明慧法会|神の使い(一)
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文/遼寧省の大法弟子

 【明慧日本2014年1月17日】尊敬する師父、こんにちは! 同修のみなさん、こんにちは!

 明慧ネット第9回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会が原稿募集を始めました。この重厚な大会に、私たちを参加させてくださった師父の慈悲深い済度に感謝します。

 以下は、自分の修煉過程を総括したもので、偉大な師父にご報告を行い、同修の皆さんと切磋琢磨します。法にそぐわないところがありましたら、慈悲深いご指摘をお願いします。

 一、法輪大法は素晴らしい! 修煉せずにいられるでしょうか?

 2011年春、新米の「610弁公室」の主任が就任しました。私の使命がまたやってきたと分かりました。2004年10月、私が悪の巣から帰ってきた後も、共産党は私への迫害を続けて私の退職手当を発給せず、私を悩ませ監視しましたが、これはみな「610弁公室」がやっている事だということを承知していました。私に対する迫害を根元から徹底的に解決するために、私は大量に学法し、高密度に発正念する以外に、政法委員会と610弁公室に直接真相を伝えようと決めました。歴代の政法委員会書記と、「610弁公室」主任に皆、異なった次元に対して真相をはっきり伝え、迫害を制止させようと思いました。今回の主任は私が悪の巣から帰ってきてからの第3代目の「610弁公室」の主任でした。

 第1代の「610弁公室」の主任は、2005年の春、私を悪名高い省級洗脳班に連行しましたが、1時間足らずで私は正念で洗脳班の迫害を解体しました。「610弁公室」の連中は、車で私を連れ帰りました。

 それから毎年、上からのノルマの定員を、610弁公室の連中が達成することができなかった時、「賃金がいる」と、私がやって来たので、「610弁公室」の主任は「私を数日間行かせる(私は「転向」が不可能なことを、主任は知っている)」という相談を持ちかけましたが、私に厳正に拒否され、私は、「何人も洗脳班に送ってはならず、さもなければ、あなたは業を作るでしょう」と、主任に教えました。

 当然、「610弁公室」に真相を伝えれば、迫害に見舞われやすくなります。ある時、「610弁公室」へ行った時、主任は不在でしたので、私は政法委員会の他の事務室に入って行き、連中に真相を伝え、法輪大法の素晴らしさを話して、大法弟子の迫害に加担してはならないと、因果応報の道理を話しました。

 回数が多過ぎたので、「610弁公室」の主任はとっくに分かるようになり、ある時、私に会ったとき、大声で、「これからは、あなたが来ても、私は家に居ません。あなたがその他の事務室に行くことを認めません。ここは政法委員会で、あなたの家ではない。あなたはどの部屋にも入っていき、、法輪大法が素晴らしいと宣伝する。ここは法制部門であり、○○教を宣伝する場所ではありません」と、言いました。私はすぐに発正念をしながら、「○○書記、あなたがたは私に退職手当を支払っていません。私はここに来るのに、2元の車代がかかります。私はご飯を食べるお金も無いのに、車代のお金はどこから来るのですか。私はあなたを見つけられなければ、各事務室に行き、あなたが何処に行ったかを探し、あなたが帰って来るのを待ちます」と、説明しました。私が法輪功を習っていることを、連中は知っているので、「まだ修煉をやめないの?」と、私に尋ねました。「法輪大法は素晴らしい! 修煉せずにいられるでしょうか?」と、私は言いました。

 二、「あなたは私の師父を求めればよい」

 2010年11月に、第2代の「610弁公室」の主任が、「転向班にいきなさい。食費は私たちが出すから」と、私に話すようにと街の政法委員会の書記に要求しました。私たちが話をしていると、「610弁公室」の主任からまた電話があり、転向班がいかに良いか、行かねばならないと、政法委員会の書記から私に伝えさせました。

 こんな時、私はまず内に向けて探し、多くの自分の良くない心を探し当てる以外に、更に主要なことは、真相を伝えることでした。「洗脳班には、私は絶対に行きませんので、明日の朝、私は自分で主任を探しに行って話をします」と、私は街の政法委員会の書記に言いました。

 家に帰ると、午後5時に「610弁公室」の主任からの電話があり、洗脳班に行くように私に要求しました。「私の慈悲心が足りないので、明日の朝、私はあなたの所に行きます」と、私は主任に言いました。

 次の日の朝、「610弁公室」へ行く準備は、すべてできていました。私が師父に線香を立てていた時、突然、ある考えが私の脳裏に入ってきました。「もし610弁公室側の用意ができていて、私が行ったなら、自ら網にかかることになってしまわないか?」。普段、真相はすでに伝えてあるのですから。私はさっそく街の政法委員会の書記に電話して、「610弁公室の連中は今日私を洗脳班へ送る準備ができているかどうか?」と、聞きました。610弁公室の段取りは、街の政法委員会の書記には分からなかったので、「疑うなら、あなたは行かなくてもいい」と、街の政法委員会の書記は言いました。その日、私は行きませんでした。

 午後、同修と切磋琢磨して、「あなたは自分で行ってはいけない。あなたがいつ行くか、私たちに教えてほしい。私たちはあなたと一緒に行き、外であなたに向けて発正念します」と、同修は説明しました。「今、衆生を救い済度することはこんなに忙しいのに、自分の修煉ができていないことで、さらに同修に迷惑をかけてしまうことになるので、私は同修に手数をかけられず、私は堂々と真相を伝えに行き、主任の後ろで糸を引き、大法に対する犯罪分子である邪な連中を解体する。師がおられ、法があれば、恐ろしい事はないのではないか?」と、私は思いました。

