私が歩んできた修煉の道(二)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2014115日】(前の文へ)     

 刑務所の医者、囚人と警官

 半月後、検察院から10人余りの調査員が来ました。私は2人の囚人に支えられ、彼らのところに連れて行かれました。留置所に駐在する検察員は私に、「610は検察に対して、留置場があなたに暴行を振るったことを訴えたのに、彼らもあなたにこれだけ暴行を振るって、歩くすらできなくなったのではないか」と言いました。「我々は彼らを訴えるから、彼らがあなたを殴った状況を教えてください」と言いました。私は彼らがいかに私を折檻したか、その経過を話しました。

 この事を私は、今になってもはっきり分かりません。彼らは本当に調査したのか、嘘だったのか、私は確かめることはできません。

 囚人のボスは医者に報告をしました。医者は私を呼び出して、「あなたは何日食事を取らなかったのですか」と聞きました。私は「私は百日ご飯を食べなくても死にません」と言いました。彼は笑って、「大飢饉のとき、あなたのように飲まず食わずで、人はすぐ死んでしまったのよ」と言って、それからさらに「僕は法輪功がきっと名誉回復できると信じていますから」とも言いました。また「劉少奇は迫害されて死んでしまったのだから、あなたはご飯を食べて、命を守らなくては……」と言いました。わたしは「生と死は私にとっては重要ではなりません。あなたが真相を知っていれば救われるから、それは私の願いです」と言って、監獄室に戻りました。

 ある囚人は「あなたは彼らにこれだけ殴られ、しかも50日も食事を取っていないにもかかわらず、入院もせず薬を1粒も飲んでいない、しかも、毎日煉功して、経文を暗唱していて、元気いっぱいですね」と言いました。私は連行された当時、体重は60キロでしたが、30キロまで減りました。彼女は「私は必ず法輪大法が素晴らしい、真・善・忍が素晴らしいと、しっかり覚えておきます」と言いました。

 何人かの囚人は、私と一緒に煉功をして、煉功して体が楽になったとも言いました。彼らは私が暗唱した経文を書き写して読みました。私は私を迫害した人に対して、全く怨恨心を持たず、ただ彼らが早く真相を知って救われ、素晴らしい未来を有することを願っています。警官は男性囚人に命令して、私にヨーグルトを無理やり飲ませようとしましたが、私の歯をこじ開けることが出来ず、結局諦めました。

 囚人たちは「あなたの家に機械があるから、五年の判決は確定だ」と言いました。わたしは「私には師父の按排があるから、来たら帰ろうと思いません」と思いました。私は留置場で絶えず真相を伝えました。真相を分かった人はみな私に優しくしてくれました。

 女隊長は最初、私に対してとても凶悪でした。しかし、彼女は私から大法の素晴らしさを見ました。ある日、彼女は夜の当番で、私が煉功しているのを見て、女隊長は自分も煉功したい、心がとても悩ましいと言いました。

 囚人たちは、隊長が法輪功を煉功したいと聞いて、皆とても驚きました。

 拘置されて七カ月頃、私は偶然新聞紙に、証拠がなくて期限を超過して拘禁する場合、必ず無罪で釈放しなければならないと書かれているのを見ました。女隊長は私に「誰かに上訴書を書いてもらって、検察院に提出したら」と言いました。私は上訴書を提出しました。

 半月後のある日の朝9時、夫は表門で私を待っていました。彼は私を見て、「残り僅か二元のお金まで息子にあげた。あなたがいなかったら、私達はどう生きて行くだろう」と泣き出して言いました。師父のご加護に感謝いたします。邪悪は私を不法に240日間拘禁しましたが、私はついに正々堂々と帰ってきました。

 迫害が続く限り、迫害反対を停止しない

 私が家に帰ってから間もなく、私を連行した警官がまた私の店に来ました。私は彼に「大法弟子を迫害するのは有罪です。私は修煉者です。あなたには素晴らしい未来を有することを望んでいます。今日からあなたは法輪功を迫害することを止めなさい。もしあなたが法輪功を引き続き迫害するならば、大きい災難が来た時、あなたの妻、息子、娘、両親、兄弟は全てあなたの巻き添えになって被害を受けます。彼らは皆あなたのために大変悲惨になります」と言いました。この言葉は彼に効き目があって、彼はとても怖がって「あなたは天目が開いているのですか」と言いました、

 ある時、彼らは夫に「あなたの妻に『三書』を書かせなさい。書かなければ、また連行するぞ」と言いました。夫はビクビクして、息子に「また私達親子二人だけになる」と言いました。私は「何を無責任なことを言っているのか」と聞きました。彼は「あなたが『三書』を書かなければ、また連行すると言われた」と答えました。私は、「今度彼らがまた来たら、あなたは大法を実証してください。彼らに、私の妻は法輪功を煉功する前、性格も悪く、病気だらけでいつも怒りを爆発させていました。今は病気もなくなり、人も優しくなり、家庭も睦まじくなったと教えてください」と言いました。

