日本明慧
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視力に現れた奇跡


文/中国の大法弟子 玉鈴

(明慧日本)私はある日、老眼と白内障の症状が現れました。目の前のものが薄い絹を通して見ているようで、学法するときも、字が霧の中にあるようでした。目を細めてみているうちに字が見えにくくなりました。例えば、一、二、三の文字を見るとき、滲んで分からなくなり、「。」が「8」に見えたりにして、常人の言う「年老いて視力が衰えた」ようでした。
 
  最近の学法で私は突然、「人体は一つの小宇宙です」(『転法輪』)という法理に対して、新たな悟りがありました。一人の円満成就が一つの宇宙になるとすれば、修煉者が精進しなければ、自分の小宇宙の衆生を魔難の中に投げ込んだ状態になるでしょう。人間の目で見えるこの空間では、人体のいろいろな器官は身体の一部に過ぎません。しかし、他の空間から見れば、器官によっては、人体という小宇宙の中にある異なる世界に喩えられると思います。法輪大法は「性命双修」の功法ですから、本来、修煉者の人体は修煉するにつれて若者の方向に少しずつ逆戻りします。しかし、修煉者が法理に従って精進しなければ、旧勢力に隙に乗じられて、自分の小宇宙の衆生は旧法理から抜けられなくなり、老化していくのです。私は長期にわたって精進していなかったため、目に老化現象が現れたのだと思います。
 
  ですから私の目は、修煉状態を正さなければ、正しい状態に戻らないと認識しました。「もし、旧勢力の妨害が原因であるならば、旧勢力を徹底的に否定します。しかし、個人の修煉不足ならば、不足を補い、精進しよう」と考えました。私は目に対して、「私の目よ、あなたはあなたの世界の神です。私がよく修めていないせいで、あなたの世界を暗くさせたのでしょう。いま、私は自分の過ちを知り、直ちにその過ちを直したいのです。私と二人三脚で、あなたの空間にある悪いものをすべて取り除きましょう。私は大法弟子なので、師父がおられますが、あなたは私の一部なので、師父はきっと私たちを助けてくださいます」と語りかけました。
 
  その後、私は師父の各地の説法をたくさん学び、『転法輪』も学び続けました。いつも学法の直前に、目に「わが目よ、元気を出して、学法の時間です」と指令をしました。学法をするとき、絶対に目を細めないようにと自分に要求しました。字がぼんやり見えるとき、「目よ、邪魔ものをやっつけて頑張って」と励ましました。同時に、目に優しく涼しい風が吹いてくるのを感じたり、少し痛みを感じたり、ねぎを切るときのように感じたりして、字がきれいに見えてきます。そのときは「よく頑張ったね」と褒めました。
 
  学法のときに常人の念が時々現れました。そういうときには内に向けて探し、自分の心性を修めて向上するチャンスだと考えました。例えば、目に指令して、何も感じないときは、ついに「効き目があるのか」と動揺し、そしてすぐに、「自分の感覚はなんでもありません。正念の力を信じます」と自分に言い聞かせたりしました。目が良い状態のときには歓喜心が生じ、「たくさん発正念して、たくさん煉功すれば、目は良くなります」という病気治療を求める念が出てきます。
 
  この求める心の裏には二つの要素があると思います。一つは、目の不適切な状態を大法の力で正常に戻せると信じているのは正しい認識ですが、ただ、煉功を通して目がよくなるという考えは、「修は己にありて、功は師にあり」(『転法輪』)という法理に対して理性的な認識ではありません。二つ目は、潜在意識の中で「今日は煉功したから、目が少しよくなる。明日も煉功すれば、もっと良くなる」と考えているのは、現代科学の病気治療と同じように、身体の浄化には幾つかの過程が必要だと考えていることで、本当の修煉者の考えではありません。修煉者として、その束縛を突破しなければいけません。
 
  法を読むとき、文字がはっきり見えると、「光がちょうどよくて、目と本の位置がちょうどいいから、よく見えるのではないか」という念がたまに出てきます。それも常人の考えなので、正すべきものです。
 
  内に向けて探すことにより、たくさんの漏れが見つかり、学法によって正しました。『転法輪』を読むにつれ、たくさんの法理と天機がわかるようになりました。以前、学法しているとき、『転法輪』の中の事例に対して、あまり気にかけなかったのですが、近頃の学法では、落ち着いて学法したら、その事例からもたくさんの内包と法理を学ぶことができました。『転法輪』の奥深さ、文字ごとの天機、博大な法理などを体得できました。
 
  最初に『転法輪』を読んだとき、「文章の流暢さが足りない。こんなふうに少し変わればよいのではないか」と思ったことがありました。そのときの無知と愚かな考えは、今思い出すととても恥ずかしいです。ここで、師父に心から謝りたいと思います。
 
  最近の修煉を通じて、私は「旧勢力を否定しながら、自分を修める過程は、法理を用いて自分を浄化する過程であり、一つの念一つの考えを正す過程でもある」ということを体得しました。
 
  私は夫に「私の目に何か変化はありますか」と聞くと、「瞳が光って、力があるね」と言いました。そうです、私の目は元気になりました。それは、大法弟子の体が法と同化したもので、大法の力です。
 
  以上、個人の体験です。不適切なところがあれば、同修のご指摘をお願いします。 
 
2010年12月30日

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