大法を学び続けて心は穏やか、身体は健康
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文/日本の大法弟子

 【明慧日本2020年5月12日】私は、2004年6月16日に熊本で法輪功と出会いました。法輪功と出会う前の私は長年、家で学校の制服を縫製する仕事をしていました。

 法輪大法を学び始める前の私は、人と接することも、人前で話をすることも恐れ、内気でパニック障害を起こして倒れたり、幼いときに高い所から落ちて、死の宣告を受けて生還したものの、酷い頭痛に襲われて鎮痛剤を服用したり、食後は胃の痛みで、毎日缶入りの胃薬を買って飲んでいたりの日々を過ごしていました。

 大法を学び始めると、中国で法輪功学習者が迫害されていると聞いて、驚きました。大法と出会って半年くらいした時に、熊本の同修たちが迫害停止を呼びかける活動をされていることを知りました。酷い迫害の事実を聞いた私は心が痛み「学習者の皆さんを早く助けなければ」との強い思いで、活動に参加するようになりました。

 活動に参加するようになった私は「弱音を吐いたらいけない、法輪功が迫害されている真相を伝え、学習者が開放されるまで頑張って活動を続けなければいけない。世の衆生を救うために自分がこの世に存在するものであるならば、自分の事はさておいて頑張ろう」と思い、同修たちと一緒に法輪功の資料を配りに行ったり、中国領事館前で震えながらも拡声器を使って迫害停止を呼びかける声明文を読んだり「4.25」、「7.20」の活動やパレード、大晦日にはキャンドルを灯して迫害されて亡くなられた同修たちを悼み、皆さんと沿道に並んで座り、発正念をするなどの活動を続けていました。

 神韻公演を紹介する活動

 修煉を始めて何年か経った頃に、神韻公演を紹介する活動が始まりました。私が一番苦手な、人と接することが求められ、とても気が重くなりました。その時、芸術家や音楽家、バレエスタジオなどに電話をかける名簿を受け取りました。電話をかける勇気がなく途方にくれていると、ある同修から「大法弟子でしょう!」と言われました。

 その言葉に、勇気がない私は心の中で「そんなに言うならやってみればいいのでしょう」と反論しながら、まず一軒目に電話をしました。しかし、震えている私は言葉が出ず、しどろもどろで「すみません。このような経験がないので」と言いながら、一応、要件を簡単に伝えて電話を切りました。

 後日、落ち着いて何十軒かに電話をかけると、その仕事は終わりました。終わった翌日、私は吐血しました。「ええ~、私は胃癌ではないのか?」と心配になりました。でも「これは違う! これは浄化なのだ」と思い直しました。

  署名活動

 2008年、北京オリンピックが始まる前の3~8月までの約5カ月間、ほとんど毎日のように、市街地で迫害停止を呼びかける署名活動を行いました。同修と時間を調整しながらとても暑い中で頑張りましたが、署名に夢中になっている最中にバッグを盗まれてしまいました。支払いのお金が5万円程入っていたので、とても焦りました。

 すると同修が「盗む人は、必ずトイレで物色すると聞いたことがある」と言って、側にあるデパートのトイレに探しに行ってくれました。

 すると、しばらくして「谷本朝子さん、守衛室までおいで下さい」と自分の名前を呼ぶ放送が聞こえて来ました。そこへ案内されると、目の前に自分のバッグが有りました。とても嬉しかったのですが、現金は全部盗まれていて、カードや他のものは盗まれていませんでした。警察の方に「不幸中の幸いですね」と言われました。

 その翌日、前回とは違う大き目の塊を含んだものを吐血しました。このとき脳裏に浮かんだのは『轉法輪』第一講 「煉功してもなぜ功が伸びないのか」、「この宇宙には、『失わないものは得られず、得るためには失わねばならぬ』という理があります」でした。ですから、そのことはしばらくすると気にならなくなりました。

 その後一度吐血して、合計三回吐血したあとは胃が痛いとか、頭痛がするとかは一度もありません。本当にお金は失ったけれども健康を頂いたのだと思いました。

 東京へ引っ越し 新しい修煉環境

 それから、数年後に熊本から東京に越しました。東京に越して今年で10年になりますが、法輪功を学んで自分がどれだけ変われたのか? 外に出て仕事ができなかった私が外で仕事をすることができるのか? と考えて、67歳の私は、昨年の9月から仕事をやっています。しかし、現実はとても厳しくて、面接の段階から年齢制限で不採用が続き、落胆しました。しかし、某会社に採用が決まり、面接の翌日から出勤しました。

