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神の念を持って同修を助ける(二)


文/重慶の大法弟子

(明慧日本)もう一つの例があります。今年の2月、ある同修がスーパーで、警察に迫害されて意識不明になり、病院まで運ばれました。一部の同修が焦って、大法弟子が病院の中で点滴したり治療を受けたりしていいのかと思いました。同修本人はぼんやりして家に帰ると承諾し、退院しようとしました。当時、ご主人は年を取って病弱な状態で世話ができないため、退院させたくないと、他の子供たちも同意しません。幸い本人が、前夫と息子が病院でお金を使いすぎるのが嫌で、退院の手続きをしました。家に相次いで同修が訪れて世話をしました。十数日が過ぎて、あまり好転しないようなので、次第に行く人が少なくなり、特に夜になるともっと行く人が少なくなったのです。この状態で、同修達は昼も夜も当直を按排して、計画的に世話をしようと考えました。
 
 同修達の気持ちは十分理解しています。迫害された同修は十数年来、厳しい試練を受けて、いろいろな魔難を経験しました。洗脳班に2回送り込まれて、2年間あまり拘禁され続けました。その期間中に、各種の拷問を受けて、立ちっ放しやしゃがみっ放しの姿勢を強制され、3カ月間にも及びました。心身ともに迫害され、2009年5月に強制労働教養処分を下され、2010年8月にやっと釈放されました。しかし、いかに邪悪に迫害されても本人は大法への信念を動揺したことがありませんでした。邪悪の按排を認めず、大法弟子の純粋な心を保っています。2011年1月8日、スーパーで買い物をしていた時に警官らに迫害されて、命の危険に瀕してやっと病院まで運ばれました。
 
 同修の皆は、この同修の状態を見て焦って、なんとか彼女のために力になってあげたい、同修を助けたいと思いました。同修のために責任を持って、彼女のことは自分たちのことですので、助けるのが当然ですが、正しく悟り、正しい念と正しい行いで助けるのです。
 
 邪悪が按排した魔難はとても複雑です。同修一人の問題ではなく、この地区全体の魔難です。邪悪が虎視眈々と私たちを狙っており、私たちは皆、魔難に遭っている同修しか見ていませんでした。同修が目を開けると、皆が嬉しくなり、ぼんやりしていると皆さんも緊張してしまい、とにかくこの同修を中心に動いています。同修の世話をする時にじっとその変化が気になって、自分の家にいても同修のことが心配で、発正念や学法もできなくなりました。これはまさに人心ではありませんか。旧勢力が一人に対する試練を皆にまで拡大しているのではないでしょうか。もし、皆がこの件にばかりに気を取られたら、旧勢力はさらにこの同修を利用して妨害します。同時にこの同修にも大きい魔難を作ってしまいます。この難は、私たちがしっかり修めていない原因によって作られたのです。これほど複雑な要素は人心を持って解決することではありません。同修のぼんやりした状態は、私たち全体が法理に対してぼんやりしていることの反映です。皆で法理を認識し、冷静になって初めて同修を助けることができます。人の魔難を見て、私たちは自分をしっかり修めなければなりません。
 
 私たちは心性を向上させて自分を正し、さらに大法に基づいて自分の行動を正し、人心を取り除けば、大法が魔難を解消することができると固く信じています。魔難の中の同修がいかに変化しても私たちは心を動じず、固く三つのことを行います。世話をする同修は本人が聞こえるかどうかにかかわらず、主意識を強く持つように注意してあげましょう。一緒に学法したり、師父の説法を聞いたりしましょう。最近、その同修は座って話すことができ、蘇りました。本当に、神の念を持ってこそ同修を助けることができ、「柳暗花明又一村(眼前に新たな世界が開ける)」となるのです。 
 
2011年02月15日

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