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法輪功に迫害を加える百年の名門・清華大学(二)


文/海外の清華大学卒生

(明慧日本)
 
 五、清華大学生の法輪功修煉者が受けた迫害
 
 (1)迫害され死亡
 
 袁江さん(男性)、清華大学電子学科1990年入学。卒業前は清華大学の法輪功煉功場の指導員になり、善良で温厚な性格の持ち主。卒業後、甘粛省蘭州市電信局に入社、勤勉で技術力が高く評判が良く、蘭州市電信局付属の情報技術工程会社の副社長を務めていたが、法輪功の修煉を放棄しないため2001年8月30日不当に逮捕され、残虐な拷問に遭い、11月9日に死亡、享年わずか29歳。
 
 袁さんは身分証を持っていないとして2001年8月30日、甘粛省敦煌付近のバスの中で逮捕された。袁さんに法輪大法の修煉を放棄させ、また、他の法輪功修煉者の状況を白状させるために、甘粛省公安庁は袁さんに残虐な拷問を行った。情報によると、拷問に使う用具だけで車2台にいっぱい積まれていたという。
 
 10月26日前後、袁江さんは奇跡的に脱出して山の洞穴に身を隠し、4日間も意識不明だった。同時に、蘭州市当局は2000人もの兵士と警官を動員して、蘭州市をひっくり返すほど捜査した。袁さんは這って山を出て、ある法輪功修煉者の家にたどり着いた。とても暖かく迎えられて細心な手当てを受けたが、拷問で負った重傷のため11月9日に他界した。
 
 袁江さんが亡くなった後、公安局は大規模な捜査逮捕を行い、袁江さんを救助した法輪功修煉者10数人が相次いで逮捕され、袁さんの年配の両親も厳密に監視された(袁江さんの父親は西北師範大学の教授で学部長、母親は某学校の高級教師)。
 
 (2)学生に対する迫害
 
 1.柳志梅さん、清純で善良な農村出身の彼女は、1997年に山東省トップの成績で清華大学の化学工程学科に推薦で入学した。しかし、法輪功を修煉しているとして2000年8月、清華大学から休学処分を受けて2001年3月に強制退学をさせられ、2001年5月、北京市海淀区の借家で連行された。
 
 柳さんはいくつかの留置場を転々と移送され、多くの苦難に遭った。殴打で彼女の頭部は変形して、胸を怪我し、何枚も爪が剥がれた。警官らは1本の椅子の足を彼女の足の甲に置き、椅子に座って踏みつけたり、足を殴ったりした。そのため2カ月ほど彼女の足はずっとびっこを引いていた。さらに残酷なことに、数人の男が志梅さんを吊るして、「ほかの同修の名前を白状しないと、お前の服を全て剥いでやる」と言った。
 
 北京市公安局第7処の留置場で、ある日彼女は両目を覆われ、長さ2メートル、幅1メートルの独房に2カ月閉じ込められた。このような環境に2カ月置かれて精神異常になった人が多くいる。
 
 2002年11月、柳さんは10数項目の罪名を着せられ、懲役12年の不当判決を言い渡され、本籍地の山東省女子刑務所(済南市にある)に移送された。それから、柳さんはさらなる残酷な迫害、ひいては性的迫害を受けた。2008年11月出所前、刑務所は柳さんに毒物を注射した。家に着いた3日目から、柳さんに精神異常の症状が現れて、大小便もベッドで失禁した。
 
 柳さんの母親は当初、娘の12年の懲役を知ってから、精神的にショックを受け半身不随になった。やっと待ちに待った娘が出獄したが、数日の間に娘が精神異常の廃人になるのを目撃した母親は、巨大な打撃に耐えられず、娘が出獄して3カ月後に他界した。
 
 柳さんは記憶を失い、自分の名前さえ覚えられないが、家の壁に「清華大学」と書いた。これほど残忍非道な迫害を受けても、彼女は清華大学を忘れていなかった。
 
 2.張連軍さん(男性)、1995年に清華大学土木工程学部に入学、内モンゴル赤峰市農村出身。1999年7.20に法輪功に対する迫害が始まってから、張さんは何回も陳情に行き、何回も連行され、流離の生活を送った。2003年1月に逮捕され、北京の留置場で殴打されて頭部に重傷を負った。警察に小脳神経破壊の手術をされ、張さんは全身不随の植物人間になった。2004年4月、張さんは8年の懲役を下された。
 
