父への態度から自分の修煉を反省
文/中国の大法弟子
(明慧日本)最近、同修である父をみています。父に「ここが良くない、そこが良くない」と指摘し、次第にエスカレートしました。いつも「あまり構いすぎです。自分を修めず、父を助けず反って落している」と母の口を借りて師父に啓示されています。しかし、私はまだまだ悟れず自分の観点を強調して、自分が如何に不満であるかと言って、両親と口喧嘩しました。何回もくりかえしたあげく、トラブルが解決しないまま両親との間に溝ができ、早く結婚してこの家を離れようと思いました。
本日の学法の中で、突然自分の考えが危険だと悟りました。この家庭の小さい修煉の環境を守らず、邪悪の妨害に乗じられました。父の執着ばかりを見て、自分にいろいろ変な思いが生じました。本当にこの環境を捨てて、結婚してしまえばかなり危ないのです。ここで若い弟子が結婚してはいけないと言っていません。自分の修煉環境をよく見て自分なりの道を選択し、修煉を妨害しないようにと勧めたいのです。
内に向かって探すと、恋人を作って結婚したくなるのは、やはりこのトラブルを悪いことと認識したからで、これこそ修煉にとってよい機会だと思いませんでした。いつも何も考えず両親に甘えて、自分の言うことをすべて適えて欲しかったのです。しかし、これが出来なくなったと感じた途端に、また他の環境が欲しくなりました。それが結婚することでした。私はずっと甘えていたいのです。「彼の心性の位置に功が到達した後、その功をさらに伸ばそうとする時には、人との軋轢やトラブルも際立ってきますので、さらに心性を高めていかなければなりません」。(『転法輪』)
修煉の基準は次第に高くなるので、ずっと小学校の教科書を持ったまま大学に入れるのでしょうか。もともとトラブルが発生したのは、自分が向上しなければならない時ですが、自分が悟らず両親に向かって探しました。父がトラブルから逃げた時に、「父の器が小さい。修煉に責任を持っていない」と決めつけました。今考えると父の表れは鏡のように自分のことを映していたのです。
なぜいつも父の不足をみて、父を軽蔑するのでしょうか? なぜ父が自分の心にある理想の父とのギャップが大きいと思い込んで、狭い心で父の言動を見るのでしょうか? 自分の観念に符合したら父が良く、符合しなければ父が悪いと思い、父を排斥してしまいました。
父が魔難の中に陥った時に、本心より助けようとせず反って父を非難し、修煉がしっかりしていないと、よくない話を出してしまいました。今考えて見ると、善の心がなく、悪口ばかり言って、父に多くのよくない念を投げつけました。だから母は私に「父を助けておらず、落している」のだと言うのです。
ここまで書いて、自分の不足が分かっただけでなく、父とのトラブルの根源が分かりました。歴史上にどのような怨念があっても、これからは、真の修煉者として、父に対して慈悲をもって接していこうと思います。
2010年4月16日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/4/10/221267.html)
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