 夫はこのように言いました。しばらく彼らは来なくなりました。

 2004412日午前8時、警官は家に行って、夫を呼び出して、夫と一緒に店に来ました。4人の逞しい私服警官は私に対して「私達はあなたに話がある」と言いました。私が「何の話ですか」と言ったら、彼らは「今日、あなたは『三書』を書きなさい」と言いました。私は「一筆も書きません。私はいい人だから」と言いました。彼は、「私はあなたが書かないだろうと思った。ご主人に書いてもらって、あなたがサインすれば、終わりだよ」と言いました。私は「あなたの思う通りに行かないよ」と言って、彼らに真相を伝えました。彼らは黙って、それから「あなたが書かなければ、連行するぞ」と言いました。私は「あなた達が言ったことは当てになりません、私には師父がいらっしゃるから」と言いました。彼らは「あなたが書かなければ、我々は帰りません」と言いました。

 私は「今日、弟子は難があるから、師父に助けていただきます」と思いました。私はトイレの側にあるナイフを持って、トイレに入りました。彼らは皆それを見ました。私はトイレで正念を発しながら、大声で「あなたたちは残忍過ぎます。いい人になろうとしても迫害をするのだ」と叫びました。4人の私服警官は「もう来ない、もう来ない」と言いながら、その場を離れました。

 母は店の入口に坐って凍りついてしまいました。息子は入り口で大泣きして、夫はトイレの入り口に寄りかかっていました。この時、夫が外へ呼ばれたのを聞こえました。「こちらは国家安全局のXX局長で、こちらはXX副市長です。あなた嫁さんに言いなさい。カーテンをおろして家でどう煉功しても構わない。あなたはこの二週間出勤しなくてもよろしい、3百元をあげるから、あなたは嫁さんをしっかり監督してください。私達の『魅力ある都市』というキャンペーンを邪魔しないでください」と言いました。私は夫が「お金はいらないから、監督します」と言ったのを聞こえました。

 向かい側に住んでいる新しい修煉者が来て、あなたの周りにたくさんのパトカーがあり、皆、法輪功修煉者を捕まえに来たと噂していると教えてくれました。私は分かりました。私の店の外にいつも人がいて、それは私を監視している人でした。彼らは私の店には入りませんが、この十年来ずっと私を監視、追跡、妨害しました。毎回、私は彼らに真相を伝えて、人は何回も何回も交代しました。

 2008年に総合管理事務所の3人がまた私の店に来て、チベットで暴動が起きたから、勝手に出かけたりしないでほしいと言われました。私はこれが私と関係ないと言って、店で野菜を切りました。彼らはこっそりと私の写真を撮りました。私はこの3人を知りませんでした。彼らが帰ったら、すぐに店の建物のオーナーが来て、さっきの人から電話をもらって、あなたが「×教」を修煉しているから、あなたを追い払って欲しいと言ったという話をしてくれました。オーナーは私達双方には契約があるから、出来ないと答えたそうです。

 オリンピックの時、総合管理事務所の主任は、たくさんの果物を持って、二人の人を連れて我が家に来ました。彼は、あなたの様子を見に来たと言って、また誰々が資料を配ったため、逮捕されたとも言って、あなたは同じことをしないで欲しいと言いました。私は師父が私にただよい事だけをするように教えているから、悪い事をしません。私達は人のものを欲しがらないし、得をしようともしません。あなた達はその果物を持ち帰ってくださいと言いました。

 翌日、彼らは4人の男が私の家の向かい側の家を借りて宿泊するように手配しました。またマイクロバス、電動三輪車と自転車も用意しました。息子が私に付き添って野菜を買いに行っても、彼らが後について来ました。息子は「お母さん、私達はどのように出て行きますか?」と聞きました。私は「法を学んで、発正念して。師父が按排してくださるから」と答えました。

 翌日朝早く、姉と姪は来て、彼らの引っ越しの手伝いをして欲しいと頼んできました。私が情況を彼女たちに言ったら、姪は私の三輪車に乗って行くと言いました。このように、私達は姪の家に行きました。彼らは私が家にいないと気づいて、私の姪の電話番号を聞き出しました。また総合管理事務所主任は、私の夫の職場の社長を探して、私の夫を解雇して欲しいと圧力をかけ、また私の夫に私を呼び戻して欲しいと言いました。夫は、「彼女はなにも悪い事をしていない。あなた達はやり過ぎです」と言いました。総合管理事務所の主任はメンツがないため、夫に「早く嫁さんを呼び戻して来なさい。私は監視を撤退するから」と言いました。また夫に、町内会の主任に、この期間中、スローガンなどを貼らないようにと私に伝えさせました。中国共産党が、どれだけ法輪功を恐れているかはお分かりですね。