 2004年5月に北京警察は車で張さんを赤峰市にある「内モンゴル第4刑務所」に運んだ。その時の張さんは全身不随、大小便失禁、自力で食事ができない、話せない、目の動きがとても遅い状態だった。
 
 刑務所側は厳密に張さんを監視して、他の法輪功修煉者との接触を完全に防ぎ、重傷の原因は張さん自身が転んだと言いふらした。9人の囚人が3交代で張さんを看護した。看護の内容は食事をさせること、および張さんのすべての動きを記録することの二つに分けられた。
 
 食事の時、囚人はスプーンを張さんの口もとに置き、張さんが口を開く時に入れる。しかし、張さんがご飯をいつになったら飲み込むか誰も分からない。このように時々食べさせることしかできない。
 
 張さんは極めて衰弱して、動作はめったにない。当直の囚人は張さんをじっと見て、たとえ口が少し動いても、目を少し開いたような動きでも記録するようにと指示されていた。
 
 朝、囚人は張さんの濡れた敷布団を干す。昼間に張さんが排尿して敷き布団を濡らすと、時に囚人は交換するが、時には濡れたまま放っておく。張さんの身体にシーツをかけて、全裸でずっと横たわっているので、体に多くの床擦れができた。何もかけてもらえず全裸にされる時もある。彼自身に自己保護の能力が少しもないので、時に意地悪な囚人に身体を辱められる。
 
 その後、張さんは刑務所の病院に移送され、毎日点滴に頼って命を維持している。面会に来た両親と妹がいくら張さんの身体を揺らして号泣しても、横たわっている張さんに何の表情も動きもなく、家族の一時出所の要求は却下された。今も張さんは内モンゴルの第4刑務所に横たわっている。刑務所側は北京方面からの指示だと言って、張さんを釈放しない。
 
 3.叢大洋さん(女性)、東北3省トップの成績で清華大学工芸美術学院に入学して、学問と品行ともに優れていたが、法輪功を修煉しているとして2002年8月に逮捕された。1週間後、彼女の母親も大連市で捕まえられた。姉は大連市で不法に労働教養を強いられた。
 
 2003年12月19日、16カ月も不当に拘禁された後、叢さんは10年の懲役を言い渡された。法廷で堂々と自分の無罪を弁護した叢さんを裁判官は何度も止めた。叢さんは北京市地裁に控訴して、弁護士も依頼したが、地裁は開廷をしないまま前回と同様の判決を下した。弁護士も一言も弁護しなかった。
 
 叢さんは現在、遼寧省女子刑務所第2区に拘禁されている。出所した一般囚人の話によると、邪悪からのプレッシャーを抱えても、叢さんは信仰をしっかり守っているそうだ。
 
 4.姚悦さん(女性)、1996年に清華大学微電子研究所修士課程に入学。学部卒業時、「北京市優秀卒業生」に選ばれた。1999年9月3日に大学構内で公に煉功をして、清華大学派出所に連行され夜明けまで取り調べを受けた。退学処分を受けて、2001年1月1日に逮捕され、12年の懲役を下された。刑務所で姚さんの手はベッドの手すりに固定され、スタンガンで手首を電気ショックを加えられた。
 
 5.王欣さん(男性)、1999年に清華大学精密機械研究科博士課程に入学。「細越育英奨学金」を含む多くの奨学金を得た。学部卒業時、学業が優秀なため、試験免除で直接博士課程に進学。1999年10月、清華大学に休学処分をされて、「法輪功を思想から離脱しないと復学できない」と告知された。2001年4月に捕まえられて、12月13日に9年の懲役を下され、その後、遼寧省南関嶺刑務所に拘禁された。2009年の旧正月前、王さんは断食で迫害を抗議した時、刑務所に「灌食」をされて気管を刺され、一時的に生命が危篤になり、病院に運ばれて一命を取り止めた。王さんの母親は息子を気づかいながら、2005年初めに他界した。
 
 6.王為宇さん(男性)、1996年に清華大学の精密機械研究科に入学。何度も「優秀学生奨学金」を得て、学部卒業後、試験免除で直接博士課程に進学。在学中に法輪功の修煉を始めた。1999年9月と10月の2回、修煉体験交流会に参加したため、清華派出所に取り押さえられて、4、5時間ずっとしゃがむ姿勢を強いられ、深夜まで尋問された。2000年6月に休学処分をされた。2000年7月22日、天安門広場で人と話をしたところで乱暴に連行されて、1週間も拘禁された。2000年後半から、しかたなく学校を離れて流離生活を送っていた。2002年8月、会社で勤務中に国家安全局のスパイに秘密裏に連行され、その後、懲役8年の不当判決を下された。現在、天津市前進刑務所に拘禁されている。
 
