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【永遠の21歳】翼の折れた金色の鳳(三)(写真)

(明慧日本)
 
 封じられた記憶
 
 柳志梅さんが刑務所で受けた虐待は、きっと本人が漏らした一言や、親戚が志梅さんの様子を見て推測した程度にはとどまらない。7年間の苦難に遭って、彼女の顔はやつれ、歩く時はふらつき、両足は正常な歩幅が開かなかった。昔のすらりとした体型がなくなり、子供を生んだように太っている。生理も乱れて、3日か5日に一回来て、服が真っ赤に染まってしまう。臀部から足首までは一面、黒紫色になっている。
 
 復学の約束に騙されて不本意に大切な信仰を放棄した時、彼女の内心でどんなに苦しい絶望と迷いがあったのか、過去の10年に、人間にとって最も美しい20代の歳月に彼女はいったいどのような事に遭ったのか、すべて知る由がない。
 
 志梅さんがよく口にしている独り言に、「私はまだ生きている、生きている、私はずっと生きている……」というのがある。彼女は何度も何度も繰り返し、中国語と英語で言い、また紙に書いた。この言葉の意味を誰も理解できない。ある日、彼女は大声で独り言を言い、「私、柳志梅は死んだ! 臓器を摘出された!」と怖そうに叫んでいた。
 
 いったい獄中で何が?
 
 中国共産党による法輪功修煉者の臓器狩りの犯罪が暴露されたのは2006年で、その時、志梅さんはまだ獄中にいた。出獄してから誰も彼女にこのことを言っていない。特に、彼女の面倒を見ていた法輪功修煉者たちは彼女を刺激しないように、臓器狩りに言及したことがない。では、彼女はどのように知ったのか? まさか獄中にいた時、彼女は臓器摘出の危機にさらされたのか、あるいは幸運にも摘出から逃れ、深刻な恐怖を覚えたのか?
 
 強姦されて妊娠、中絶
 
 志梅さんは釈放された3日目から心神喪失になった。オートバイに乗る若い男性を見かけたら、裸で家から出てオートバイに乗ろうとすることが数回起きた。彼女は時にとても男性に興味を示し、時にまた極めて男性が嫌いなようだ。
 
 これを見て、収容中にいったい何に遭ったのか、家族と親戚は泣きながら彼女に聞いた。
 
 心神喪失になってから、「彼女の面倒を見る、治療に連れていく」と名乗る怪しい男性数人がそれぞれ家に来て、志梅さんを連れ出して、数日後また彼女を家に帰した。志梅さんは時に独り言を言ったりしていたが、聞いてみると強姦の経過を言っていた。誰かにどこに連れ出されたか、どのように服を脱がされたか、男はどのような動作をしたか、男が服を脱いでからの肌の色など。時には場所と男の名前もはっきり言った。
 
 誰が志梅さんを連れ出したか、志梅さんの父親は一切無関心だ。誰かが彼女を連れ去り、もしくは嫁にもらってほしいと言ったこともある。彼はこの心神喪失の娘を厄介者とみていた。村中が知っているように、かつて村の党支部書記を務めた父親の柳作瑞は、真面目に生計を立てず、お金があればすぐに食べたり飲んだり、ギャンブルをしたりして、男女関係も乱れていた。志梅さんに美味しい食べ物を買わせるために、法輪功修煉者が好意で柳作瑞に渡したお金を、彼は飲んだりギャンブルをしたりして使ってしまった。
 
 それから志梅さんは妊娠したが、彼女自身はまったく無知な状態だった。妊娠5カ月の時に体形が次第に変わった。2009年5月の下旬、親戚は彼女に中絶手術をさせた。
 
 村民の証言によると、志梅さんが大声で「助けて」と叫ぶのを聞いて、急いで家の中へ入って見ると、志梅さんは全裸になり、父親が彼女のそばに立っていた光景が何度もあったという。志梅さんは服を着ないまま家から出て、近所の家をノックして救助を求めたことも何度かあった。
 
