メディアを利用して真相を伝える(一)
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文/トロントの大法弟子

 【明慧日本2016年3月8日】

 尊敬する師父、こんにちは

 同修みなさん、こんにちは

 皆さんにメディアを利用して真相を伝えることに携わった体験を語りたいと思います。2003年に学習者たちが「大紀元時報」を創立してから、メディアは真相を伝えるのに非常に力強い法器で、法を正す形勢のために生まれたと気づきました。天象の変化に従って弟子たちは動かなければなりません。私がメディアを用いて法を正す修煉の道を歩み始めたのは大紀元の記者になったことがきっかけです。

一、大紀元の記者になり、広く善縁を結び真相を伝える

 新聞は創立したばかりで、大部分の版面は総部から提供した内容で支えられていましたが、一番必要なのは地元のニュースであり、私の任務はできるだけ地元のコミュニティのニュースをより多く提供し、より多くの華僑が注目して大紀元を見てもらうことでした。

 常人の新聞記事に無関心だった私はそれまでの外界の事には無関心だった習慣を改めて、政治、経済、文化、教育などの英文や中国語の新聞を見ました。記者になるには、必ず全方位の社会知識を把握して、そのうえ一定の英語能力を持たなければなりません。このチャレンジは実に難しかったのでした。

 多くの資料を調べるために、記者の仕事は本当に時間や労力を費やす仕事でした。ある時は外で一日仕事をして、夜は徹夜をして、ようやく1篇の100字ぐらいの記事が出来上がるのでした。このことから、別のプロジェクトで真相を伝えたほうがマシだとも思いました。しかし、もしメディアの内容のすべてが法輪功の真相だったら、見る人はいないでしょう。美しい花をみずみずしい緑の葉で飾り、読者が喜んで受け入れてこそ、メディアは発展することができます。新聞を読者に喜んで見てもらうためには、必ず常人が関心を持つ衣食住などの記事がなければなりません。私は喜んでこの緑葉になって、真相という花を引き立てようと思いました。

 記者になる過程で、私は社会で様々な領域の人物と接触しました。地方の議員もいれば、大企業の社長もいます。常に社会の主流と華人社会に触れるなかで、記者という身分はこれ以上ない真相を伝える利器だと気づきました。記者は「冠のない王」で、社会のなかで、特殊な存在です。普段、修煉者たちが触れることが難しい階層の人物にまで接触することができ、インタビューを通して縁を結び、友人になることも可能です、その時にごく自然に真相を伝えることができます。これらの人は社会にかなり影響を与える人たちなので、もし真相がわかれば、彼らの周囲に真相を伝えることもあるでしょう。

 台湾のコミュニティと触れ合い始めた時、台湾には本当に法輪功を理解している人が少ないと気づきました。われわれが政治的な目的を持っていると思う人が多くいます。『九評共産党』の発表後、私は新聞を持って幾つかの台湾コミュニティの責任者を訪ねましたが、彼らはただお茶を濁すような態度で接してくれました。しかし、私はがっかりせず、彼らの活動を続けて報道しました。活動後はメールで新聞のリンクを彼らに送って、次回にインタビューの機会があれば、その期の新聞を送りました。徐々に、彼らは大紀元の新聞を見るようになり、共産党に対する認識もだんだんはっきりしてきました。彼らと友人になってから、私は修煉のおかげで心身が受益したこと、なぜ共産党が法輪功に対して迫害を行うのかなどを伝えると、彼らはよく理解してくれました。その後、これらのリーダーは私を自ら彼らの各種の集まりに招待してくれました。これらは真相を伝えるよい場所になるのです。この間バンクーバーの修煉者は集団学法をする場所が見つからなくて困っていましたが、あるリーダーの牧師は、教会の鍵を私にくれて「私はあなたを信じますので、いつでも私の教会で会議を開いてください」と言いました。もう一人の人はキリスト教会の神父で、ある日用事があって、訪ねて行きますと、礼拝の時に中国共産党がどうやって法輪功修煉者を迫害しているのかを話しているのを見ました、そして彼は迫害を受けていた法輪功修煉者のために祈りました。

 こうして、学びながら徐々に自分なりの道を開きました。

二、新唐人に加入し、三つのメディアに配慮し、法を正す道を拓く

 2004年の夏、全世界各地の大法弟子は続々とニューヨーク・マンハッタンの拷問展に携わりました。バンクーバーに帰った後にバンクーバーの新唐人は創立してから結構経っており、協調人は私を新唐人に誘ってきました。私がその時思ったのは、三つのメデイアもリポーターが必要です。しかし新唐人のために働くことは三つのメディアを手伝うことができるので、これはよいことかも知れないと思いました。

 けれども、言うのは簡単ですが、行動すると困難なことがあると分かりました。テレビニュースは新聞とは違い、カメラマンと協力しなければならず、原稿を書くときは映像にあわせて配慮しなければならず、音声と画像の一致を考えなければなりません。私がこの新しい領域で学ぶことはたくさんあったのですが、仕事量も前より増え、更に毎回英語の分からない同修と一緒に編集を完了してから家に帰ります。普段は徹夜し、次の日はまた仕事に行かなければなりません。ある時期は自分が限界に至って続けられないと感じ、仕事中に立って眠る状態にまで至りました。毎回この状態になると私は「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」(『轉法輪』第九講)という師父の法を暗誦しました。専門家が新聞を作るのではないので、一般の人より多くの努力を費やさなければ、新聞はうまくいかないのです。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/9/4/262377.html)
 
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