 家に帰った後、夫は、もし社長が自分を解雇するならば、ものを片付けて辞める、誰のことも恨まないと言いました。夫はとても落ち着いていました。しかし夫の主任は、社長が彼を辞めさせないと伝えてくれました。社長は夫のことを、真面目で、こんないい従業員はどこにもいないと言ったそうです。これは師父の慈悲なるご加護だと私は分かっています。師父に感謝いたします。

 深く入り込んで内に向けて探す

 最初の頃、私はただ資料の伝達をしました。私は家で資料点を作りたいと思いました。同修はあなたの家が10数平米しかなく、また防音でもないため、適切ではないと言われました。私は「私にやりたい気持ちがあれば、師父は私を助けてくださいます」と言いました。しばらくすると、私の隣の一家は引越しました。師父の助けのもとで、我が家に小さい花を咲かせました。私のようなあまり字も読めず、ピンインも知らない人が、今ではDVDの書き込み、小冊子、カレンダーの印刷などもできるようになりました。誰もが奇跡だと思っています。

 私がプリンターの修理を習いたいと思えば、若い同修は自発的に教えに来てくれました。彼女はとても根気強い人でした。しかし私がまだマスターしておらず、熟練していないうちに、彼女は別の用件があって行ってしまいました。問題が起きた時、自分で解決できなければ、私は同じ型番の機械と見比べて、問題を見つけるようにしました。どうしてもうまく修理できない場合、私は手紙を書いて同修に聞きました。今、たいていは自力で作業できるようになりました。息子も奇跡だと言っています! 大法弟子にできないことはありません。師父が知恵を与えてくださるからです。

 今年716日、私が自転車に乗って外出した時、街頭で突然1台の乗用車が横切って走ってきました。私が気づいた時には、もうすでに私まで1メートルのところまで近づいていました。私は急ブレーキをかけて自転車を止めました。その後のことは、何も覚えていません。目が覚めた時、一人の人が私を庇っていて、二人の警官に「早く病院に送りましょう」と言っていました。私は立つことができず、頭が真っ白で、師父にお願いすることも思い出しませんでした。病院についたら、私は運転手に息子に電話をかけてもらい、また、運転手に自分が法輪功修煉者で、検査は要らないと言いました。家族が来ました。双方とも検査して欲しいと言うので、私は骨に多少問題があっても、薬を飲んだり注射したり、入院することはないだろうと思いました。X線では靱帯がひどく損傷したと言っていますが、私はこれらがすべて仮相だと思いました。私は修煉したその日から、どんなに大きな魔難があっても、すべて師父に守られました。私はCTの機械に上げられたとき、骨が映らないように、骨に損傷がないようにと一念を発しました。看護師は私を病棟の方に送ろうとしましたが、私は車の方に送りなさいと言いました。彼の不思議そうな顔を見て、私は「私は法輪功修煉者です。師父に見守られています」と言いました。私は運転手に家に送るように頼みました。運転手は夫にたばこを買ってあげようとしましたが、私は夫に、くれぐれも他人のものを貰わないように、1銭のお金も貰わないように言いました。私は「もし、あなたたちが他人のお金をもらうなら、私の体は回復できないよ」と、とても厳粛に言いました。運転手は私を家に送ってくれて、私を部屋までおんぶして来ました。彼は、「あなたのようないい人に今まで会ったことがない」と言いました。私は、「私の師父が、他人を優先に考えることを教えてくださったからです」と言って、カバンの中の神韻DVDを一枚渡して、三退を勧めました。彼は1度見てから決めると言いました。その後、息子は、その日に運転手は父さんにお金を渡そうとしましたが、父さんは受け取らなかった、また僕にも渡そうとしたが、僕も貰わなかったと教えてくれました。運転手はお金でこの件をすっきり解決したかったのですが、彼は大法弟子の境界をとても理解できません。その後、彼は2度も電話をかけてきましたが、息子が母は大丈夫だと言ったら、その後、もう電話をしてこなくなりました。

