法を師にして、平坦な道を歩む(二)
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文/遼寧省の大法弟子 遼祥      

 【明慧日本2013年11月17日】 

 二、真相を伝えて、仕事に復帰する

 2005年の末、3年余りの労働教養を終えました。しかし、次の関門は仕事への復帰でした。迫害前、私は小学校の音楽教師でした。帰って来て、仕事に復帰するには教育局に行かなければなりませんでした。

 仕事について、私は母(同修)と交流しました。私は師父の法の要求に基づいて、三つのことをしっかり行い、仕事を探す期間を利用して、法をよく学び、功を煉り、労働教養所で失った時間を取り戻そうと思いました。その次に、多く発正念をして、旧勢力の按排を否定し、私を迫害し、妨害するすべての邪悪を解体しました。そのほか、仕事を探す過程は迫害を暴き、真相を伝え、人を救う過程でもあると思いました。私は人心を放下して、結果を重視せず、やるべき事をしっかり行い、すべてのことを師父の按排におまかせすることにしました。

 そこで、私は教育局の局長、副局長に復職の手紙を書き、真相を伝えました。手紙の中で、自分が労働教養所で自ら受けた残虐な体刑と拷問の経歴を述べ、世間の人に大法弟子に対する迫害の凄まじさを知らせました。その他、迫害の中で自分と家族が心身に受けた苦痛を述べ、世間の人々の良知と理解を呼び起こしました。また自分は職務を果たし責任を尽くし、市の優秀教師に選ばれたことも紹介して、仕事への復帰を希望し、学校に戻りたい気持ちを切に伝えました。

 仕事を探す過程において、私は師父が説かれた「理智をもって法を実証し、智慧をもって真相をはっきりと伝え、慈悲をもって法を広めて世人を救い済度する」[7]の要求に基づいて、焦らず、世間の人に大法弟子の強靱で屈服しない精神を見せました。最後に教育局から「あなたは家に帰ってよく休んでください。仕事は新学期から手配します」という返事を受け取りました。

 新学期が始まり、教育局を尋ねて行くと、答えは「あなたの資料は市に移しました。市によって再配置されます」という返事でした。これは私が教育界から離れることを意味します。これは私に対する新たな迫害でした。これは世間の大法弟子に対する犯罪ですが、私は決して認めませんでした。

 私の仕事を市が決定するということは、さらに上層部に真相を伝えなければならないということです。師父は、「問題の現れたところは、真相を伝える必要のあるところです」[6]と説かれました。ふだん彼らに真相を伝えたくても、チャンスがなく、私はこの「仕事を探す」チャンスを使って、真相を伝えればよいと思いました。また、これは師父が「仕事を探す」ことを通して、彼らに真相を知るチャンスを与えてくださったと悟りました。そこで私は同様な内容の手紙を、市の党書記と市長、人事局局長に送り、そして発正念の力を強め、邪悪が世間の人を操って大法に罪を犯さないように、また私を迫害する他の空間の邪悪を一掃しました。

 その後、私が庭園局に配置されるという噂がありました。その時私は「すべて師父の按排にお任せします。私を必要とするならば、どこにも行きます」と、引き続き正念を発しました。

 6月頃になって、やっと情報が入り、私は教育局に戻りました。私はまたもとの勤め先の学校に帰り、再び教壇に立つことができ、仕事を探す期間の6カ月の給料も支給されることになりました。

 その過程で、常人のコネや、裏取引はいっさいしませんでしたし、裏金も一銭も使いませんでした。

 この事は、魔難の中で、師父を固く信じ、法を正す道を正しく歩めば、邪悪の迫害を打破することができることを再度実証しました。

 三、洗脳班は私を受け入れない

 2011年9月18日午前8時頃、学校に出勤すると、学校の党の書記に呼ばれました。私は書記室に行きました。階段を上がった時、上の階から何人かの人が下りてきて、私の目の前に立ちふさがりました。私が目を凝らしてよく見ると、その中の3人は体が逞しい見知らぬ中年男で、学校の党の書記もいました。私の目の前に立っている男の人が「私達は政治法律委員会と国保大隊のものです。今日、あなたを省の勉強会の学習に送ります。期間は1カ月です。すでに教育局と話しました」と言いました。私はすぐに警戒しました。これは私を洗脳班に連行するのことではありませんか! 私はすぐに「私は行きません」と答えました。その人は憎々しげに「今日、私達はあなたを連れに来たので、あなたは行かなければならない」と言いました。彼は目で合図をして、別の2人と一緒に私を掴んで、階下に引っ張りました。私が「法輪大法は素晴らしい」と叫ぶと、1人は手でしっかりと私の口を覆って、私が声を出さないようにしました。彼らは私を校門の外まで連行しました。校門前に「特別警察」と書かれた大型の防弾パトカーが止まっていました。本当に大がかりでした。

 その時私は恐れませんでした。車に乗ってから、私は彼らの名前を問いただし、悪い人を放任して、私達のようないい人を捕まえることを非難しました。その後、私を連行する人は地元の国保大隊の大隊長、指導員と政治法律委員会の「維穏弁公室」の主任だと分かりました。そのほかの2人も公安と国保大隊の人でした。その後、もう1人の市の「610弁公室」の幹部も来ました。車には他に連行された2人の大法弟子がいました。私達3人は車でずっと真相を伝え、善悪には報いがある道理を話しました。私はひっきりなしに「大法弟子を迫害するすべての邪悪を一掃する。『私は李洪志の弟子で、他の按排は要らない』[8]と正念を発し、心の中で、決して邪悪に協力しない、どこに行っても法を実証しなければならないと決めました。

 車が洗脳班に到着すると、私は車から降りて、繰り返し「法輪大法は素晴らしい」と行く先で叫びました。応接室に着いても窓を開けて叫び続けました。その時、私は正念がいっぱいで、恐れる心がまったくありませんでした。警官らの侮辱や罵倒は私の心を動かしませんでした。私は大声で「天地よ、証言してください。宇宙の神々よ、私のために証言して下さい」と叫びました。そして私は窓の外に向って師父にひざまずいて、「師父、弟子は師父のために必ず意志を貫いて頑張ります」と誓いを立てました。私は立ち上がると、たちまち無限な力が体中に充満して、正念によって知恵が限りなく生まれ、言葉の一つ一つが邪悪の急所に的中しました。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/11/2/282115.html)
 
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