 王さんは多くの残酷な虐待を受けた。2002年8月、北京法制センターに入れられて6カ月半の間洗脳され、長期間独房に監禁された。警官らは王さんに何の衣服も与えず、王さんは捕まえられた時(夏)のシャツ1枚で2002年の寒い冬を耐えてきた。また、王さんは何度もスタンガンで長時間殴られた。頭を含む全身を強くスタンガンで打たれて叩かれ、警官らはひじで残忍に王さんの頭部を打った。王さんのてっぺんの皮膚が全部剥がれて、半年経っても、体中に電気ショックを加えられて焦げた黒い跡が見える。また頭部に深刻な後遺症が残り、よく頭痛が生じる。
 
 天津市前進刑務所に拘禁されていた間、2006年10月、王さんの右足のかかとの内部が怪我をして、足裏を地面につけることができない。怪我の原因は不明、3カ月半経っても何の検査も治療も受けていない。面会の時、やっと家族が王さんの怪我を発見した。家族が骨科医師に聞いたところ、王さんの症状から見れば、アキレス腱が切れたか、もしくはひびが入った可能性が非常に高いので、直ちに手術しないと障害が残る恐れがあると教えられた。刑務所側は王さんの怪我を知っても、毎日王さんに体操と肉体労働を強いている。
 
 7.黄奎さん(男性)、1999年に清華大学精密機械研究科博士課程に入学。「優秀学生一等賞」をはじめ多くの奨学金を得て、「清華大学優秀卒業生」に選ばれた。学部卒業後、試験免除で直接博士課程に進学した。1999年10月、法輪功修煉を学んでいるとして休学3カ月の処分を受けた。2000年6月、大学構内で煉功したため、派出所の警官に公然と殴られ、その後は除名された。2000年11月、中国南部の珠海市で不当に逮捕されて、5年の懲役を下された。
 
 留置場と刑務所で黄さんは多くの虐待に遭った。囚人の名札をつけず、共産党称賛の歌を歌わないために、黄さんは幾度も打たれて罵倒された。長時間しゃがむ姿勢を強いられ、深夜まで法輪功を中傷するビデオを見ることを強いられ、鉄の椅子に縛られることもあった。毎日16〜18時間以上の肉体労働を強いられるほか、「政治洗脳」もされた。2004年3月、黄さんは断食抗議をしたため、刑務所は「闘争会」を開いて、黄さんを数百人の前でひざまずかせて、10数本のスタンガンで殴打した。
 
 ある日、警官は10時間連続で黄さんを罵倒し、その間、彼に一度も飲食とトイレに行かせなかった。2004年12月から、同室の囚人が刑務所の指図を受けて、夜、10分ごとに黄さんを起こして、彼の掛け布団をめくった。また囚人はよく強くひじで黄さんのひざを押え、とても痛んだ。2005年3月中旬から1カ月の間、黄さんは毎晩のように当番室に呼ばれて、一晩中小さい腰掛けに座らされ、法輪功を中傷するビデオか本を見るよう強いられた。毎朝の起床時刻は5時50分だが、5時40分にやっと帰らせてもらえるので1日の睡眠時間は10分足らずである。一番ひどい時は、1日に1分も眠ることができず、少し目を閉じるとすぐ起こされた。
 
 8.馬艶さん(女性)、1994年に清華大学建築学部に入学。清華大学人文学院で伝播学の第2学位を修得した。馬さんは1998年7月から法輪功を修煉した。2000年4月25日、天安門広場で「法輪大法は正法だ」と声を出したため、不当に1カ月拘留された。拘留して数日経っても、当局は彼女の両親に知らせず、両親は大変心配した。馬さんは清華大学から退学処分を受けて、2000年11月に逮捕され、2002年9月に5年の懲役を下された。
 
 9.兪平さん(男性)、1995年に清華大学熱エネルギー研究科修士課程に入学。「シーメンズ奨学金」など多くの奨学金を得た。1999年6月、「国家863計画」の宇宙飛行分野の某ハイテクプロジェクトをテーマにして博士論文を完成させ、「優秀論文」に選ばれた。しかし、6月20日に法輪功のために天安門広場で陳情したため、清華大学は兪さんの博士論文を放置して、ずっと兪さんに博士学位を授与していない。当時、兪さんは米国オハイオ大学の全額奨学金をもらったが、博士学位がないため、オハイオ大学に進学する機会を失った。
 
