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【永遠の21歳】翼の折れた金色の鳳(二)(写真)

(明慧日本)
 
 刑務所での薬物迫害
 
  2002年11月、連行されて1年半が経った時、柳志梅さんは北京市海淀区裁判所で10数項目の罪名を着せられ、不当に12年の懲役を言い渡され、本籍地の山東省女子刑務所(済南市に位置する)に移送された。
 
 2002年末から2008年出獄前まで、山東省女子刑務所の警官・鄧済霞はほぼ毎日、志梅さんを刑務所構内の診療室に連れて行き、注射をさせた。精神病だとして、1日3本の薬、約50CCを注射した。刑務所で「私は病気に罹っていません、注射したくありません、薬を飲みたくありません!」と志梅さんの泣き叫ぶ声がよく響いた。
 
 「注射された薬物にはクロザピン、スルピリド、バルプロ酸ナトリウムなど(いずれも精神病治療の薬物)。注射後にのどが渇き、頭が重く、視覚がもうろうとして、幻覚が出て、大小便が出ない」と、志梅さんは刑務所のほかの囚人に話したことがある。
 
 目撃者によると、2005年3月8日、刑務所の面会室で、志梅さんは両手を家族の肩にかけ、うなだれて元気がなく、しっかり立つことすらできなかったという。
 
 2005年10月〜11月の間、刑務所は志梅さんの実家に電話をかけて、志梅さんは脳神経損傷のような症状を呈していると言い、家族の面会要求を拒否した。翌日、志梅さんの父親が刑務所に行き、服役中重病のための一時出所を求めたが、刑務所は「政治犯の一時出所禁止」を理由に断った。


 志梅さんの左手の中指はすでに動かなくなっていた。関節が大きく変形して、まっすぐに伸ばすことができない。専門医によると、長期にわたる毒物注射が原因であった可能性が大きいという。
 
 復学の悲願を当局に利用される
 
 留置場で志梅さんと知り合った人の話によると、出所したらまず学業を完成させ、それから仕事をして、逮捕された同修の子供を助けたいと、志梅さんは話していたという。当時20歳になったばかりの志梅さんはずっと復学の願望を捨てていなかった。自分の本当のいるべき場所は清華大学だと考えて、そこで過ごした楽しい時間を偲んでいたのかもしれない。
 
 逮捕される前、志梅さんは何度も清華大学化学工程学科に復学の願望を申し出た。「しかし、化学工程学科の党支部書記は中国共産党に盲従しており、志梅さんが法輪功を止めなければ復学させないだろう」と劉文宇さんは話した。志梅さんに比べて劉さんは少しラッキーだった。山西省の刑務所に3年間拘禁されてから、清華大学の数人の教師の斡旋で、彼は意外にも復学することができた(ただし、元の博士課程には行けず、修士課程に降格された)。卒業後、彼は順調に海外へ行き、現在、カナダの博士課程で勉強している。
 
 法輪功修煉者を「転向」させるため、拷問、薬物注射、家族を脅すなど、中国共産党はいかなる手段をも使い尽くしている。若い志梅さんに対して、彼女の復学願望に中共は目をつけた。
 
 志梅さんが刑務所に入って間もなく、志梅さんの担当教官をはじめ、清華大学から数人が刑務所に行き、彼女に食事をおごり、「転向」さえすれば彼女の学籍を保留させると言った。この言葉を聞いて、数年の残忍非道な迫害を受け、ずっと復学を夢見ていた20歳になったばかりの志梅さんがどのような選択をしたとしても、我々は彼女を非難してはならない。中国共産党の劣悪な行為がすべての根源であるからだ。
 
 大きなプレッシャーに圧迫されて、とうとう志梅さんは不本意に「転向」に同意した。しかし、刑務所側はさらに彼女に他の修煉者を転向させる「教育係」になることを強要した。断固として「転向」しない修煉者に対して、警官らは志梅さんに「転向」の手段を考え出すように強要し、彼女に修煉者を殴らせた。志梅さんは時にとても苦しそうに「◯◯の首を打ち折ったのは私ではない」と叫んだ。
 
 その後、志梅さんは一心に復習して、再び教室に戻ることを夢見た。しかし、3年経っても復学の通知は一向に来なかった。騙されたと分かった志梅さんは大きなショックを受け、それから口数が減った。
 
 釈放前に毒物注射 才女が精神異常になる
 
 2008年11月13日は志梅さんが釈放される日だった。しかし、これは実に彼女のさらなる大きな苦難の始まりにすぎなかった。
 
 11月13日午後2時過ぎ、志梅さんは家族に迎えられて刑務所を出た。列車に乗ってから、志梅さんは家族に「出獄の3日前に健康診断があって、私に虫歯があり、歯に穴が開いていると言われて注射をされた」と教えた。どんな薬物を注射されたか、志梅さん自身も知らなかった。
 
 家に着いた最初の2日間、志梅さんは見たところまだ正常だった。3日目になると突然、精神異常の症状が現れて、いらだって落ち着かず、でたらめを言って、手足は乱れた動きをし、腕をランニングの姿勢で絶えず上げたり下げたりして、一晩中眠らなかった。しかも、病状は日ごとに重くなっていった。
 
 志梅さんはすぐに記憶を失い、自分の年齢さえ覚えていない。言うことは支離滅裂で、おなじことを3回繰り返した。その上、1日に魔法瓶6、7本分の大量の水を飲んだ。布団に尿を漏らしても感覚がなく、濡れた布団で眠っても知覚がない。この時、家族は志梅さんが言った注射のことを思い出し、志梅さんの歯を確認したが穴は見つからなかった。そこで、今の精神異常の原因は出獄前の注射にあり「歯に穴が開いている」というのは注射の口実にすぎないと、はじめて確信した。
 
 志梅さんの母親はとても頭脳明晰な人だが、志梅さんの12年の懲役を知ってから、精神的にショックを受けて半身不随になった。やっと待ちに待った娘が出獄したが、数日の間に、娘が精神異常の廃人になるのを目撃した。この巨大な打撃に耐えられず、志梅さんが出獄して3カ月後に母親は他界した。享年62歳だった。
 
 たまに街へ行く時、あるいは慣れない環境にいる時、志梅さんはとても緊張した表情をして、よく手を胸元に置いて外に向けて何かを押し出す姿勢をとる。恐怖の中で自分を守ろうとしているようだ。この挙動を見るたびに家族はとても心を痛めた。彼女がかつてどれほどの虐待を受けたか想像もしたくなかった。
 
 ある日、親戚が志梅さんの服を着替えさせようとして、うっかり彼女の胸に触れたとき、志梅さんは突然親戚の手を自分の乳房の上にしっかり押さえて、何かを思い出したように、もう1本の手で力強く乳房を殴って揉み「彼らは私をこのように殴ったのよ。このように、このように。私はとても痛かったの…」と言った。30歳の志梅さんの乳房はほとんど腹まで垂れ下がり、数回出産した中年女性のようだ。仰向けに横たわる時、乳房はベッド面まで垂れ下がった。彼女の乳房、へそあたりによく多くの腫れものが現れた。専門医によると、注射後に体内に残留した毒素が原因だという。
乳房とへそあたりに腫れものがよく出る
体中の傷跡
 
 
 (続く) 
 
2011年02月15日

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