後天的な観念と執着を断ち切る
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2019年1月28日】師父は法の中で「実のところ、人間は先天の純真さ以外、一切の観念はみな、後天的に形成されたもので、自分ではないのです」 [1] とはっきりと示してくださいました。以下では、後天的な観念と執着心が最も触発されやすく、最も表現しやすい三つの状況を取り上げて見ます。

 1、法を学ぶ時

 師父は私達に法を学ぶ時、くれぐれも心を落ち着かせ、精神を集中するようにと何度も説かれました。

 法を学ぶ時、私たちに気を散らせるいかなるものも本来の自分ではありません。それを直ちに排斥し、取り除かなければなりません。それが観念であって、執着心なのです。それらのものがいくら「素晴らしく」見えても、いくら常人の問題を解決出来ると思っても、決してそれらを演示させてはいけません。すぐに気を取り直し、精神を集中し、法を学び続けることが出来れば、それはそれらのものを排斥することになります。時には、魔難の中に身を置き、黙読に精神を集中するのが難しい場合、音読でも構わないのです。

 できるだけ自分自身のために法を学ぶいい環境を作りましょう。師父は『洪吟三』「乾坤の再造」の挿絵の中に「1人の修煉者が片手は本を持ち上げ、片手はランプを握り、視界に入っているのはすべて経文である」という光景を描かれました。それは最高の法を学ぶ環境ではないでしょうか。今、このような環境はなかなかないのですが、この挿絵は私たちに教え示してくださるものがありました。例えば、私たちは机の前に座り、手で顔を軽く支え、外の光線を遮っていれば、こうすれば視界に入っているものすべて経文になるという効果にもなります。

 2、静功を煉る時

 師父は初期の説法の中で、静功を煉る時、あのなかなか落ち着かない気持ちは私たち本人ではないと何度もおっしゃいました。特に第5式を煉る場合、私たちに入定させないものは私たち自分ではないため、たまにはそれが何なのかを見てみても構いません。しかし、くれぐれもそれにつられて行かないようにしましょう。すぐに気を取り直し、煉功音楽に集中して行えば、それはそれらのものを排斥することになります。

 静功を煉る時、頭の中に仕事の事が出て来るのも執着です。師父は『法輪功』の弟子への質疑応答の中で「わたしはある僧侶を知っていますが、彼は修煉のこういうことをよく分かっています。彼は寺で住職をやっていて、けっこう忙しいのですが、坐禅を始めたら仕事を切り離して、絶対考えません。これも功です」 [2]と説かれました。

 3、トラブルに遭った時

 師父は私たちにどんな場合でも必ず心性を守らなければならないと要求されました。トラブルに遇った時、執着心や後天的な観念は必ず刺激されます。私達は心性をしっかり守ることができれば、初めて業力を転化させ、心性を高めることができるのです。

 師父は「「われわれの法輪大法という法門は、宇宙の最高の基準、真・善・忍に基づいて同時に修煉する」 [3]と説かれました。私たちが今生きているこの環境は善よりも悪のほうが強いもので、私たちは特に善をしっかり修めるように心掛けなければなりません。普段の生活の中でも、清浄心を保ち、変異した考えを抑え、後天的に形成した観念が私たちの頭を占領させないようにしなければなりません。

 師父は「平素から慈悲の心と、穏やかな心理状態を保たなければなりません」 [3] と説かれ、そして、「利益に関することに無頓着でいれば、平素から静かで清らかな心を保てます」 [2] と説かれました。

 師父は「今後、何かをするときには、まず他の人のことを配慮して無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです。それゆえに皆さんは、今後何かを行ない、何かを口にするときにも、先ず他の人のため、ひいては後世の人のために考えなければなりません! 大法が永遠に変らないようにするために考えなければならないのです!」 [4]とも説かれました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「誰のために存在するのか」
 [2] 李洪志師父の著作:『法輪功』「第五章 質疑応答」
 [3] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [4] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「佛性に漏れなし」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/1/9/380180.html)
 
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