四川省:残酷に迫害された家族3人 命を奪われる(一)
(明慧日本)四川省古藺(こりん)県の法輪功修煉者・張自琴さん一家は数年来、何度も中共(中国共産党)による迫害を受け、一家は離散して肉親を失い、張さん家族4世代にわたる3人の尊い命が奪われた。
以下は、張自琴さん(55)が自ら語った、迫害された事実である。
一、嫌がらせ 家財を没収 恐喝 監視 尾行
1999年7.20以降、中共の江沢民グループは私利私欲のため、法輪功を迫害し始めました。それ以来、警官らは思うがままに一般市民の住宅に侵入して、嫌がらせをしたり、家財を差し押さえたり、私物を略奪したりすることを頻繁に行いました。
石宝派出所の警官は、私の家に侵入し、公然と数冊の法輪功書籍と、私の身分証を奪い去りました。私たち数十人の法輪功修煉者は、真相を伝え、迫害の停止を呼びかけるために、連名の手紙を古藺県政府に渡しました。しかし、古藺県党委員会と政府は、連名の手紙を迫害の根拠として、石宝派出所の所長・曾義らに私の家を徹底的に捜索するように指示し、曾義は私の家にあった宝物(友達が贈呈してくれた昔の剣)を奪い去りました。ある日、古藺県610弁公室のリーダー・傅建は、私の家の金庫を打ち壊して、本棚にあったペアの玉の腕輪、銀の腕輪が消え、現金も見当たらなくなりました。
1999年から2000年にかけてのある日のこと、10数人の大柄の男たちが私の家に侵入し、「お前たちは外に出たらいけない、外に出たら捕まえて労働教養させるぞ」と私たちを脅かしました。ある日の夜中、私たちがすでに眠っていたところ、窓の外で突然、私たちに起きるように叫び声が上がり、私たちが起きると誰もいなくなりました。警官らはこのような嫌がらせをして、私たちの日常生活を侵害し、わざと恐怖心をあおります。私の家族は1日中、恐さで落ち着いた気持ちになれず、誕生日を祝いに来た客をもてなすこともできません。
石宝派出所の警官らは、何回も私の家に侵入し、私と夫に「法輪功と決裂する」という書類に署名をするよう、脅迫しました。ある日、私は固い決意の言葉を書きました。「法輪功と決裂することは、1万パーセントできません!」と。数日後、私が田畑から家に戻ったところ、彼はまたもや私の家まで追いかけてきて、署名させようとしました。私がすばやくドアを閉めようと思った瞬間、彼はすでに室内に飛びこんで来ました。しかし、私は署名をせず、彼は、またもや私の夫に署名するよう強制しました。
『憲法』は、国民の人身の自由は侵されないと定めてあります。しかし、石宝派出所の警官らは、憲法を知りながら法を侵して、私に対して尾行、監視、そして公然と私の人身の自由を侵しています。1999年から2000年にかけてのある日のこと、私が親戚の家を訪問した時、石宝派出所はパトカーで街中私を探し続けたり、また私の夫に深夜大雨の中で、睡眠中の私を起こして、親戚の家から帰るように強制し、夫は雨でびしょ濡れになりました。
2000年8月、私が父の誕生日で実家に帰る途中、石宝派出所の体格のよい運転手が私を追いかけてきて、派出所まで強制連行しました。派出所の警官らは、私のかばんの中身を検査し、そして今日中に家に帰るよう、私に命令しました。私たちは、長期にわたり監視され、日常生活を侵害され、身の安全は保障できず、心が安らぐ日はありませんでした。
馬飛は、いつも向こうのベランダで私の家を監視し、何もなくても、私の家に嫌がらせに来ます。私の家族は、修煉することは心身ともに良いと皆知っていましたが、彼は、家族の前で私に向かって、法輪功の師父を口汚くののしりました。
二、連行 拘禁 ゆすり取る
2000年の夏、法輪功修煉者である私たちは、古藺県政府に行きました。政府に法輪功の真実の状況を伝えるつもりで、人々に法輪大法の素晴らしさを知ってもらい、そして政府を通して上層部へ私達の声を届け、迫害が停止することを望んでいました。
私たちの行動は理性的で、法律に基づいて行動したのですが、古藺県公安局は全ての警官を出動させ、私たち70数人の法輪功修煉者を強制連行し、公安局の2階の会議室で、夜中に尋問を行いました。私たちは眠ることを許されず、警官らは、食べ終わって空っぽになった瓶などを、私たちに向かって投げつけました。尋問する中で、警官らは警棒を振り回し、私たちの陳情の組織者が誰なのか、自白するよう強制しました。本当におかしな話で、国民の合法的な陳情行為は、保護と支持を得ていません。逆に、法律執行部門にひどく扱われてしまいました。一部の修煉者は、不当に労働教養を強いられ、一部の修煉者は、不当判決を宣告され、一部の修煉者は拘禁されました。私の夫は、古藺留置場で37日間拘禁され、70数日間も拘禁された修煉者もいました。
陳情した後、私と他の2人の法輪功修煉者は、石宝鎮派出所に強制連行され、石宝鎮政府の役人が、私たちに「認識書」を書くよう強制しました。陳情は合理的で、悪い事はしていないのに、何を「認識」するのでしょうか? 私たちは、彼らに説明しましたが、彼らの態度はとても悪らつなものでした。その後、私たちは石宝派出所で、数日間迫害を受けました。
2000年10月、私と他の2人の修煉者は、永楽から自宅へ帰るために乗車しようとしたところ、永楽派出所の所長・王洪友らは私たちを強制連行しようとしました。王洪友ともう1人の警官は、全身の力をふりしぼり、反対に私に手錠をはめて、私の法輪バッジを奪い取り、私達を永楽派出所の1階にある、とても湿っぽい部屋に閉じ込めました。部屋の壁は水滴だらけで、座れる場所がなく、水は一口さえも与えられませんでした。
翌日、古藺県の610弁公室メンバー・楊沢均らは、私たち3人を公安局まで強制連行して尋問を行い、また、私たちを不当に10数日間拘禁しました。
2001年、石宝鎮の書記、財政所の所長らは、私が北京へ陳情に行ったのではないかと疑い、警官らを北京へ派遣しました。その時の旅費全額を私の夫に負担させ、夫の老後年金から4000数元を強行に奪いました。
2011年07月22日
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