため、半年ほどトイレットペーパーを与えられず、生理用品を使うことも許されなかった。

 刑務所の迫害により、仲さんは乳がんになったが、治療のための保釈は許されなかった。

 遼寧省女子刑務所は、江沢民グループが学習者に対して「名誉を汚し、経済的に苦しめ、肉体的に滅ぼす」という政策を執行し続け、学習者に沸騰した湯、或いは冷水を体にかけたり、詳細不明な薬物を注射したり、スタンガンで電気ショックを与えたり、唐辛子水を膣にいれたり、吊し上げたり、重労働を科したりなど、残酷な迫害を加え、法輪功の信仰を放棄するよう強要した。不完全な統計によると、少なくとも37人の学習者が同刑務所で迫害されて死亡し、精神障害者や身体障がい者になった学習者も多くいた。瀋陽市の大東区合作街小学校の元校長・李桂栄さんは、2020年1月中旬、この刑務所で迫害されて死亡したという。

 六、家族が受けた迫害

 仲さんの娘・李秀麗さんは、真・善・忍に従って自分を要求し、優秀な学生で、よく家事を手伝っていた。軍人だった夫・李寛さんは大連石油化学工業会社に転業した。

 (一)迫害により精神障害になった娘 

 華東路派出所の警官は2003年仲さんの家を家宅捜索したとき、当時24歳の娘は警官が家財を押収することを阻止しようとしたため、警官に4階から1階に引きずりおろされ、派出所に連行された。その後、うつ病を患った。2007年、華東路派出所は押収した仲さんの家の鍵を持って、再度仲さんの家に押し入った。その時、1人家にいた娘が脅迫され、その結果、精神障害者のような状態になった。

 仲さんが拘禁された後、夫と娘は迫害に恐れ、40数日間家から出ず、毎日お粥を食べていた。

 その後、娘は精神病院にしばらく入院した。ある日、娘は母に会いたくて、父と一緒に馬三家労働教養所に行ったが、面会を拒否された。そして、娘は跪いて、母との面会を強く求めたが、許されなかった。それから、帰宅した娘は病状が一層に悪化してしまい、いつも1人で家から出て、遠くに行くようになった。

 病状が深刻になった娘は、2017年夏のある日、母に会いたいと大泣きした。父は娘を連れて、留置場に行き、母親との面会を申し込んだが、やはり面会ができなかった。

 (二)夫・李寛さんが受けた迫害

 仲さんは2016年6月28日に連行され、2017年4月10日に不当に開廷をされたが、裁判の結果はなかなか出なかった。そのため、数カ月後、夫の李寛さんは裁判所に行き、状況を聞いたが、その場で裁判官に「三書」にサインを強いられた。李さんは拒否した。

 2018年の正月前、李さんはまた、裁判官に「三書」にサインを強要されたが、断った。

 2018年3月7日午前、李さんは裁判官からの電話を受け、裁判所に呼び出された。李さんは妻の裁判の結果が出たと思って、行こうとしたが、娘の世話をする人がいなくてすぐには行けず、午後に近所の人に娘のことを頼んで、裁判所へ行った。しかし、そこで連行された。

 裁判所は「三書」にサインをしない李さんを拘禁し、さらに、娘が家で泣きながら父を探す動画を李さんに見せ、サインを強いた。それで、李さんはサインするしかなかった。2週間拘禁された李さんは、自分が執行猶予3年6カ月の判決を下されたことを知り、強制的にGPSロケーターをつけられ、仲さんとの面会を禁止された。

 娘は父がいない間、ママ、ママと呼ぶばかりで、とても不安定な状態だった。李さんが帰った後も、娘の病状は好転せず、夜寝れない状態が続いた。

 仲さんは冤罪を晴らせないままこの世を去った。

 仲さんが生前に受けた迫害の数々は明慧ネットをご参考に。

 (完)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/1/4/436398.html)
 
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