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親切心から他人の事に過剰に干渉したことで得た教訓

(明慧日本)新年が明け、新しい仕事が見つかり、私は教育機関の受付の仕事を始めました。この仕事のは待遇はとても良くて、オーナーは教育品質を重視し、同僚も法輪功の真相を分かってくれた後、自分の修煉にとってとても良い環境になり、毎日図書館にいるようにゆったりとして、大量の時間を使って法を暗記できるので、私はこの仕事をとても気に入りました。ただ、この会社はずっと赤字で、この状態が続くと、ここにいられなくなってしまい、また新しい仕事を探さなければならないという状況に直面していました。そこで私も積極的にオーナーを手伝い、様々なアドバイスをしたのですが、少しも良くなりませんでした。
 
 その後、すこし経験のある新しい管理者が来たのですが、状況は変わらず、前と同じように方法を探りながら前へ進んでいました。私は、自分が管理者に重視されていると思い、元気が湧いてきて、自分の範囲内のことでなくても意見を出したり、甚だしきに至っては自分の意見の通りにしてほしいという要望も出しました。幸い上司と管理者はおとなしい人で、何も言いませんでした。私のこの行動は、他人のためにやっていると自分では思っていて、意見も正しく、間違いがないと思っていました。
 
 しかし、現実は皆がいくら頑張っても、困難が相次ぎ、各方面で状況が好転する気配もなく、新聞に広告を出しても問い合わせをする人がいませんでした。また、チラシを配っても効果がなく、教師を募集しても応募する人がいないという状況で、何をやっても無駄でした。しかも自分の頭の中に「ここは長くてもあと3ヶ月で終わり」という言葉がずっと浮かんでいました。私は、これは旧勢力の按配で、認めてはいけないと思い努力し続けました。しかし、目の前にある現実に対して、自分はどうしようもないとも感じていました。
 
 ある日のお昼頃、私は管理者から学生に調査の電話をかけるよう言われました。しかし、私は「まだ時期ではないので、一週間後にかけたほうがいい」と自分の考えをいいました。管理者が私に長いこと説明をしていただいても、自分は納得できず、相変わらず自分の考えを主張し、自分が正しいと思いました。このとき、ほかの同僚から「一緒にごみを出しに行こう、一人では重くて持てないから」と頼まれました。一緒に歩きながら同僚は「あなたはどうしてそんなに頑固なの? その程度の給料しかもらっていないのに、管理者の仕事まで関与するなんて。自分の仕事だけをすればよく、彼女の言う通りにやればいいのに、何でもあなたの言う通りにやろうとして、あなたは管理者でもないのに、もし問題が出たらあなたは責任を負えますか?」と言われました。彼女は常人の理で話していたのですが、私には分かりました。これは師父が自分の仕事をよくやればいい、余計なことをしないと教えてくださっていることを。このことが分かった瞬間、私は全身が軽くなりました。私はごみを捨てた後、管理者に「おっしゃる通りにやります。私はこの業界では素人だし」と言いました。
 
 一日の仕事が終わる前に、私たちは近くの学校へチラシ配りに行きました。行く途中、突然すべてが変わった気がしました。3ヶ月後にこの会社を退社するという気持ちもなくなって、会社の利益も上がり、これからよくなると感じました。翌日、問い合わせに来る学生も出てきて、今まで募集してもなかなかできなかった教師の仕事にも応募しにくる人がいて、たくさんの良いことが出てきました。上司も笑いながら「なぜか良いことがどんどん来たぞ!」と言っていました。
 
 常人社会では他人に親切にするのはいいことですが、しかし、大法弟子はさらに高い基準で要求しなければなりませんので、あまりにも親切過ぎて、他人の責任範囲内の事に関わると、悪いことをしたことになるかもしれません。
 
 今、やっと私は法に基づいて分かるようになりました。自分のやるべきではないことを行ったり、または自分の仕事の範囲を超えることをすると、修煉の理で量ると間違ったことになります。私たちは神の道を歩んでいるので、これらの人間の観念をも捨てるべきです。
 
 この親切という行為自体も、修煉者の善ではありません。私の理解では修煉者の慈悲の表れは、まず人間の各種の執着心を取り除くことです。執着心がなければ、修煉者の正念が自然に出てくるもので、慈悲も自然に現れてきて、装うことではありません。私の周りの同修は、人心で慈悲の状態を想像しています。慈悲のことを話すと、すぐ、にこにこし、人と親しい状態が慈悲であるかのように思っています。また、大法弟子の威厳に言及すると、すぐに誰をも自分を犯してはいけないといった様子になり、このような態度が、まるで大法弟子の威厳のようです。これも人間が想像した威厳です。人心をなくさなければ、慈悲も威厳も表現できるものではありません。これは神様が有するものであり、人間が有するものではありません。
 
 実は既にすべてがあり、師父が教えてくださるこの法は宇宙大法ですので、法の要求に基づき行えば、大法が私たちを変えることができます。
 
 個人の次元に限界があるので、不足のところを慈悲でご指摘願います。 
 
2011年05月27日

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