新唐人テレビ アジア太平洋支局での修煉体験
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文/台湾の大法弟子

 【明慧日本2019年3月2日】現在、私は新唐人テレビのアジア太平洋支局ニュース部に勤めています。以前、常人社会での私の仕事はプログラマーでした。2006年に、アジア太平洋支局が創立された際、私は余暇時間を利用して支局のニュースディレクターの仕事を担当しました。それをやりながら勉強して、編集の仕事にも携わりました。真相を伝える中で新唐人テレビ局はとても重要な役割を果たしていますが、深刻な人手不足の現状をとても痛ましく思いました。そのため、2014年の初め、私は毅然として常人の仕事を辞め、新唐人アジア太平洋支局のフルタイムの社員になりました。

 一、重大事件に立ち向かい、テレビ局の知名度を築く

 2014年の初め、支局は一連の組織改革を行ない、全体の士気が高まりました。3月、ニュース報道は今まで夕方だけの放送から朝、正午、夕方と放送が3回に増えました。振り返ってみると、それはすべて神の按排かもしれません。何故かというと、わずか数日後、台湾で世界を沸き立たせた「ひまわり学生運動」が勃発し、支局は視聴者に迅速に情報提供できるようになりました。番組で我々は学生運動の本質を分析し、中国共産党のいわゆる「統一戦線、密かに台湾に浸透する」策略を暴露して、台湾の視聴者に中国共産党の正体を識別する機会を与えました。

 ニュース部の仕事は昼夜に関わらず、突発事件が起きると、すぐに対処しなければならず、「ちょっと待って、自分の修煉状態を調整してから応戦します」と言わせません。どんなときでも報道は常に第一のことで、無条件に協力し、たとえ心にわだかまりがあり、気持ちの整理ができていなくても、すぐに放下して仕事をしなければなりません。

 学生運動が続く1カ月の内、支局のリポーターはほぼ毎日現場で取材し、立法院の中にも1人の記者が常駐して、1カ月間、学生たちと苦楽を共にしました。学生運動の報道をきっかけに、新唐人、大紀元の知名度は若者の中でだんだん上がりました。

 数年来私たちは台湾の至る所に足を運びました。今、台湾でテレビをつけると、各チャンネルの重要なニュースの画面にほとんど新唐人の青いマイクが見えます。新唐人のニュースは独特な角度から時事を分析しているため、多くの視聴者は「あなたたちのニュースを見てからは、もうほかのチャンネルを見ていられません」と言ってくれました。

 数年前、取材現場である中年男性が私の手に持ったマイクを指して、驚喜した声で「台湾にも新唐人があるのですか? アメリカにしかないと思っていました」と言いました。彼はまるで知己に巡り会ったように喜んで自分の経歴を語りました。彼は中国で商売をして、ここ1年来ずっと中国に住み、毎日ソフトを使って中国国内のネット封鎖を突破して新唐人テレビを見ていました。彼曰く「新唐人の報道はすべて真実です。中国でビジネスを営む以上、新唐人を見なければ自殺同然です(新唐人の報道を見ないと、騙されやすいという意味)」。また法輪功に同情し、中国共産党が行なう臓器狩りの残忍さを非難しました。

 ニュース放送の回数が増えて新しい番組も誕生し、支局の運営は次第によくなり、仕事の量も大幅に増えました。ニュース部にとって、毎日最も緊張する時間帯は放送前です。取材が終わってからシナリオに仕上げ、それから音声の吹き替え、編集、アップロード、試演などもあり、どの部分でもミスを起こしたり、遅れれば、時間どおりに放送できなくなります。そのように毎日バタバタしていますが、内心はとても充実しています。フルタイムの社員になる道を選んだのは、新唐人の仕事を通じて大法を実証することに最善の努力を捧げたかったからです。

 あのとき、私は編集当番をやりながら取材の仕事も兼ねていたので、常に午前8時から夜中の1~2時まで仕事をしており、1日15時間以上働くのも日常茶飯事でした。私だけでなく、ニュース部のメンバーはほとんど私と同じです。特に総監督と編集長は、スケジュール表に記される勤務時間はなんと1日17~18時間です。多くの場合、総監督の1日の睡眠時間はわずか2時間です。

 二しっかり煉功して、疲労状態から脱出する

 来る日も来る日も疲労感が続き、いつの間にか修煉が遅れ、休暇の日はたっぷり眠ることを優先してしまいます。どのくらい学法と煉功をしていないか、自分も覚えていません。夜、チーム内で数十分の集団学法と集団煉功が設けられていますが、仕事をするためにほとんど参加できませんでした。