 2000年後半、兪さん夫婦(妻・趙玉敏さんも法輪功修煉者)は息子を連れて、計7回も天安門広場に行き、法輪功に対する迫害を抗議した。天安門広場で何度も警官に殴打された。2000年11月、兪さん夫婦は北京の警察に連行され、兪さんは不当に4年の懲役、趙玉敏さんは2年半の懲役を下された。
 
 2008年4月19日午後4時、警官は家に突入して兪さん夫婦を連行して、2人にそれぞれ2年半の労働教養を強いた。趙玉敏さんの母親で68歳の秦秀娥さん(法輪功修煉者)も2年の労働教養を強いられた。兪さんの息子と1歳の娘が家に残されて、面倒を見る人がいない。
 
 10.秦鵬さん(男性)、1999年に清華大学経済管理学院MBA課程に入学。「優秀学生」「優秀学生幹部」に何度も選ばれた。1999年10月に法輪功修煉体験交流会に参加したために捕らえられ、2000年6月に公の場所で煉功したために再度捕らえられ、清華大学に休学処分を下された。
 
 2001年1月1日深夜、彼と妻の王ウェンさん(法輪功修煉者)は1歳にもならない息子と一緒に連行され、秦さんは2年の労働教養を言い渡された。釈放後の2003年6月、清華大学で卒論の発表をしたところ秦さんは再度捕らえられ、ベッドか鉄の椅子に縛られて殴打されるなどの虐待に遭った。秦さんは2004年初めから断食抗議をして、かえってもっと残酷な虐待をされ、大小便さえ制限された。4月に、数十日も断食した秦さんはやせこけて、歩くことも大小便も自力でできなくなったが、警官はまだ彼に野蛮な「灌食」をした。極度に衰弱した秦さんが刑務所の奴隷労働の免除を申し立てると、警官は秦さんに手錠と足枷などをはめた。秦さんの手足は腫れ上がって麻痺し、左側のひざは正常な動きができなくなった。
 
 (3)教員、職員とその家族に対する迫害
 
 1.白栄春さん(男性)、北京航空航天大学卒業、清華大学関連の紫光会社と同方会社でコンピュータエンジニアとプロジェクトマネージャーを担当した。1998年に他の同修と一緒に北京体育大学の煉功場所、圓明園東門の煉功場所を立ち上げて、圓明園東門煉功場所の指導員を務めた。2001年5月7日、法輪大法の真相資料を印刷したために公安局に逮捕された。
 
 白さんは信仰を放棄しないため野蛮な殴打に遭い、留置場側は白さんに食事を与えず、眠らせなかった。2001年8月、白さんは北京市法制センターの「転向クラス」に入れられて洗脳された。2002年9月、懲役13年の不当判決を下されて、本籍地の瀋陽市大北第2刑務所に移送された。
 
 2.孟軍さん(男性)、清華大学電子工程研究科修士修了後、同大学で教鞭を取った。1999年9月と10月の2回、北京市公安局に拘留された。法輪功の信仰を放棄しないため清華大学を解雇された。2000年6月、天安門広場に行って法輪功のために陳情したため拘留された。2000年12月31日の真夜中に、法輪功の真相資料を貼るときに警官に連行された。警官は孟さんを2時間もスタンガンで電気ショックを加え、木の棒で彼のひざ、腕、太ももの両側を打ち、ひざの傷口だけでも長さ6、7センチに及ぶ。2001年12月13日、孟さんは10年の懲役を下された。
 
 3.董延紅さん(女性)、清華大学職員の娘で、「全国書道コンテスト」で受賞した。法輪大法への信仰を堅持したため、清華大学西南楼住民委員会に「重点監視人物」とされた。2001年1月、住民委員会に「談話」と言って呼び出され、そのまま家に帰れず拘留された。2001年12月13日に懲役5年の不当判決を下された。刑務所の中でも意志を曲げることなく、法輪大法の信仰を堅持したため、家族面会の時、そばにずっと監視の警官がいて、会話内容も制限された。
 