 私は学法を強化し、集中して発正念し、さらに、師父のサポートを求めました。2日後、強大な正念と慈悲を持って、私は610弁公室へ入って行きました。

 610弁公室の主任はまさか私が来るとは思いもよらなかったようで、突然、私に会って、きょとんとしていましたが、すぐに精神をはっきりさせ、私に挨拶しながら、大股で外へ出て行きました。国保大隊に電話するために主任が出かけたことを、私は承知していましたので、「皆さんの一切の善の現れは邪悪が最も恐れているものです」という師父の話を私は思い出しました。[1]私は慈悲深く主任を見ながら、「用事があるんですか? お出かけですか?」と、言いました。主任は戸口に近づいて、ドアを開けると、突然振り返り、「あ・・・私は・・・私は何も用事はありません」と、言葉を濁しながら言いました。「あなたに用事があるなら、私はここで待っています」と、私は話すと、「私は何も用事はありません」と、主任は言いました。「外へ出かける様子で、まるで急用ができたようでしたけど」というと、「私はトイレに行きたかったのですが、今はもう、行きたくなくなりました」と、主任は言いました。そう言いながら、主任はドアを大きく開けました。私が主任に真相を伝えることを主任は恐れて、ドアを大きく開けたわけで、私たちの談話が他の事務室に聞こえれば、私が主任に真相を伝えるのに不便になる、ということを、私は知っていました。

 「いずれにせよ、私は今日、あなたを救い、大法弟子に対して、あなたに犯罪を犯させない」と、私は思いました。「師父、私に知恵をお授けください、理性的にはっきりと真相を私に伝えさせてください、迫害に遭わないだけでなく、主任に真相を分からせてください」と、私は師父の加持を求めました。この時、主任が610弁公室の副書記を呼び寄せたので、私たちは一緒に話を始めました。

 私を洗脳班に送るのは、私が「頑固一徹」だからだ、ということを、まず主任は話し、第二は、私がまだ刑務所外の服役期間であること、後は、私が何処にでも行き、何処でも(真相を)語るからだ、ということでした。洗脳班には行かない、という態度を私は表明し、また、行かない理由を表明しましたが、主任は私を洗脳班で半月、1週間、3日と滞在することを、チェックしてから帰ってきたのですが、私はまったく無視していました。「実際、あなたを行かせて、私は一番良かったと思いました。というのも、行ってもあなたは帰って来られる(正念を出して)のです。しかし、他の人は行っても帰って来られるとは限らない(転向しなければ、労働教養を受ける)」と、最後に主任は言いました。「他の人も、送らなくてよく、送れば、あなたはもう大きな業を作ってしまいます」と、私は話しました。続いて、私は「報いが付きまとっている」事を少し話しました。

 夜、ベッドで横になり、何度も寝返りをして眠れなかったので、昼の事で、どこがまだ出来ていなかったのか、私は内に向けて探しました。この時、主任は一つの善良な心を持っていることに、私は気が付きました。私の正念が鍛えられて物になっていると、主任は思ったので、主任は洗脳班に私を行かせたのであって、他の人が行ったら、帰って来られるとは限らず、或いは、労働教養を宣告されますが、近年、主任がやり遂げるべきノルマはまだできていないので、上は主任に対して圧力を加えている最中かもしれず、或いは・・・かもしれず・・・このように考えて、私は起き上がり、立掌して発正念し、師父のサポートを求めました。明日、私は主任を救いに行くつもりでした。

 2日目の朝8時、私が主任の事務室に入って行くと、主任は新聞を読んでいました。私を見かけると、「あなたはどうしてまた来たんだ?」と、尋ねました。「昨日、帰った後、夜も眠れず、あなたに善念があることがみえました――大法弟子を迫害したがらず、私もあなたの業を見たくありません。ですので、私は今日、一つのやり方を知らせようと思いました。上部にあなたを批評させず、あなたは業を作らない、という方法です」と、私は言いました。「どんな方法?」と、主任は言いました。「あなたは私の師父に助けを求めることができます! あなたは『師父』と呼ばなくてもいいですが、あなたが『李先生』とか、『李大師先生』と声を出せば、師父はきっとあなたを助けてくださるでしょう」と、私は話しました。「何と言いましたか? 聞き取れなかったので、もう一度言ってください」と、主任は話しました。この時、私はちょっとショックに思いましたが、繰り返しました。主任は机の上の携帯電話を取って、「私はすぐさま国保大隊に電話し、国保大隊にあなたを連れて行ってもらいます」と、私に言いました。

 この時、私はもう平静を取り戻していたので、「あなたは言ったことに責任を持たないが、私の師父はおっしゃった事には責任を負われる」と、思いました。「私はあなたが困っているのを見たので、これはあなたのためです。それなのに、あなたはなぜ私を捕まえるのですか? あなたは私を捕まえたりしませんよね」と、私は主任に言うと、主任は手の中の電話を下に置いて、「行きたまえ、早く行きなさい!」と、言いました。

 しばらく経って、元旦を迎え、主任は転勤になりました。転勤の後、私は主任と電話で話し、「どのように私たちを遇すればよいかを、あなたはすでに知っているでしょうから、新しい職場で仕事を成し遂げて欲しいです」と、主任に言いました。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/11/9/265106.html)
 
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