法に則って心性を高め 多くの雑念を排除する
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2019年2月23日】修煉する前、私はいつもあれこれとクダラナイ事を考えて、頭が少しも静かになれませんでした。大学にいた頃、一度、ルームメイトに「暇の時、あなたは何を考えていますか?」と聞くと、彼女は「何も考えていませんよ」と答えました。「何も考えていない?」と私はとてもびっくりしました。というのは、私はよく考えれば考えるほど頭が賢くなると思っていたため、いつも頭を働かせて色々と考え込んでいました。

 この誤った観念は私に多くの思想業を作らせてしまいました。その後長い間、煉功していたにもかかわらず、私はこの問題を重視せず、いつも雑念が多くて主意識が強くなく、真の自分が見つかりませんでした。師父は私にこの問題を気づかせてくださいました。ある日、なんとなく『轉法輪』を開いたら、「無意識に邪法を練る」[1] という段落が目に入りました。「その人たちは実際は無意識のうちに邪法を練っています。しかも、それは邪法だと忠告してあげても、『俺はあの大気功師に教わっているのだ』と言って機嫌を悪くします。しかし、その大気功師は徳を重んじるようにと教えたはずですが、果してその通りにしたでしょうか? 練功する時、良くない意念ばかり加えたなら、その練功から良いものが出て来るでしょうか? ここが問題です。これは無意識のうちに邪法を練る部類に入るもので、きわめて多く見られます」[1] と師父は説かれました。

 最近、功を煉る時、私はこの妄想したがる悪い習慣を直そうと決心しました。しかし煉功音楽が始まると、頭にはまたまたあれこれと思いが浮かべ、しかも、何を考えているかも分からないほど、次から次へと妄想が湧き出てきました。私は自分自身に「これらの考えはすべて自分ではなく、それは後天的に形成された観念と習慣だから、良い事でも悪い事でも全部考えないように」と言い聞かせました。師父は「煉功するには、徳を重んじなければなりません。良いことを考えることができないにしても、悪いことは考えてはなりません。いちばん良いのは、何も考えないことです。というのは、低次元で煉功する時、基礎作りをしなければなりませんが、人間の意識活動が一定の役割を果たしているから、この基礎はきわめて重要な役割を担います。考えてみてください。功の中に何かを加えてしまいますと、練功しても良いものが得られると思いますか? そんなものは黒いものにきまっているのではありませんか?」[1] と説かれたからです。

 この頃、煉功をする時に私は自分自身に「二つの道があり、一つは師父が按排されたもので、つまり何も考えず音楽を聴き、心を静めて煉功する道で、もう一つは旧勢力が按排したもので、あれこれ妄想し無意識に邪法を煉る道である。煉功する時、頭に浮かんでくる考えがいくら重要であっても、いくら良いことであっても、これらは全て旧勢力の考えているものだから、断固としてこれを排除し否定しなければならない」と言い聞かせました。私は師父が按排された道を選択し、主意識を強くし、雑念が出ると直ちにそれを排除し、音楽に集中して煉功するようにしました。

 今日、煉功をしている時、私は雑念に従って考えず、その雑念が自分ではないことをはっきりと認識しました。雑念はまだそこにあると感じると、私は師父の法、「わたしはそれを手に掴んで、「化功」というきわめて強い功を使って、その下半身を溶かして水にしました」[1] と念じました。この一念が出ると、頭にある雑念は忽(たちま)ちきれいに消え失せ、すっきりとしました。それから、日常生活の中でも主意識は明らかに強くなり、考えも純正になりました。悪い考えが出ると、私はすぐにそれらを捕まえて取り除きました。

 長い間、発正念をしても何を発しているのか分からず、気持ちが落ち着かず、時には掌が倒れ、居眠りをして、威力はあまりありませんでした。しかし、この頃はこの状態がすっかり変わり、座るとすぐに落ち着き、主意識が強くなり、正念も段々と強くなりました。時には座わると40分も集中して正念を発することが出来るようになりました。

 大法を修煉して20年近くなって、今やっと動功を煉る時の素晴らしさと、殊勝さを体得することが出来ました。そして、初心を忘れずに修煉するという感覚も取り戻しました。

 法に則っていない所があれば、同修達の慈悲なるご叱正をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/1/26/380854.html)
 
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