明慧法会|自分をしっかりと修め、同修と一緒に精進し、より多くの人を救う(三)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2013年2月20日】

 付近の地区の同修を助ける

 私達は当地区の事をしっかりと行うと同時に、隣県の同修がしっかり行う事にも協力しています。今年の2月、ある同修が私を探しに来ました。とても遠く離れた地区があって、私達の隣県でしたが、彼らの県にいる同修と接触できなくて、そこの同修は「私達は彼らのところに行くことができないだろうか、彼らの問題を解決するように手伝いましょう。電話の中では、はっきりと言いにくいため、どんな問題かわかりません」と言いました。「人を助けるのに地区は問わない。明日にもすぐ行きましょう」と私は答えました。

 翌日、私と技術がわかる同修、運転ができる同修や連絡人と一緒に、車で山を越えて百数キロ先の県にたどり着き、現地の同修たちと会い、みんなで一緒に座って交流しました。現地の同修は私達が来たのを見てとても喜びました。私は彼らにどんな問題を解決すればよいか話してくださいと言うと、30歳ぐらいの女性同修はこう言いました。「あなた達が来てくれてとても助かるわ。ここは両県の境界線に位置し、誰も手が届かないところで、明慧の資料がここに届くのは半月もかかるし、真相資料も間に合わない。私は若いけれど、学力があまりないので、現地で起きたいくつかの情況に対して解決方法を思いつかず、とても焦っています。私は何もわからない…」と涙を流しはじめました、私は彼女に焦らないでゆっくりと言うように勧めると、彼女は涙を拭いて続けてこう言いました。「真相資料が衆生の手に届くまでに、少なくとも半月から1カ月ぐらい過ぎてしまうのです」

 次に76歳のおじいさんの同修が「私は自転車に乗って20数キロ先に資料を届けるのですが、ある時あいにく大雪が降って、帰って来た時に靴の中が凍り付いて、綿入れのズボンも半分濡れていました」と言いました。今回来た同修は、みな目の前にいる老年同修の話に感動して目に涙をうかべました。彼らは続けて「私達が資料点を建てるのを手伝ってもらえないでしょうか。私達にわかるように教えてくれれば、私たちは自分でやります」「それはとてもいいアイデアだわ、私達はきっとうまく調整してあなた達の要求を満足させます」と私が答えました。同修はたいへん感動して、ずっと涙を流し、私達も彼らの清浄な心に感動して涙を流しました。

 「私達の年収は平均して大体7千元ぐらいなので、急にお金を取り出して設備を買うのは困難ですが、あなた達が先に私達に買ってくれれば、私達はすこしずつあなた達に返します」と同修が言いました。「県内に住む私達は条件があなた達よりずっと良いので、あなた達が自分で資料を作り、この周囲20キロメートルの各郷と鎮の衆生を救い済度する責任を引き受ければ、私達は全力を尽くしてあなた達を助けます」と私は言いました。同修は喜んでずっと涙を流していました。「あなた達がこんなにたくさんの困難に直面していることを知らないなんて、すべて私達が悪いのです、今日から私達は一つの全体になるから、どんな困難に出会っても、私達でいっしょに解決しましょう」と私は言いました。

 数日後、私達は車に設備を載せて再びこの小さな鎮に来ました。パソコンの取り付けを手伝ったり、彼女たちに印刷やダウンロードの方法を教えたりして、私達が家に帰るともうすでに深夜12時になるところでしたが、ちょうど発正念の時間に間に合いました。この地区は私達が合計3回往復して、600キロ以上走りました。費用はすべてドライバーの同修1人が引き受けました、私達が彼にガソリン代を受け取るようにいくら説得しても、要らないと言いました。

 5月初めのある日、またある同修が私に手伝って欲しいと言ってきました。私達の県に隣接するある町では、7.20以前には100人以上の修煉者がいましたが、今は10人余りの同修しか残っていません。この数年間、すべての資料は市内の同修から送られてきましたが、往復はとても不便で、2日間もかかってしまいます。彼らにあげた設備は今まで使える人がいなかったため、他の場所へ運ばれていきました。そこは周囲に20余りの村があるのに、大法弟子がおらず、すべて空白の地区でした、現地の同修はとても焦って、私達に助けてほしいというので、私は「助けなきゃ。連絡して、明日すぐに行きましょう」と答えました。

