新唐人の仕事の中で自分を修める(一)
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文/バンクーバーの大法弟子

 【明慧日本2014年10月31日】師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!

 私はバンクーバーに来て3年経ちました。今日はここでの3年間の修煉体験を師父と皆さんに報告したいと思います。

 困難を乗り越えて、新唐人の仕事を続ける

 バンクーバーに来て間もなく、新唐人テレビ局は人手が足りないため増員募集をしていることを知り、私と妹は少しの躊躇もなく申し込みました。私たちは何の技能もなく学歴も低いのですが、ただ新唐人を手伝いたい気持ちが強かったことで、採用されました。同修から技術を教わった時、多くの専門用語を理解できなくて、ついて行くことができませんでした。幸い皆さんが根気良く教えてくれて、私はやっとやり方を覚えることができて、とても嬉しかったです。しかし、最初は仕事のスピードが遅くて、一つの仕事を終えるのに6時間もかかりました。終わったらすぐ次の製作場所に届けないといけないため、同修は妹を駅に送り、妹は駅に着いたら一生懸命に走ります。いつも目の前が一面黒くなり、血を吐きそうになると妹は言っていました。

 それからだんだん、執着心を取り除き、在バンクーバー中国領事館前に行って発正念をしてから、仕事の能率が大幅に上がることに気づきました。例えばファイルのダウンロードが以前より速くなったとか、機械の故障が突然直ったとか。今は、速いときは2時間以内で一つの仕事を完成できます。それに、関連する同修も私に付き添う時間を大幅に短縮できました。

 カナダに来た最初の1年だけ、移民局は私に難民生活費を交付してくれました。1年経った後、私はチームリーダーに「私はやむを得ずアルバイトをしなければならないので、新唐人の仕事は続けられなくなる」と打ち明けました。私と妹は貯金もないし、バンクーバーの物価は有名なほど高くて、生活は本当に苦しいのです。意外にも、チームリーダーは私のために他の同修に経済支援を求めました。彼はプライドが高い人でしたが、姿勢を低くしてまで私に新唐人の仕事を続けさせたがっていました。私は彼の誠意に感動して、生活面の困難を自分でなんとか解決し、新唐人の仕事を引き続きやっていこうと決意しました。

 念を正したら、師父が助けてくださいました。私と妹は安いアパートに引っ越して、仕事も見つかり、私は安心してバンクーバーで大法の仕事を続けられるようになりました。師父の按排に感謝し、同修たちの無私の助けに感謝します。

 しばらくして、また新しい問題が起きました。私のせいで他のスタッフが新唐人の仕事を辞めたという噂が流れたり、新唐人内部のトラブルと互いに協力しない状況を知ってしまったり、本局と東部支局がアップロードしたデーターによくミスがあるため、バンクーバーの番組の質にまで影響したりして、私の心は不満が満ちていました。ある日の交流会で、私は某協調人に、「多くの人がアルバイトや仕事をするために新唐人を辞めた中で、私は経済的な困難を乗り越えて給料ももらわず、新唐人で頑張っていますが、あなたたちもデーターの品質を少し保証してください。送ってきたデーターはオーディオが欠けたものや、画像が一面真っ黒なものもあって、時間をかけてダウンロードしたのに使いものになりません。そのせいで番組が足りなくなり、仕方なくコマーシャルで空白を埋めるしかありませんでした。時には5分もコマーシャルを流すのですよ。特に真相を伝える番組によくミスがあり、真相を伝えることができなければ、私は何のために残っているのでしょうか?」と大いに不満を訴えました。協調人は、のちほど一つ一つ入念にチェックして、原因を調べると答えました。

 他人のせいにせず、自分の不足を探す

 予測もできないことに、それから番組はますます質が落ちて、なんとカナダ全域である種の言語のニュース番組は画像が真っ黒で見られなくなりました。私はとても腹を立てて落ち込み、このまま新唐人に残るのは時間の無駄だと思って、リーダーにまた「辞めますので、後任を探してください」と言いました。ある同修は、後任を探すのは難しくないが、責任を持ってこの仕事を長く続ける人が少なく、新唐人に不安定な要素を与えることになってしまうと言いました。私は少し恥ずかしくなりました。彼が言った「責任を取れなくて、新唐人の仕事に定着できないような人」に、私は似ているのではないでしょうか?

 師父は『二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法』で「確かに、順調に仕事をしているのに、急にほかのプロジェクトに行ってしまい、人手が突然足りなくなります。一部の学習者は不機嫌になると、相手のことを配慮せず、法を実証することに対する影響も考えずに、気ままに行動しています。私はこれらの学習者を目にしていますが、神も彼らを感心しないのです」と説かれました。そして、再度『新唐人テレビ討論会での説法』を読んだとき、自分がバンクーバーにきて、新唐人テレビ局に入るのはすべて偶然ではなく、ここに来たのは按排されたことで、使命を果たさなければ罪になると悟りました。私はこのまま残って新唐人の仕事をしっかり行おうと決心しました。

 メディアはいつまでも学習者の寄付に頼ってはいけないと師父が説かれてから、バンクーバーの新唐人支局は一気に窮地に陥り、総協調人は支局を閉めようとも考えました。それから皆で交流を行いました。たとえ一縷の希望しか残っていなくても、新唐人番組は真相を伝える有力なルートなので、テレビ局を学習者の家の一隅に移しても、続けないといけないとみんなで合意しました。行き詰まったところに朗報が伝わってきて、新唐人はケーブルチャンネル開設の交渉に成功し、カナダ半分の地域にこれから新唐人のケーブルチャンネルを導入してもらうことができて、カナダで新唐人テレビ局の経営がこれから良性循環に入るための良い環境が整いました。

 2012年3月28日、某会社にビデオを届けたとき、その日はちょうど新唐人のケーブル番組の初放送の日でした。私はコントロール室であるシンガポール出身のスタッフを見つけて、彼にケーブルチャンネルを合わせてもらって、自分の目でケーブル番組の初放送を確かめました。私は番組を見ながら、彼に新唐人テレビ局を紹介し、「やっとこの日が来た」という感慨で胸がいっぱいでした。

 実は東部支局の同修たちはとても大変だったことを、先日の交流で私ははじめて知りました。特に前述のとおり私に文句を投げたあの協調人は、毎日事務所で10時間も働いていたのに私はさらに彼にプレッシャーをかけてしまいました……。その日の交流を通じて、悪いことがあれば私はよく人のせいにすることを発見しました。例えば、仕事がうまくいかない時、自分の心性に問題があるとか、正念が足りなかったとか、修煉に漏れがあるとかが本当の原因なのに、私は「全部◯◯さんが悪いからだ」と、すぐ思ってしまっていたのでした。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/9/8/262478.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2012/10/5/135732.html)
 
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