日本明慧
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ある西洋人修煉者の修煉の道(一)

 私は、アルバニアで生まれましたが、今はカナダトロントの修煉者です。

 私は2002年から法輪功の修煉をはじめました。その時私は、家族とカナダに滞在してから、まだ数カ月しかたっていませんでした。数年間の修煉の中で、大法の素晴らしさと、李洪志先生の慈悲の大きさを常に感じています。私の修煉していない主人でさえ、この数年間で大きな変化がありました。私が修煉を始めた当初、主人は私の修煉に反対し、特に私が真相を伝え、大法の活動に参加すること、または法会に行く時、非常に反対しひいては争っていました。しかし私が法を多く学ぶにつれ、心性がますます向上するにつれて家庭と周りの環境がますます改善していきました。

 当時私の娘はまだ5歳になっていませんでした。私が真相を伝える時は常についてきていました。ある寒い日、私たちはチャイナタウンで資料を配る予定でしたが、やはり娘は私たちについて一緒に配りにいきました。多くの中国人が私たちの配っている資料を受け取り、読みはじめました。また娘はパレードにも参加し、横断幕を持って、パレードの最初から最後までずっとついていきました。私たちに2人目の子供が生まれたとき、家事に追われ、一部の大法のプロジェクトが忙しさのために対応できなくなりました。私は時々、生まれたこの子を大法の活動に連れて行かなければいけないこともありました。今私の娘は13歳になりましたが、常人の友達と電話をしたり、またはインターネットでチャットをすることが増えて、さらに青少年の読む本をますます多く読むようになりました。そのため、私の話をあまり聞かなくなりました。夜寝る時も、私がこの子に転法輪を読み聞かせようとするといつも「もう疲れた。早く寝たい。」と言って拒みました。ここ数年間早く時間がたってしまいましたが、この子の状態をなんとかしてあげたいと思いました。

私は内に向けて探し始めました。まず自分の修煉が精進していないことに気づき、そして私がまだ自分の修煉と、家庭の関係をうまく処理できていないことに気づきました。

師父のマンハッタン説法が私に啓示を与えました。すなわち、「もう一つのことですが、皆さんが常人社会で修煉しており、修煉していない家族に対してずっと正しく対処できていません。もちろん、やはり先ほどの言葉ですが、ここまで達したのは長い間の積み重ねによるもので、最初のとき適切に対処できず、怨念が積み重なり、時間が経つにつれ、隔たりができてしまい、まったく解決できなくなったように見えます。これらの問題は大法弟子が法を実証することに困難をもたらします。これらの問題が起きた場合、やはり大法弟子に間違いがあり、最初のとき正しく対処できなかったから、このようになったのです。実は多くのことは良く協調し、按排することができれば、大法の仕事に影響することはありません。原因はほかでもなく、自分がしっかり対処できておらず、このことをおろそかにしたからです。」『マンハッタン説法』より

答えがここにあることに気付きました。師父は説法の中で早い段階にそれを指摘してくださいました。私は、師父の説法を読んだことがないのでしょうか。いや何度も読みました。しかし、私はずっとこの段落の説法を見落としていました。今になってはじめて気付きました。

私は、最初から、家族に対して真相を伝えることが良くできていませんでした。私は娘と主人に真相を伝える時は、いつも彼らを救わなければいけない衆生としていませんでした。いつも家族を自分の財産のようにしていました。あたかも私の言う事を聞かなければいけない立場かのように。私は、幸運にも宇宙の大法を知ることができたため、自分の家族のすべての人も自分と同じように大法を修煉するようになってほしいと、このことに執着はじめました。しかしこの執着は表面の執着ではなく、それは恐れでもあります。それは自思、自分の名と情に対する執着でもありました。これらの執着の中で、恐れは私の修煉における大きな障害となって、また私が、家族に対して法を実証することをさまたげています。ひとりの常人として、私の主人は気性の荒い人です。

主人が怒り出すと近寄らないほうがよいでしょう。場合によっては数分たたないうちに主人の機嫌は良くなりますが、修煉者にとって、偶然なことは何ひとつありません。私たち二人の間は、私の修煉の当初から仲が悪かったのです。主人は理性を失って、私の娘の前で机やお皿、茶碗などを壊すことがありました。ひいては、私がグループの学法に参加して帰ったあと、主人は私を室内に閉じ込めたり、または、その友人の前で私をけなすこともありました。私は、主人の言動を我慢してきました。しかしそれは修煉者としての忍ではなく、心の中で常に憤りを感じながら忍んでいました。私は今いる自分の次元の中でひとつのことをしています。それは主人が私の大法に対する使命を試していると同時に、私のために業を滅してくれているのです。私の大法に対する認識は、まだ初歩的なものですが、しかし私個人の修煉が、もうすでに法を正す修煉と交わっていました。私は主人に、自分の法と師父に対する信念の強さを伝えた後、主人は急に変わりました。何を言おうと何をしようとまったく妨害しなくなりましたが、しかしそれでも娘をつれて修煉することだけは認めてくれませんでした。

私の、大法を信じる心は口だけに留まって言動に反映されていませんでした。心のなかでは未だに恐れに対する執着がありました。私は、家族や隣人に自分の主人が怒鳴っている声を聞かれるのを恐れていました。私たち一家は隣人や家族にとって幸せに満ちる家庭であるはずでした。面子のため私は、トラブルをさけ、できるだけ主人の言うとおりにしました。

(続く)

 

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/6/2/241789.html)
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