 翌日、私達数人がまた車で100キロ以上先の県に行きました、現地の同修は身内に会ったように、たいへん感動して涙を流しながら私たちにこう言いました、「ここは以前、100人以上の修煉者がいたのに7.20以降、皆が共産党の迫害を恐れて、怖くて修煉しなくなりました.特に私の兄はかつて指導員でしたが、今は修煉しなくなって、皆が彼を見習うので、もし彼が修煉に戻ればたくさんの人に手本を示すことができます」

 ではお兄さんを呼んできて、交流しませんかと私達が提案すると、現地の同修は「今は農村のとても忙しい時期なので、兄は畑仕事をしています」と答えました。そのため、私達は車で15キロ離れお兄さんの家に行くことにしました。私達に会った時、お兄さんはいささか機嫌が悪そうでした。私達は一緒に7.20前の至福の日々を思い出して、「師父は一人でも真の大法弟子を落とすことを惜しんでおられて、今日、私達がここで交流できることも偶然なことではありません。私達は大きな使命を背負って、計り知れない生命の存亡を担っているので、利己的になって目の前のこれっぽっちの利益だけを思うわけにはいきません。時間が切羽詰っている今、難関に乗り越えられないために逃げ道を選んだら、将来、私達にすべての希望を託した衆生にどんな顔で会わせるか、ずっと私達を加護された師父にどんな顔わせるのでしょうか? 法を正すことはまだ終わっていないため、今大法に戻ってまだ間に合いますので、くれぐれも大切な機縁を逃さないでください」と話しました。お兄さんの厳しい表情だんだんまり、彼たと私たちはわかりました。ちょうど昼の発正念の時間にな、「私達と一緒に発正念をしましょう、今からあなたはまた大法の一員になります」と言うと、お兄さんは微笑みました。私達はすぐお兄さんに発正念の訣と姿勢を教えて、これで彼はやっと修煉に戻りました。

 午後、私達が協調人の家に戻ると、そこに私達を待っている同修がいました、その同修の中には、法を得たばかりの人がいたり、法を得て3~5カ月の人がいたり、法を得て8カ月の人もいました。私は彼らに直ちに師父の経文と明慧ネットを見ることができるかと聞いたところ、法を得て3カ月の男性同修が「私は明慧ネットを見ることができる」と言うので、私は「開いてみてください」と言いました。彼がネット封鎖を突破するソフトを使って明慧ネットを開き、そこにあるファイルをコピーして読む過程を私は見ていましたが、彼がセキュリティの設定をしていなかったことに気づきました。そして、彼を片隅まで呼んで笑いながら小さい声でこう言いました。「あなたはとても賢いですが、今度私は技術が分かる同修を呼んできて、あなたのパソコンのシステムを再インストールすれば、今までより便利になるだけではなく、更に安全になります。また、あなたに1台のプリンタをあげたいと思いますが、資料が作れますか」と聞くと、同修は、「できます」と言いました。「それはとても助かります。あなた達の大きな難題が解決できました」と私は言いました。私達がその日に帰って来たのも深夜でした。

 数日後に、私達は資料点のすべての設備を持ってまた車を走らせて100キロ以上先のこの町に来ました。彼らにインストールなどをしてあげたり、印刷の技術を教えたりして、ここにまた一つの小さな花が順調に咲き始めました。現在に至っても、これらの同修は皆よく協力しあって、女性の同修は家で資料を作って、男性の同修はオートバイで配るので、周囲の20余りの村は皆真相資料を見ることができました。

 半年余り、私達は隣県の同修と協力しあい、三つの資料点を作り、当地区の衆生を救い済度する中で、とても大きな役割を果たすことができました。

 私は自分がやることはまだ足りないし、大法が要求することにまだ遠く離れていると思いますが、この1年歩んできた道を思い出すと、すべて慈悲で偉大な師父のご加護の下で、また私の周囲にいる同修達のおかげで、前に向かって歩んできました。この機会に、偉大な師父に感謝し、私の周囲にいる同修達に感謝します。残り少ない日の中で、私は時間を惜しんでよく法を勉強し、しっかり自分を修煉します。また、法を正すことの活動の中で、自己を捨てて全体に協力し、師父が要求した三つのことをしっかりと行い、多くの人を助けます。さらに歴史が私達に与える神聖な責任を負い、一人の合格した、正々堂々とした大法弟子になるように精進し、師父と家に帰ります。

 不足なところがあれば、慈悲なるご指摘をお願いします。合掌。

 (完)

 (明慧ネット第9回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/11/29/263880.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2012/12/17/136690.html)
 
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