文/バンクーバーの大法弟子
【明慧日本2014年11月1日】
自我を放下して、同修に協力する
ある日、みんなで車に乗って住宅団地に神韻特別号を配ることになりました。能率よく回り路線を重複させないために、私はルートを決めて入念に地図にマークをして、自分の完璧な手配に自惚れてしまいました。運転する同修はそれほど束縛されたくなく、私がルートを説明した時に彼はとてもいらいらしましたが、私は断固として言い続けたので、最後に彼は怒って、私を下ろしました。
はじめ、私はとても不機嫌になって自分の不足を探すこともしたくなく、なんと頑固な人だ、これからは彼と一緒に仕事をしたくないと思いました。幸いに表面では私は怒りを抑えて、すぐさま彼とけんかをしませんでした。私は一人で自分が決めたルートを回って資料を配りながら、気持ちを落ち着かせて内に向けて不足を探す余裕ができました。
私は師父が『大法弟子は必ず法を勉強しなければならない』で説かれた言葉を思い出しました。こんな事にぶつかって私はなぜ不機嫌になるのでしょうか。神韻特別号を配る時、私は心で団地の住民に「あなたたちは千万年を待ってやっとこの一刻の到来を迎えることができました。私には至らないところがたくさんありますが、くれぐれも私のせいで神韻の機縁を逃さないでください。あなたたちを救うのは私ではなく、我々の師父です。私はまだ修煉途上にあり、私は必ずよく自分を修めます」と話しました。
それから、他の同修の車にも似たようなことが起きました。彼が考えた路線は重複が多く、能率が悪いようにみえましたが、私と妹は「大切なのは方法ではなくて、自分の案を固執したい考えを捨てよう。同修によく協力して、誰にも不愉快な気持ちをさせないようにしよう」と言い聞かせました。結局、愚かに見えた彼の路線は実は悪くなくて、短時間で任務を完了しました。このことは、最も大切なのは方法の善し悪しでなく、修煉者の基準で自分を律するならばどの方法も良い結果を結ぶということを実証してくれました。
神韻の宣伝をよりよくするために、私はよくネットから関連の文章を探して勉強していました。屋外で煉功を続けるようになってから神韻の宣伝もうまくいったという文章を読んだ後、さっそく家族(同修)と屋外で煉功を始めました。初日から試練に遭い、気温が急に下がって大雪が降りました。どんな天候であっても私たちは毎日屋外に出て煉功して、神韻公演が終わるまで根気よく続けました。
大法弟子の正念は情勢をリードする
神韻の宣伝をする中で、私は複数のチームに発正念することを頼まれたうえに、小冊子や新聞を配ることも担当しているため、大変忙しくて落ち着いて発正念することができなくなっていました。そのため、多人数で長時間の発正念をする必要があると佛学会に提案すると、学会は提案を受け入れてくれました。毎回、私はみんなと一緒に45分間発正念して15分間休憩して、13時から21時までやります。疲れを感じることもなく、時間が過ぎるのも速かったのです。
ある日の集団学法が終わった後、某同修に依頼されて、彼の荷物をしばらく預かりました。ずっと外で私を待っていた家族(同修)は焦って、私の顔を見た瞬間にぷんぷん怒りました。彼は急いで印刷工場に神韻の小冊子を取りに行かないといけないのに、私を待つために時間がかかったので、とても怒りました。私が説明しても、とにかく怒りがおさまらず、ずっと私とけんかをしました。
しかし、私の心は落ち着いて動じませんでした。邪悪は私と彼の間に隔たりを作ろうとしていました。もしも私に闘争心が生じて彼とけんかをしてしまったら、邪悪はそれを理由に神韻の小冊子に本来の役割を果たさせないでしょう。私は邪悪の陰謀を見破り、その陰謀を実現させてたまるかと思って、私は「今日の出来事の動向をリードするのは私だ、彼でない。私は決して彼とけんかをしません」と強い正念を出しました。すると突然、彼は何かを意識したように、すぐに怒りがおさまって口を閉じました。それから、彼の車から油が漏れました。帰って来たら彼は私に謝って、内に向けて自分を探したため、翌朝車の検査をした時、車は何の問題もなかったと教えました。彼が運んできた神韻の小冊子も順調にバンクーバーの市民に配ることができました。
(完)
(2012年カナダ法会の発表原稿)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2012/10/5/135732.html)