 修煉が遅れて、体に疲労も溜まっているため、私はいらいらして怒りっぽくなり、協調の仕事にも疲れ飽きてきました。一方、ほかの部門は地元の集団学法や交流に参加する余裕もあれば、年末年始と祝日には休日もあり、台風のときには、なんと台風休暇ももらえるのを見て、どんどん心のバランスを失いました。

 2015年の年末になると、ニュース部を辞めて、比較的簡単なプロジェクトに移ろうと思いました。自分が逃げると、ニュース部の人手不足の状況はさらに深刻になることはもちろん分かっていました。

 忙しさと我慢の中で一日一日を過ごし、2016年5月、私はニューヨーク法会に向かいました。飛行機の中で『二〇一五年ニューヨーク法会での説法』を読み、「大法弟子にとっても、つまり皆さんと同じようにここにやって来てこれほど重要な使命、責任を背負い、この環境がどうなるのか分からないのですか? 人を救うとでも思っているのですか? 下手をすれば自分もここで台無しになってしまうかもしれません。しかし、皆さんはやって来ました。彼らも同じようにやって来ました」[1] の部分を読んで感慨無量でした。精進しながら世にやってきた人たちを救うように師父は大法弟子に要求されていますが、しかしあのときの私には、衆生を救い済度する意欲があっても、心身ともに疲れ果て、力不足を感じていました。

 法会で師父の説法を聞き、広大な佛恩を浴びて私はやっと我に帰り、台湾に戻って奮起しようと決心しました。

 台湾に戻って、法会で師父がおっしゃった言葉、「あなたが話したことにエネルギーがあって相手の偏見と執着を取り除き、このような作用を働き、相手のその時の頭にある良くないもの、邪魔するものを抑制してはじめて、相手を救うことができます」、「修煉してできた部分はすでに隔離され、先天の位置まで押し上げられた功は、あなたが法から得た正念が加えられてはじめて作用を働くのです。法を勉強せず、法から離れてしまえば、功を動かすことができません。なぜなら、それが法の力だからです」 [2] を思い出しました。

 修煉者の「エネルギー」と「法から得た正念」、両者は一つも欠けてはならないものだと私は悟りました。しかしそのとき私の修煉状態は、正念が弱く、エネルギーもなく、衆生を済度するどころか、自分自身の状態も危ういものでした。先ず自分をしっかり修めなければなりません。もう一人の編集者も私と似たような意気消沈の状態に陥っているので、ニュースの質を損なわない前提で毎月の出勤日数を増やし、代わりに毎日の労働時間を短縮するという対策を2人で考え、幸いにも編集長は賛成してくれました。

 それから、私は時間を割いて学法と煉功に力を注ぎました。ここ数年ずっとしっかり学法と煉功をしていないため、修煉状態はとても悪いのです。具体的に言えば、両足を組むことさえできなくなり、頭に雑念が多いため大法の本を手にすればいらいらし、ほかの用事を思い出して本を閉じて、用事を優先してしまいます。煉功のときに早く済ませたくて、動功を10分だけやっても長いと感じました。発正念のときに雑念が次から次へと湧いてきて、自分の正念に力がないと思ってつい発正念を疎かにして、できるだけ発正念を避けてしまいました。

 毎日五式の功法を保証する以外に、私はもっともっと煉功時間を長くしました。第二功法をやるとき、腕はとても疲れますが、たくさんの良くない物質と思想業力が消去されたと実感しました。しかし、ことわざの「3尺にも達する厚い氷は、1日の寒さでできたものではない」のとおり、ここ数年修煉が遅れたため、思想業力がひどく、第二功法をやるときなかなか入静できません。過去の不愉快なことを一つずつ思い出して、むかむかして腹が立って煉功を中止しようと思うときもありました。しかし、最終的に私は歯を食いしばって、乗り越えてきました。

 2カ月目に入って、煉功するときに、むかむかするのはそんなに激しくなくなり、体の各種の不調も不思議に治りました。学法に集中できるようになるにつれて、法理について悟ったものも多くなり、学法の時間を以前より大切にするようになりました。もし毎日しっかり学法と煉功を続けなければ、徐々に常人社会に汚染されやすく、旧勢力にも妨害されやすく、体調も崩れやすいことを自分の経験から痛感しました。

