文/北京の法輪大法学習者
【明慧日本2012年6月18日】私は知識人です。地元で唯一、独学で文系トップの成績で有名大学に入り、大学卒業後は大学講師、政府公務員、企業の高級管理者、トレーニング係などを勤めました。長い間、私は哲学、心理学、管理学、歴史学、法学と文学等、多くの分野を研究したことがあり、自然科学の方面にもとても興味を持っていました。
私は1995年に法輪大法の修煉をはじめましたが、修煉してからとても多くの奇跡に出会いました。ここでは主に体が重力の制限を突破(つまり無重力状態)した方面における真実の体験について、科学的な角度から述べます。それはほかでもなく、万有引力を超越する問題です。
一、法輪大法は私に宇宙、歴史と人生の真諦を教えてくれました
私は幼いことから宇宙と天地の神秘について思考・探索することが好きで、多くの本を読みました。懸命に読んだと言ってもいいでしょう。大学のとき、私は図書館の書籍をほとんど読み、ずっと宇宙、歴史と人生の真諦をしきりに追及していました。しかし、多くの書物を読めば読むほど、私は困惑しました。人類の歴史上、多くの理論と学説が残されましたが、世界と人生をはっきり説明できる理論はありませんでした。人を心から承服させる理論はなかったのです。読書と過度な思考が原因で、私は早くから重度の神経衰弱症と不眠症を患い、一晩中眠れないこともあって、非常に苦しんでいました。
1995年、私は更に多くの学説について研究していましたが、それは私により深い失望を感じさせただけでした。その後、私は中国の伝統文化と気功から、もしかするとより奥深い学識を得られるかも知れないと認識しはじめ、そして気功をやってみようと考え始めました。この時、ある友人が私に法輪功を紹介し、『中国法輪功』(修訂版)と『転法輪』を送ってくれました。
私は『中国法輪功』(修訂版)を読んだ後、この気功は素晴らしいと感じ、そして続けて『転法輪』を読みました。『中国法輪功』(修訂版)を読んだ時に、ただ“良い”と感じたとするならば、『転法輪』を読んだときの感覚は、“最も良い”、あるいは言葉で表わせないほどすばらしい、と表現できます。私は最初、読み始めると手放したくなくなり、一気に読み終えたくなり、読むときに涙ぐんでいました。私の心は人生最大の震撼を覚えました。
私の最も深い感覚は、これほど長い間、自分がとても苦労しながら探していた真理がやっと見つかったということでした。『転法輪』は有史以来、人類が提起した最も根本的な問題について、心から人が心服し、心から敬服するほど、最も完璧に回答しており、本当に表現しようがありません。これは世界のいかなる本をもってしても比べられないものです。千百年来、どれほど多くの哲学者と科学者が現れても、人類の最も根本的な問題に対して完璧に回答することはできず、どれほど多くの智者がどれほど多くの学説を提出しても、誰もこの点において、本当に成し遂げることはできませんでした。
法輪大法は私に宇宙の特性「真・善・忍」を明かし、これにより私の心は豁然と明るくなり、人生の中での数多くの疑問が一瞬にして解けました。私の思想は根本的に昇華し、本当にまるきり別人に変わったようで、心の中の喜びは、本当に言葉で表現できないものでした。
二、数日煉功すると体が浮き上がった
『転法輪』を読んでから、私は宇宙特性「真・善・忍」の基準に従って自分の心性を修煉しながら、『中国法輪功』(修訂版)の写真の解説にしたがって、自分で煉功動作を学びました。非常に奇妙なことに、私が煉功を始めると、一種の無形の力が私の両手を導いて、功法が要求する動作の道筋に沿って動くようにさせました。私は本の中に書いてある「気機」が、両手を導いて煉功するという言葉を思い出しました。私はこれこそ、その「気機」であると悟り、気功は本当にあまりにも奇妙なものだと思いました。なるほど、「気」と「功」は実在の物質存在でした。
その後の煉功のなか、私はますます多く、ますます強烈な体験をしました。「気機」の存在を体験してから、続けて二式目の功法、「法輪椿法」をやりましたが、法輪が両腕の間を旋回していると感じました。「法輪」の実在を体験したのは、これが始めてのことでした。その後、体の多くの部位に法輪が旋回していると感じ、ひいては『転法輪』を両手で捧げて読むときも、法輪が掌の上で旋回していると感じました。私はまた、全身の至るところに無形のエネルギーがあると感じ、そのエネルギーはますます強大になりました。また、体中の強大なエネルギーが大脈の中で動いていることも体験しました。私はますます「功」が真実に存在するもので、「功」は一つの「動詞」ではなく、「名詞」であり、真実に存在する強大なエネルギーであり、修煉者が修煉して出来上がることのできる真実の物質存在であると体験できました。
もし、以上のことがただの感覚だとすれば、これから述べる現象は本当に不可思議なことになります。私が煉功を始めてまだ数日しか経ってない時、私が「法輪椿法」を煉っていると、突然体が軽くなり、体全体が浮き上がり、ある力が私の体を上へと引っ張って行きました。最後には、ただ足の爪先だけが地面とつながっていました。しかし、足の爪先はまるで鉄の鎖によって地面に縛られているようでした。私の体は少しの重さもなくなり、足の爪先の様子は、まったく体の重さに耐えられるものではありませんでした2本の爪先だけが地面についていました。おそらくバレーのダンサーでも、この動作はできないと思います。当時、ちょうどある人が窓から私のこの状態を見ていて、彼女は驚きのあまり「彼の体は浮きあげっているよ」と人に叫んでいました。
このような現象は常人と科学者に対して、解釈し難い現象です。なぜなら、このような理由もない失重現象は万有引力の法則と矛盾しており、現代科学ではまったく解釈できないからです。しかし、本当の気功修煉者にとって、これはとても自然な現象です。
李洪志師父は『転法輪』のなかで、「皆さんにここではっきり教えますが、大周天が通ると人は飛ぶことができるのです」と説かれました。大周天が通ってから、このような状態が現れることが可能となり、道家では「白日飛昇」と称し、古から今日まで、とても多くの修煉門派でこの類の現象が起きました。ただ法輪功修煉者の中で、更に多く現れているだけです。
(続く)