あらゆる残虐な迫害を受けた仲淑娟さんは刑務所で死亡(一)
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 【明慧日本2022年1月14日】大連市の法輪功学習者(以下、学習者)・仲淑娟さんは2021年12月24日午後5時、残酷な迫害により遼寧省女子刑務所で死亡した。享年66歳。仲さんの遺体は、中国共産党(以下、中共)当局の公安局、検察庁、裁判所の関係者らの監視の下、火葬された。同じ刑務所に拘禁されている学習者の話によると、仲さんは刑務所で警官の命令に従わず、様々な迫害を加えられたが、まったく動じなかったという。

 中共当局が法輪功迫害を開始して22年、仲さんは7回にわたって連行され、計12年間拘禁されており、残虐な迫害を受けた。仲さんの娘・李秀麗さんは東北財経大学の付属専門学校時代、全教科で学年で3位、クラスでトップだったが、当局の迫害により、精神障害になってしまった。

 2016年6月28日朝7時ごろ、仲さんは出かけようとしてドアを開けた途端、家の前で待機していた春海派出所の警官らに一気に家に押し入られた。警官らは仲さんの家を家宅捜索し、法輪功関連の書籍数十冊などの私物を押収し、仲さん一家3人を派出所に連行した。当日の夜10時半、仲さんの夫と娘は解放されたが、以降、住居監視をされた。その後、拘禁された仲さんは、起訴されて、甘井子区裁判所に懲役7年6カ月の実刑判決を言い渡され、2018年8月28日、遼寧省女子刑務所に収容された。刑務所で迫害を受けた仲さんは乳がんになった。2021年の初め、家族は治療のため、仲さんの仮釈放を書面申請したが、刑務所側に拒否された。

 仲さんは大連市甘井子区に在住で、大連理工大学の店舗で20数年勤めていた。1994年末から法輪功を学び始めた仲さんはその後、患っていた重い関節リウマチなどの病気が完治し、優しい性格に変わり、同僚たちから好評を得た。法輪功を学ぶ前、いつも病気で休んだりしていたが、健康になって、与えられた2人分の仕事を休まずに4カ月間ほど1人でやっていた。

 しかし、1999年7.20、中共当局が法輪功への弾圧を発動した。法輪功への信仰を続けているとして、仲さんは7回も連行され、大連留置場で18日、麻薬更生施設で28日、大連市労働教養所で2年と40日、1回目、馬三家労働教養所で2年4カ月、2回目、馬三家労働教養所で2年と16日、撫順羅台山庄洗脳班で21日、病院で15日拘禁されていた。さらに、留置場と刑務所で2016年6月28日から5年6カ月拘禁され2021年12月24日、迫害のため死亡。約12年間拘禁された。その間、残酷な拷問を受けた。

 一、留置場、麻薬更生施設、洗脳班に拘禁される

 2000年12月、仲さんと娘は法輪功の陳情のため、北京へ行こうとしたが、長距離バスの停留所で警官に阻止され、身分証を押収され、法輪功創始者を罵るよう強いられた。「罵らなければ、連行する」と脅迫された仲さん親子は、従わなかったが、大連麻薬更生施設に送られた。警官は仲さんの夫から3000元を強制的に奪った。娘は施設で拘禁され十数日後、警官に「法輪功を学ぶなら留置場に送ってやる、止めるなら家に帰らせる」と脅迫されたが、「学び続ける」と言ったので、さらに18日間拘禁された。警官はまた、仲さんの夫から1000元を奪い取ったという。

 その後、警官は仲さんを連行するたび、夫から数百元ほどを奪い取っていた。

 大連麻薬更生施設で警官は仲さんに施設のルールを覚えさせた。それに従わなかった仲さんは手錠をつけられ、翌日の朝まで睡眠を許されず、脅迫や体罰を与えられた。娘の秀麗さんも警官に20数回平手打ちされ、体罰を受けた。20数日後、仲さん親子は大連留置場に移送された。

 その後、労働教養処分2年を科された仲さんは大連市労働教養所に収容された。

 二、大連市教養所で残酷な拷問と性的虐待

 大連市労働教養所で大隊長に「法輪功をまだ学ぶのか」と聞かれ、「学びます」と答えた仲さんは平手打ちをされ、腰を90度に曲げたまま、両手を後頭部で組まされて、頭を両足の間に入れる姿勢を強要された。少しでもぐらつくと叩かれた。仲さんへの迫害に対して、同教養所に拘禁されている学習者たちは断食して抗議を行った。

 翌日、食堂で名前を呼ばれた学習者が、男性警官2人によって外へ引きずられた。警官は「馬三家労働教養所に送ってやる」と言って、引きずった人の荷物を中庭に置き、まるで本当に連れて行くようと見せかけたが、実際、教養所を2周回り、教養所の中にある「山水楼」という汚くて寒い建物に送った。学習者を脅迫し騙すことが目的だった。

酷刑演示:野蛮<span class='voca' kid='74'><span class='voca' kid='74'>灌食</span></span>(绘画)

拷問のイメージ図:野蛮な灌食

 仲さんは教養所で、睡眠の剥奪、体罰、独房に3回拘禁、両腕を背中に回されて手錠に繋がれるなど、非人道的な拷問を受けた。警官は使用済みの汚れている灌食チュープを殺菌せず、挿入したり出したりし、仲さんの悲惨な叫びを無視して、灌食を行った。しかも警察学校を卒業したばかりで、まだ制服を着ていない若い女性たちの前で行い、まるで迫害のやり方を教えているようであった。

酷刑演示:背铐

拷問の再現:両腕を背中に回されて手錠で繋がれる

 ある日、教養所で「労働教養される人」という名札をつけなかったため、仲さんは独房に送られた。警官は独房で仲さんを細い鉄の棒に縛り吊るし上げ、汚い布を口に入れ、両腕を両方向へ広げさせ、右足を縛らず、左足の裏を上に向けて縛った。そして、両足を左右に動かしたり、小さなハサミで足裏を突き刺したりして、耐え難い痛みを与えた。警官はさらに、仲さんの陰部へ向けて、椅子の高い部分に当てたり、革靴で蹴ったり、尖ったモップの柄で突き刺したりした。そのため、仲さんの陰部が破れて、ひどく腫れ、大量な血が流れた。その痛みで仲さんは口に詰められた布を噴き出し、体を激しく揺らして、縛られた紐を切ってしまった。しかし、警官はさらに、大きなコーラの瓶で水を仲さんの口に流し込んだ。口を開けないと、瓶で叩いた。その後も、仲さんに「転向」する書面を書くよう強要し、書かない仲さんを午後1時から夜8時まで繰り返し拷問を与えた。

 吊り具から外れると、仲さんは足も手も不自由になり、地面に倒れ、ズボンの中は血と糞便でいっぱいになった。さらに、その日の当番の警官は仲さんに、名札をつけなかった反省書を書かせた。その後、仲さんは「厳格管理室」に連れて行かれ、死人ベッドに縛られたが、大量出血でベッドの板が真っ赤に染まった。その後、仲さんは1日に2回しかトイレに行くことが許されず、トイレと食事のとき片手の手錠しか外してくれなかった。

 このように8日間拷問を加えられた仲さんは、床ずれができたため、やっとベッドから降ろされたが、頭頂部に2センチほどのこぶができ、髪の毛が抜け、耳も赤く腫れ上がった。

 仲さんは普通の部屋に戻され、夜に体の痛みで眠れなかったが、強制労働を科された。警官は迫害のことを暴露されないように、仲さんに風呂に入ることを許さず、労働教養期間を40日延ばした。

 (続く

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/1/4/436398.html)
 
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