 私は毎日煉功を続けました。1235功法をする時、ずっと左手で右手を握って煉功しました。一週間後、4番の功法もなんとかできるようになりました。最初の二日間は痛みで、心を落ち着かせて法を習うことができませんでした。同修は私に早く内に向けて探して、早く良くなるようにと言いました。3日目、私は椅子を押して歩きました。息子は「お母さん、あなたはどうして歩くのですか。あなたは心を静めて法を学ぶべきです」と言いました。師父は息子の口から私にヒントを与えてくださいました。そうだ、私は修煉者です……。「もしあなたが病気のことばかり考えるその心を捨てられないのなら、われわれは何もしてあげられないし、どうすることもできないということを強調しておきます。」[1]。私は夜、寝るとき、寝返りを打つことができませんでした。最初は、私は息子の支えで立ち上がったのですが、その後、私は依存する心は駄目だと思って、自分の全身の力を尽くして立ち上がりました。毎日足を引きずりしながら歩きましたが、19日目になって、自転車で同修の家まで行きました。家にいても、私は大法の仕事を遅らせることがありませんでした。1カ月後、私のすべては回復して正常になりました。

 私は事故の日のことを思い出すと、どのように倒れて、どのように助けられたのかは、全く記憶にありませんでした。それは旧勢力が残忍な手口で私を死に至らしめようとしたのです。師父はまた私のために解消してくださいました。弟子は必ず全ての人心を修め落とさなければならないと思いました。

 この事で、私は内に向けて探しました。自分は最近の数年間、三つのことをやってはいますし、法も習っていますが、しかし、やはり大きな漏れがあって、邪悪に隙に乗じられました。事故が起きる前、私は1カ月のアルバイトをしたいと思いました。私を雇った人はその条件でいいと言ってくれました。しかし、一カ月が経って、相手は少なくとも一カ月半は仕事しなければ給料を出せないと言い出しました。

 この時、ある同修は私がお金ばかり稼ぎたいと指摘してくれました。私の仕事の時間は9時間で、確かに少し長すぎます。同修の機械は壊れて、仕事が終わってからやっと修理しに行きました。一部の機械はすぐに修理できますが、一部の機械は修理して、何日も経たないたうちに、また壊れてしまいました。その時、私は同修と一緒に内に向けて探さなければならないと言いました。一部の同修は「あなたはこのプロジェクトを担当しているから、あなたはこの責任を取らなければならない」と愚痴を言いました。私は、「あなた達はどうして責任を私一人に押し付けるのですか?」と思いました。あなた達はまったく他人の生活を考えてくれないじゃないか? 私は仕事がなくて、たまにお金を稼ぐだけなのに、あなた達はどうして理解してくれないのでしょうか? と思いました。

 私は学法が少なくなったため、法を学ぶ時に眠くなり、最後に数台の機械に同じ故障が起きて、直しても数日でまた壊れました。また一部の機械は、何回修理しても治りませんでした。

 内に向けて探して、自分には、同修に文句を言って自分を見ない心、同修に寛容な態度がないことに気づきました。同修は鏡のように自分を映していました。私も同じ欠点があるのではないでしょうか。私は必ずこれらの人心を修め落とします。やるならしっかりやり遂げます。同修のことは自分のことです。

 今度の事故は私の目を覚ましてくれました。私の多くの人心はすべて暴露されました。怨恨心のほか、例えば、怠ける、痛みを恐れる、闘争心、自己を守る心、嫉妬心、口を修めないなどなどの問題があり、しかもどれもがとても強いものでした。法に基づいて自分の問題を探し出す時に、私は師父に申し訳ないと思いました。師父は大変な思いで私を済度してくださって、また同修の口を使って私にヒントを与えて下さいましたが、私はこんなに意気地がなく、本当に恥ずかしく思いました。また、同修たちが裏で他人の悪口を言って、内に向けて探さないのを見て、心の中ではいい気持ちをしませんでした。実は私自身も同じではありませんか? 自分も同様の問題を持っていることに気づきました。たとえば私が神韻DVDを配るとき、雑念がなく、人を助けたい一心でしたら、その日の効果はとても良くて、95パーセントの人はDVDを受け取ってくれます。もっと欲しいという人も出て来るほどです。私は毎日カバンに色々な真相DVDや真相小冊子と大法のお守りを入れており、小さいDVDもあります。時間があれば、彼らに真相を伝え、みんな聞いてくれます。しかも、とても喜んでお礼を言ってくれます。また二人の老夫婦は両手を合わせて「私達は本当に助かりました。ありがとうございます」とも言いました。しかし、もし気持ちが純粋ではなく、雑念があった場合、効果はよくなく、神韻DVDを受ける人はわずか20~30%しかありません。違いはこんなに大きいのです。

 私はこれらの人心を修め落として、急いで人を救うように頑張ります。師父、ご安心ください。私は必ずやり遂げます。

 不適切な所があれば、同修達の慈悲なるご叱正をお願いします。

 (完)

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『転法輪
 [2] 李洪志師父の著作:『シドニー法会で説法』
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「白日の下にさらけ出す」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/12/18/284138.html)
 
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