日本明慧
■印刷版   

機縁を大切に

文/中国の大法弟子

 

真の正法時期の大法弟子になる

 先日、師父の新経文『大法弟子とは何か』を学法し、深く心を打たれ、自分が精進できていていないと深く感じました。例えば、学法や煉功をするときに居眠りをしたり、発正念をするときも居眠りをしていました。三つのことを行うにあたって、私は積極的でなく、常人のことで忙しくして、執着は良くないと分かっていても、長期にわたって放下しようとしませんでした。私は師父の期待に添うことができず、本当に恥ずかしいと思っています。私は新経文を学法した後の体得をまとめ、お互いの精進のために交流したいと思います。私たちは奮い立ち、この瞬間にも終わるかもしれない正法の機縁を掴み、三つのことをしっかりと行い、真の正法時期の大法弟子になりましょう。

 私たちが法を得たのは、容易いことではありません。歴史上、私たちはこの大法の機縁を得るために首を落とされたことがあったかも知れず、数千万年待ち続けたかもしれません。師父は今生で私たちに法を得させるために、様々な手段で私たちを探し出してくださいました。例えば、北京の通州区に住むある同修は当時、飲食店で食事をしていたとき、ある人から『転法輪』を手渡されました。家に戻って『転法輪』を開いてみると、この本を手渡してくれたのは、本の中にある写真と同じ、李洪志師父でした。

 ある70歳代の年配者は、多くの気功を学んだものの効果がありませんでした。彼は次に何の気功を学ぼうかと悩んでいたとき、彼の居住区の正門に7、8才ぐらいの男の子が現れて、彼に「ある高徳な大法の講習会が近くの広州で開かれます。この機縁を失わないでください」と教えた後、この男の子は瞬時に見えなくなりました。この年配者は1994年12月に行われた法輪大法第5期講習会に参加しました。この講習会は、師父の中国国内おける最後の講習会でした。

 もう一つ実例を挙げましょう。ある頑固な年配の男性は、奥さんと娘が彼に修煉を勧めた際に、「家の鶏が取っ手の付いた卵を産んだら、私は修煉を始めるよ」と言ったそうです。翌朝、本当に取っ手の付いた卵が産み落とされました。そしてこの男性は修煉の道を歩み始めました。このような奇跡は数え切れません。

この卵はその当時、産み落とされたものです

 私たちはそれぞれの機縁があって、この宇宙の大法を得ることができましたが、私たちは真にこの機縁を大切にしているでしょうか? 自分の内心に問い正してほしいのです。同修たちはいつも、大法の仕事を済ませてから常人のことを行うと口にしますが、多くの場合は順番が逆になっており、常人のことを済ませて、残った時間に大法のことを行なっているのです。その結果、邪悪に隙に乗じられ、常人のことを行うときに面倒なことが多く、何時になっても終わらないような気がして、長期にわたって魔難の中に陥り、修煉に大きな損失をもたらしているのです。

 師父はおっしゃいました。「今日私が伝えているこの宇宙大法は、人間に最大の機会を与えていることでもあります。なぜならば、これほど大きな法で修煉することは、昔において当然想像もつかないことだからです。ですから、皆さんが今法を得て、私自らの説法を聞くことができ、しかも法を正すことと関係していますが、今皆さんはまだこのことの意義がどれほど偉大なのか想像もつきません。時に皆さんは精進できませんが、それは自分に対して責任を持っていないのです。なんといっても人間だから、人間としての考えがあり、これらのことに気づくことができず、こういう情況になるしかありません。実は、それは言葉で表現できず、将来皆さんは自分がどれほど幸運なのかが分かるようになるはずです」(『米国西部法会での説法』)

 師父はさらにおっしゃいました。「そうですね。皆さん知っていますか? 皆さんは大法弟子であり、天上で無数の生命、無量の生命が皆さんのことを羨ましく思っています。私は今日、どの高次元の神に対しても、その神の次元の高さに関わらず、大法弟子になるようにと話したら、一秒も経たないうち、私の話が終わったとたん、彼は即座に飛んできて、嬉しくてたまらないのです。分かる人なら誰でも分かっていますが、それは自分を救っただけではなく、彼の世界にいる無量の衆生を救うことができ、これは未来の宇宙で最も素晴らしいことです」(『大法弟子とは何か』)

 私は、私と同じように精進していない同修を目覚めさせたいのです。ぼんやり修煉してはいけません。大法弟子に残された時間は残りわずかです。師父はおっしゃいました。「機縁は一度しかなく、放下できない夢幻が過ぎ去ってから、初めて何を失ったかを知るのです」(『精進要旨一』退職した後に修煉する」)

 修煉はとても厳粛なことです。最後になって修煉を緩めてはなりません。わずかでも執着が残っていれば、私たちは円満成就できません。これからは私たちの一つの考え、一つの念、一言一行は法理に符合しなければならず、師の正法を手伝う最後の路を正しく歩み、真の正法時期の大法弟子なりましょう!

 以上の悟りは、次元が限られており、同修の指摘を快くお受けします。

 

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/9/18/246866.html)
関連文章