人間の情を放下し プロジェクトの中で着実に修める
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 【明慧日本2020年6月28日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は2013年に中国から海外に来た若い大法弟子です。母が修煉しているため、小さい頃から、私は大法に触れる機会が多く、高校に入ってから正式に修煉を始めました。今、私は海外の同修と一緒に、真相を伝えるプロジェクトの中で、法を正す師に手伝い、精進しています。本日、この場を借りて、最近の私の修煉体験を皆さんにご報告したいと思います。不適切なところがあれば、慈悲なるご叱正を宜しくお願いします。

 一、プロジェクトの中で観念を修める

 2018年に大学を卒業してから、私はすぐに地元のメディアのプロジェクトに入り、フルタイムで働き始めました。これまで、メディアの仕事に従事しようと考えていなかった私は、同修から「メディアの仕事では人手が足らず、ぜひ参加してほしい」と誘われました。人生設計に関しては、ずっとなるようになるという態度を取ってきた私は、「大法のプロジェクトで仕事ができれば大変光栄なことで、しかも、就職活動をしなくて済むから」と思い、仕事を引き受けました。

 本来、財務の仕事をやろうと思っていましたが、地域の記者の部署に配属され、新聞社で唯一のフルタイムで働く記者になりました。私は内向的で人付き合いが下手で、陽気ではない性格の持ち主ですが、記者と言う仕事は正しく私の弱点を突かれる仕事でした。私は地域の人々と付き合いながら取材をし、さらに、社会動向を追いながら行動しなければならず、ほとんど年中無休でした。そのため、いつも難しく感じ、時には辛くて大変だと思いました。

 仕事を辞めようと思いました。迷った時、昨年のメディア関係者の法会で、同修が真・善・忍の基準に照らし合わせて仕事をやるかどうかを判断する、という交流を思い出しました。そこで、私も大法に照らし合わせて自分が歩むべき道を判断しなければならない、と思いました。そして「自分がメディアの仕事に従事したのは、偶然のように見えるけれど、実は、それは師父の慈悲なる按排である」、また「メディアで働くことは、大法の真相を伝え、法を正す師に手伝うことで、遭遇した困難を乗り越えることができれば、それは妨害を排除し、正念を強める良い機会だ」と悟りました。

 自分の性格の弱点についは、「それは、あくまでも後天的な観念によって形成したものに過ぎず、自分の利己心と名利心を守るためにあるもので、しかも、そのような観念の形成には、旧勢力の関与の要素がある」と私は理解しました。

 師父は「実は、自分自身にある正しくないすべての要素も含めて、すべて大法と大法弟子の正念と一致していないものはいずれも、旧勢力の関与によってもたらされたことです。そのため、私は正念を発することを大法弟子の三つの重要なこととして行なうよう指示したのです」[1] と説かれました。

 その後、ネガティブな考え方が現れると、私は「世間の汚れに汚染されていない私は純粋で綺麗なはずだ」と思い、同時に、発正念をして妨害を一掃しました。それでも難しいと感じた時には、師父の「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」[2] という法を思い出しました。こうして、少しずつ突破して行く中に、「眼前に新たな世界が開ける」[2] という素晴らしい体験をしました。

 二、「情」に対して淡泊になる

 最近、中共ウイルス(武漢新型肺炎)が世界中に蔓延し、感染状況についての報道が焦点となりました。地元は武漢から撤退した僑民(きょうみん)(※)を隔離する場所の一つで、私は地元の感染状況を追跡して報道しました。「この絶好のチャンスを生かしてメディアをいっそう発展させましょう。影響力のある迅速な報道を行ない、一つの報道が大きな作用を果たすというレベルにきっと到達することができます」 [3] という師父の法をしっかりと覚え、出来るだけ生の情報を収集しました。

 中共ウイルスの拡散に従って、地元の数人の若い同修は歌を作って動画で放送するというやり方で、大法の真相を伝えるというプロジェクトを立ち上げました。私も誘われて参加しました。しかし、その後いろいろ考えた末に、私はプロジェクトを辞退しました。皆に出来るだけショックを与えないようにしましたが、やはりこの件で、皆から敬遠されてしまったように感じました。

 しかし、これはほんの始まりに過ぎませんでした。その後、一緒にフルタイムで働いていた同修が辞職しました。彼女は地元メディアの主力で私のパートナーでした。彼女の離職で、新聞社はますます人手が足らなくなり、疫病による経済的な打撃も大きく、仕事がさらに難しくなりました。

 私はとても落ち込みました。こうなったのは自分のせいではないか、と自責の念に苛(さいな)まれ、時々こっそりと涙をこぼしました。

 師父は私達にトラブルに遇えば、内に向けて探すようと教えて下さいました。私も絶えず、自分の執着心を探しました。そして「最初に同修の動画制作のプロジェクトに参加したのは、あくまでも仲間意識という常人の『情』に過ぎず、その間、様々な原因によるイライラする気持ちや、辞退した時の言い訳などもトラブルを深めた原因だった」と思いました。

 少し前、座禅をしていた時、気持ちが落ち着かずに頭が混乱している中で、突然「情から抜け出すことができれば、誰もあなたを動揺させることができず、常人の心があなたを動かすことは不可能となります。それに取って代わるものは慈悲の心であり、より高尚なものです」[2] との師父の法が脳裏に浮かび上がりました。なるほど「自分のネガティブな感情は、全部『情』から来たもので、これらのネガティブな感情から抜け出すには、『情』から抜け出さなければならない」と思いました。

 「情」から抜け出して、初めて慈悲とは何かを体験しました。実は、師父はとっくにこの法理を私達に示してくださいました。いかにして「情」を淡泊に見るようにし、最後に完全に放下するかは、それは私達一人一人の課題ではないかと私は理解しました。

 人心を放下してから、しばらくすると同修から連絡がありました。何事も起こらなかったかのようでした。師父の慈悲なるご加護とお導きに心から感謝いたしました。師父、ありがとうございました。同修の皆さん、ありがとうございました。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『波紋を呼んだ副元神に関する文章について』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [3] 李洪志師父の経文:『二〇一八年新唐人と大紀元法会』

 (2020年青年大法弟子のネット法会の原稿)

 (※)僑民(きょうみん:本国の国籍を持ちながら、外国に居留している本国の国籍を持ちながら、外国に居留している民のこと

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/6/7/407187.html)
 
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