天津市:法輪功修煉者が迫害抗議のハンスト
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   明慧日本2013年1月12日】天津市の法輪功修煉者・滑連友さんと妻・田宗麗さんは、1997年から法輪功を修煉し、心身ともに良くなった。しかし、2001年2月22日、2人は法輪功を修煉していることで、天津市西区の派出所の警官らに連行された。職場の上司は滑さんの家族にたびたび電話をして、2人の仕事ぶりを評価し、早く戻ってくることを願っていると伝えた。

 滑さんの子供は当時11歳で、両親の釈放を求めて、祖母と歩いて派出所、裁判所、検察院へ行った。そのため、さんの母親は足が不自由になった。また、滑さんの子供はもともと成績が良かったが、親が迫害されていることで精神的ショックを受け、教師からもいじめられ、学業成績に影響を及ぼしているという。

 その後、法院(裁判所)は秘密裏、に滑さんと田さんに対して懲役5年と4年の不当判決を言い渡した。それぞれ天津第一刑務所と天津女子刑務所に拘禁された。滑さんは2006年に釈放された時、精神状態が悪く、半年経ってからやっと回復したという。

 2012年4月24日、滑さんと田さんは再び紅橋区佳栄道派出所に連行され、家宅捜索を受け、法輪功の書籍・パソコン・プリンタなどの家財を没収された。

 滑さんの弁護士は6月20日、第一留置場の慈済病院で滑さんと面会し、滑さんが5月24日から1カ月間にわたって、迫害に抗議するため絶食していたことを知った。

 滑さんへの裁判が行われる前に、滑さんの弁護士が所属している司法局は、弁護士の手元の資料を全部没収し、所属事務所に弁護士との解約を脅かした。そのため、滑さんの弁護士は、弁護ができなくなった。9月11日、滑さんの家族が新しく依頼した二人の弁護士と法院に向かったが、裁判関係者全員が秘密裏に慈済病院へ行き、病院で裁判を行った。

 10月9日、滑さんの家族は、滑さんが9月14日に懲役7年の不当判決を言い渡されたことを知り、その時点ですでに判決から20日以上経っていたので、控訴できなかった。

 滑さんはその後、浜海刑務所から新生病院に転入した。家族が見舞いに行った時、滑さんは非常に痩せていた。田さんは現在、天津市北辰留置場に拘禁されている。

  (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/12/28/267081.html)
 
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