 母親が亡くなった後、兄・柳志清は一度、志梅さんを自分の家に迎えたが、志梅さんの精神異常の挙動が兄夫婦に嫌われて、柳志清は何度も妹を殴った。2009年秋、柳志清がギャンブルに行く前に、おそらく志梅さんが何か良くないことを言ったのかもしれないが、柳志清は力を入れて志梅さんを殴り、家から追い出した。志梅さんは立つことすらできなくなって、父のいる家まで這って帰った。帰ってから2カ月ベッドに寝たきりで、起きられなかった。時々、目玉が動かなくなり、人の顔も識別できなかった。父親は村の医者を呼ぼうとしたが、父親の人柄が悪いため、診察料も払ってもらえないと心配して医者は来なかった。
 
 志梅さんが道を横切って父の家まで這って帰った時、村民は誰一人彼女を助けようとしなかった。村民は中国共産党に洗脳教育をされ、中国共産党が作り上げた法輪功への誹謗中傷を疑わなかった。良い人を迫害する中国共産党こそ、志梅さんの悲劇を作り出した本当の犯人だと誰も分からず、かえって志梅さんの悲惨な遭遇は法輪功を修煉した結果だと愚かにあざ笑っていた。また、父親の柳作瑞が嫌われていたこともあって、村民は志梅さんの不幸をただ傍観していた。
 
 快復に向かう中、再び連行
 
 近所の法輪功修煉者たちは民家を借りて、志梅さんを迎えて細心に看護した。志梅さんが徹夜で寝ない時、修煉者は交代で彼女を見守った。彼女の大小便を始末し、服と布団を洗って、彼女に投げられて砕けた食器を片付けた。彼女に殴られて引掻かれても気にせず、彼女に新しい服を買って、本を読んであげた……志梅さんは少しずつ落ち着くようになった。
 
 しかし、彼女の神経は依然として非常にもろかった。ちょっと刺激を受けても病状は重くなり、繰り返し発作を起こし、快復には数カ月かかる場合もあった。快復に向かう間も、少しの刺激を受けただけで、すぐに再発した。志梅さんを看護している法輪功修煉者たちは大変な苦労を払った。修煉者たちの細心な看護と善意な感化の下に、一時期、志梅さんは良い快復を遂げた。布団に排尿しなくなり、自分で野菜を炒めてギョーザを作ることもできて、性格も温和になった。
 
 ある日、彼女は意外にも筆を手にとって1ページの文字を書いた。なんと「厳正声明」というものだ(以下の写真参考)。彼女は法輪功の本を読み始めて、時に2、3ページを続けて読むことができ、調子が良い時は一気に10数ページも読めた。彼女の意識がはっきりする時間はますます多くなって、ぶつぶつと独り言を言う時が少なくなった。身だしなみも清潔で整然となり、完全な快復まで遠くないようだった。
 

 タイトルは「厳正声明」。「私は本当に転向したことがあり、師父が伝えられた法輪仏法に申し訳ありません。これから精進することを、ここで厳正に声明します。柳志梅、2010年3月21日」
 
 しかし、完全な快復が見込まれていた時、2010年4月16日、山東省莱陽市公安局柏林荘鎮派出所の警官は志梅さん、および彼女を看護している4人の法輪功修煉者をともに連行し、借家の家財を没収した。
 
 警官が借家に突入した時、声を出す人はいなかったが、突然、志梅さんは別人になったように、一言一言はっきり発音して、とても流暢に「警官さん、私は柳志梅といいます。法輪功を修煉した私は12年の懲役を言い渡されました。私に死刑もしくは死刑猶予を下しても宜しい」と、まるで教材を暗唱するように話した。
 
 莱陽市公安局に尋問された時、志梅さんは彼女を看護していた法輪功修煉者の状況をあらいざらい話した。彼女は山東省女子刑務所に戻ったとき、まるで「囚人」のように、刑罰を逃れるため「ストックホルム症候群」のように全力で警官に奉仕した。
 
 彼女を連行した警官によると、彼は志梅さんの心神喪失の実情を知らず、命令を受けてここの借家をすでに20数日も監視していたという。
 
 4月18日、志梅さんは実家に帰された。数日後、ある怪しい男が突然現れて、彼女の交際相手だと自称して、彼女を連れて市場へ行ったり街を連れ回した。
 
 (続く) 
 
2011年02月16日

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