 4.虞佳さん(女性)、清華大学経済管理学院講師。2000年新年に天安門広場へ行き、法輪功のために陳情したことで、不当に1カ月拘留された。その間、5日間連続で両手を背中で手錠をはめられて、飲食と睡眠も禁止され、両腕に重傷を負った。出所後、清華大学に停職され、毎月わずかな生活費だけが支給された。大学構内で公に煉功したため、何度も派出所に連行され、警官に公の場で殴打されて負傷した。2000年11月27日、不当に3年半の懲役を下された。
 
 5.邱淑芹さん(女性)、清華大学化学工程学部卒業、清華大学教務処の職員。法輪功の修煉を堅持したため大学にリストラされ、少額の生活費だけを支給された。2000年4月25日、天安門広場に行き平和に陳情したため、不当に1カ月拘留された。拘留の間に煉功を続けたため、連日両手を背中で手錠をはめられた。釈放後、清華大学構内で公に煉功をしたため、何度も拘留されて殴られ、家財を没収された。2000年7月20日前に北京市公安局に連行され、1カ月近く拘留された。数年来、邱さんは10数回捕らえられ、6回も拘留され、拘留中に両手を背中で手錠をはめられたことがあり、「灌食」されたこともある。2002年、清華大学は邱さんの退職金を全数押さえて、全家族の唯一の生計を断った。2002年10月、邱さんは再度労働教養を強いられた。労働教養所で転向を拒んだため、長期にわたって独房に入れられた。刑務所は麻薬常用者を使って邱さんを24時間監視した。邱さんの頭部は殴打で重傷を負い、手術後、頭蓋骨が一部欠ける状態になり、すでに廃人となった。
 
 (4)海外にまで及ぶ迫害
 
 1.趙明さん(男性)、清華大学コンピュータ学部1993年卒業。清華大学関連の紫光会社でコンピュータエンジニア、部署マネージャーとプロジェクト責任者を担当していた。1999年3月、アイルランドダブリンの大学のコンピュータ研究科修士課程に入学。その年のクリスマス期間に帰国して、中国政府の法輪功に対する弾圧を止めるよう呼びかけたため、不当に拘禁され、本籍地の長春市に送還され、旅券も取り押さえられた。
 
 2000年5月、趙さんは北京で警官に身柄を拘束された。北京留置場で趙さんは断食抗議をしたことで、野蛮な「灌食」に遭った。10人もの囚人が警官の指示のもとで、趙さんをひどく殴打し、趙さんの太もも一面は黒紫色となり、2週間も歩くことができなかった。そのほか、趙さんはよく殴打と電気ショックを加えられ、肉体労働も強いられ、片足が殴打で障害が残った。また、よく洗脳を受けていた。1年の労働教養が満期の時、法輪功の修煉を放棄しないため、趙さんは拘禁を10カ月延長された。釈放される2週間前、5人の警官は趙さんをベッドに縛り、電圧が数万ボルトにも及ぶスタンガン6本で同時に趙さんに電気を加えたため、趙さんの体が激しく震えて、足がけいれんした。残酷な迫害は、趙さんを心身ともに極めて傷つけた。
 
 国際社会の正義の呼びかけのもとで、不当に2年近く拘禁されていた趙さんは、2002年3月12日に釈放された。
 
 2.高春満さん(男性)、清華大学化学工程学部教授。1950年代にロシアのサンクトペテルブルグ国立化学工業大学を卒業。帰国後、ずっと清華大学で教鞭をとり、中国の水素爆弾の研究、および清華大学の科学研究成果の産業化のために大きく貢献した。1999年〜2001年の間、中共「610弁公室」のリーダー・李嵐清は自ら清華大学に出向し、迫害の陣頭指揮をとった。このような状況の下で、高教授はしかたなく中国を離れてロシアに避難した。2003年、高教授は国連に難民申請を提出し、年内に許可を得た。
 
 2002年に、「未来科学シンポジウム」で、高教授は『未来の教育工程』をテーマにして論文を発表したため、中共「610弁公室」は高教授に注目し、ベテルスブルクまで警官を派遣して高教授を捕らえようとしたが、高教授は友人の保護で逮捕を逃れた。
 
 2007年、中国共産党は巨額な経済援助を交換条件にして、ロシアに法輪功迫害に協力させた。法輪功迫害のリーダー・曾慶紅は、5月13日の「世界法輪大法デー」に高教授の身柄を拘束するように命令した。現在、高さんはすでに北京に送還されたが、状況は不明。
 
 (続く)
 
2011年02月22日

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