 それからの数カ月、そのように学法と煉功を続けて、気丈で焦りっぽい性格が緩やかになりました。心身両面で健康になった私は、度量が以前より広くなり、とても明るい気持ちでみんなと接することが出来るようになりました。

 学法と煉功が軌道に乗ってから、自分の発正念の状態を整えようと思いました。毎回真面目に発正念をし、発正念をしながら主意識を強化し外来の妨害を見抜くように努力しました。同修との交流を通じて、発正念をするときに「入静も集中もできない」ことも、「眠くなる」ことも、いずれも他の空間からの妨害だと見分けることができました。絶えず主意識を強化して外来の妨害を撃退する中で、妨害はだんだん少なくなり、右手を立てるときのエネルギーもだんだん強くなりました。

 ある日、病業状態に陥った同修のために発正念をしたとき、自分の念力がとても集中して、「宇宙の全ての邪悪を粉砕することができるという唯我独尊の勢い」[3] を感じました。発正念が終わったら、その同修は「体が熱くなったと感じ、今はたいへん体調が良くなった」と言ってくれました。発正念がこんなに効果があるのは、数年前の私にとって想像する勇気もないことでした。

 三、乱世で陣地を守って衆生を救う

 常人のメディアにはいろいろ現代社会の良くない価値観が溢れているので、以前の私なら、なるべく触れたくないのです。しかし乱世の中で修煉者には大法の指導があるため、大衆の関心度が高いニュースを編集・報道する中で、修煉者は正しい報道の角度や見解を見つけることができます。私たちは自分自身を浄めながら、奇怪な世界情勢の中で大衆に導きの灯を見せているのです。大法弟子は衆生が救われる唯一の希望なのです。

 師父は「大法弟子には責任があるもので、何があってもこの世に来たときの誓願を果たさなければならず、あなたは当初、神の命と引き換えに、今日この宇宙での最も偉大な生命である大法弟子になれたのです」[4] と説かれました。

 ここ数年、周囲に新唐人テレビ局でフルタイムで働く願望があっても、躊躇して最後の一歩を踏み出せない同修もいれば、長年フルタイムで新唐人で働いたあげく、最終的に離れた同修もいます。ここは給料が少ない割に労働時間がたいへん長く、誰にも現実の生活があり、誰にも自分の選んだ道がありますが、離れた仲間を思い出すと、「我々は当初、新唐人で最後まで続けることを約束したのですよ。経済面で貧しい私たちは、実は世の中で最も豊かな人なのです」と内心ではやはり少し残念に思います。

 私たちは常人社会の高い給料と出世の機会を捨てると同時に、全身全霊で衆生を救うことに身を投じる機縁も掴んだので、新唐人に入れることは私たちの幸運であり特別の栄光であり、全宇宙の神にも羨ましがられています! 他のスタッフが続々と新唐人を離れるのを見て、「心は動くのか、もしある日たった1人でここに残ることになれば、自分のすべてを尽くして最大限の慈悲で衆生を救い続けられるのか」と私は自分に問いかけました。

 幸いに今の私は孤独ではなく、多くの仲間が一緒に頑張っています。資金も人手も厳重に不足する中で、ニュースを定刻に放送するために彼らは最前線で戦っています。被災の現場で録画をし、強い台風の中でレインコートを着て取材し、妊娠9カ月の編集長は出産の日の朝でも飛び回って、明晰な指示を出しています。スタジオの地べたに座って生理痛を我慢するキャスターは、涙を拭いて放送現場に臨場するのです。

 2014年にフルタイムの社員になったばかりのとき、編集者のAさんは私に「あなたがフルタイムになってくれたおかげで、私の重荷は少し軽減されました」と言いました。それまでフルタイムの編集者は彼一人しかいなかったため、数年来、彼は一日も有給休暇を取っていませんでした。私は「いいえ、私の参加は遅かったです! 長い間、あなたたちの堅忍があってこそ、やっと一番苦しい時期を乗り越えて、やっと今日の新唐人があるのです」と答えて敬意を伝えました。

 私たちには一つの共通の夢があります。つまり、新唐人が世界で最も大きいテレビ局になり、新唐人のエネルギーを世界の隅々まで放つことです。その夢は近い将来きっと実現できると私たちは信じています。

 師父、ありがとうございます。同修の皆さん、ありがとうございます。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇一五年ニューヨーク法会での説法』
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇一六年ニューヨーク法会での説法』
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「正念」
 [4] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「師父からヨーロッパ法会へ」

 (2017年台湾修煉体験交流会発表原稿)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/12/29/358609.html)
 
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