 朝4時に起きて、一時間半の動功を済ませて準備をし、出勤しました。想像とは違って厳しく、最初から学校給食のご飯を容器に詰める仕事を命じられ「140gのご飯を最初に量ったら、後は計量器を使うな」と言われました。私は「ええ~そんな~」と思いました。従業員の方々の目がみんな自分に集中していると思うと極度に緊張し、何がなんだかわからない中で仕事を終えて、その日は全体学法にも参加しました。しかし、眠気に襲われて『轉法輪』を読むことも、交流のときの皆さんの発表も聞くことができませんでした。同修に寄りかかって眠った私が「ごめんなさいね。眠ってしまって」と言うと「今まで外で仕事をしたことがないのだから仕方がないよ。私にできることはこれくらいしかないから~」との優しい言葉に勇気づけられました。私を勇気づけてくれた同修に感謝しています。

 仕事を始めたものの、最初は怖くて「行きたくないな~いつまで続けられるだろうか? 厳しい環境にどれだけ耐えられるだろうか」と日々考えていました。しかし、私は法輪功学習者ではないか~ここで弱音を吐いたら学習者ではないよ。頑張るんだ」と自分に言い聞かせながら、いつの間にか7カ月以上が過ぎました。

 仕事を始めて2カ月が過ぎたある日、私はいつもの通りに、会社に出勤すると、会社に着いた途端ふくらはぎに激痛が走り、歩けませんでした。それを伝えると「なんでそんなに痛いなら電話をすれば良かったじゃないか」と言われて、私は「いま、会社に着いた途端痛み出したのです」と言うと「仕事にならないから帰って良いよ」と言われました。そのとき、出勤してきた別の人に「大丈夫ですか、病院に行ってください」と言われて、痛い足でゆっくり歩いて帰り、病院に行きました。検査の結果は「骨には異常はないが筋肉を痛めている。歳もそう若くはないのだから無理をしたらダメだよ」と医師に言われ、湿布薬を貼られました。

 帰宅した私は、湿布薬をすぐに剥がして捨てましたが、その日から38.5度の熱が出て体調を崩しました。その時、毎日日本語学法で読んだ経文で、業力を消去するために師父が按配して下さったのだと悟りました。業力の消去には痛みや苦しみが伴いますので、当然、数日間はとても痛くてうまく歩けませんでした。しかし、一週間後には出勤しました。

 でも一つ悟れても、また「きつい言い方をされると、いつ辞めようか来月にしようか」と考えていました。そんなときに『精進要旨』「退職した後に修煉する」に「講義も受けたことがあって、根基も悪くはない一部の学習者が、仕事が忙しいので修煉をやめましたが、とても残念です! もし、一般の常人ならば、わたしはこれ以上何も言いませんし、その人の好きなようにさせますが、この人たちには望みがあるのです。人類の道徳は一瀉千里ですべり落ちつつありますが、常人はみな波に従い、流れに身をまかせており、道から遠く離れれば離れるほど、元へ戻るための修煉が難しくなります。実際、修煉とは人の心を修めることであり、特に複雑な職場の環境にあっては、まさに心性を高める良い機会なのです。いったん退職すれば、修煉の最も良い環境を失うことになるのではありませんか? 何のトラブルもなくなれば、まだ何を修煉するのでしょうか? どのようにして向上するのでしょうか? 人間の生命には限りがあり、往々にして、よく計画を立てていますが、自らの将来に残された時間がまだ間に合うかどうか、あなたに分かるのでしょうか? 修煉は子供のたわむれ事ではなく、常人のいかなることよりも厳粛で、思うようにはならないものです。いったん機会を失ってしまえば、六道で輪廻して、いつ再び人身を得るのですか! 機縁は一度しかなく、放下できない夢幻が過ぎ去ってから、初めて何を失ったかを知るのです」を学んで、何度も読んでいるのに、辛いときにはやはり常人の考え方をしている自分に気が付きました。職場は修煉の場で心性を高める良い機会なのだからひたすら耐えるしかないと悟りました。

 師父は法を多く勉強しなさい、法を多く勉強しなさいとおっしゃいます。大法の教えを学んでいれば、自分の悪い状態と重なったときに心をも変えることができる。常人の考え方ではいつまで経ってもその状態から脱することができないで悩み苦しみますが、日々、大法を学んでいると自分の悪い考え方や状態と重なったその瞬間から自分の心は変わります。なんと素晴らしいことでしょう!!

 その日から、私は何を言われても気にせずに頑張っています。強くなりましたし、ああ~昔の自分とは随分変わったな~と思います。大法とめぐり会えて本当に幸せです。いまこの年になって仕事ができることも幸せです。

 もう一つ言いたいことは、2011年の5月に岡山の同修・Mさんに声をかけて頂いて、交代で毎日日本語学法の司会をさせて頂いていますが、毎日、学法を続けて9年近くになります。ときには弱音を吐いたこともありますがMさんは「無理をしなくても良いよ、離れないように」とおっしゃいました。その言葉に何度涙したことか。そのおかげで今でも続けています。続けられる環境を私に与えて下さった同修・Mさんに感謝し、これからも皆さんと共に、自分なりに最後まで大法の教えを学びながら心性を高めて行きたいと思います。

 不適切なところがあれば、慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「退職した後に修煉する」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/5/9/404651.html)
 
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