神韻世界巡回公演に参加して 会得したこと
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文/ニューヨークの大法弟子

 【明慧日本2018年3月31日】

 慈悲で偉大な師父、こんにちは!
 同修の皆さん、こんにちは!

 私は2000年に台湾で法輪大法の修煉を始めました。

 一 、神韻芸術団に入った経緯

 私は小さい時から、人間の生命はどこから来て、最後にどこへ行くのか、よく考えていました。様々な宗教に接触したのですが、その答えを見いだすことはできませんでした。『轉法輪』を読んで、長年積み重なってきた人生に対する様々な疑惑がはじめてぱっと解け、法理が明確になり、心を揺り動かされました。これこそ私がずっと探していたものだと確信し、私は修煉したい、法輪大法に同化したいと決心しました。

 修煉を始めて間もなく、大法は中国でひどく誹謗中傷され、大法弟子が残酷に迫害されていることを知りました。大法弟子として、人々に法輪功真相を伝えるのは私の責任だと思いました。当時、私は台湾のテレビ局で働いていて、コンピュータや映像製作の技術を身に付けていました。私は2001年、中国本土に行ってその技術を生かし、真相を伝えるDVDを製作して配ろうと決心しました。

 初めて中国本土に足を踏み入れた瞬間、感無量でした。ここは私が敬い慕っている法輪大法の発祥の地です。およそ13億人の国民が中国共産党のでっち上げた虚言に騙され、多くの同修が迫害されていて、私は非常に悲しく思いました。

 私はある中国人の同修と場所を借りて、真相を伝えるDVDを大量に作り始めました。私たちは複写用DVD-Rを買ってきて複製し、表紙を印刷し、包装してDVDを完成させます。1日10時間以上絶え間なくDVDを複製し、1カ月間に2万枚作って配りました。しかし中国には13億人いて、このような方法では限界があり、更に有効な方法はないかと考えました。

 その時、自分がニューヨーク法会に参加した際に、新唐人テレビ局を見学したことを突然思い出しました。テレビ番組の製作は難しいのですが、真相を伝えるにはとても有効な伝達手段です。そこで、米国まで行って、新しく創立したばかりの新唐人テレビ局を応援しようと私は決心しました。

 2001年から2008年まで、私は新唐人テレビ局で働いて、草創期の苦難を経験しました。初期、テレビ局はニューヨークの小さい事務所に設けられており、録音する際は布団で防音しなければなりませんでした。ニュース番組にキャスターが使う台や背景は私たちが手作りしましたがとても簡単なものです。徐々に、私たちは質の良いニュース番組やバラエティー番組も作れるようになり、歩んできた道は困難に満ちたものでした。私は長年インスタントラーメンを主食にし、財布は常に空っぽの状態でした。しかし、この8年間は私にとって宝のような貴重な時間で、とても大切にしています。このような苦難に満ちた状況は真相を伝える修煉者たちの現実ともいえます。

 精進するに従って、私の中で真相を伝えるスケールも大きくなりました。13億人の中国人に真相を知ってもらいたい気持ちから、全世界の70億人にも法輪大法の素晴らしさを伝えたいとまで思うようになりました。次第に自分の行くべき道も見つかり、つまり、伝統文化に基づいて修養を積み、最先端の映像製作技術を身に付けることです。そこで、私は全力で西洋の最先端のメディア技術を学び、同時に中国の伝統文化と歴史を奥深く学びました。その後、機縁があり、私は神韻芸術団の舞台裏で映像製作の仕事に参与しました

 二、2017年神韻世界巡回公演中での修煉体験

 2017年、私は初めて神韻世界巡回公演に参加して、心性の試練を多く経験しました。修煉が良くできた同修にも多く出会い、彼らの言動は私を励ますものとなり、ここで体得したことを皆さんと分かち合いたいと思います。

 1、自分の意見を放下して 従うこと

 仲間の分裂や内部の不調和は容易に敵に隙に乗じられる話は、中国の歴史に多く伝えられています。巡回公演に参加するのは、部隊に入って出征するのと同じく、紀律に従うことも修煉の一環です。

 ある日、上司と意見が違ったため、私は団長に訴えました。団長が上司の意見を採用したとき、私はとても不満でした。対立の中、私の目の前に二つの選択肢がありました。一つは表向きには団長の決断に従い、しかし心には不満な思いがありました。もう一つは、団長がすでに裁定を下したため、この事はここまでにして、皆と一心同体になって明るい気持ちで仕事を進めることです。私は後者を選びました。心性をしっかり守らなければ、師父を困惑させることも同然だと私は思いました。

 しかし言うのは簡単ですが、トラブルの真っ最中に、自分の意見を放下することはとても難しいことです。私は我慢に我慢して、時間があれば法を学び、「旧勢力に隙を与えない、自身のエネルギーを無用な内部のトラブルに消耗しない」と絶えず自分に言い聞かせました。本当に我慢ができて気持ちが落ち着き、自分の意見を固守しなくなった時、上司の意見の良いところがみえてきました。私たちが一心同体になり、内部で力を消耗せず、心を一つにしてこそ、衆生を救い済度することに、はじめて良い結果をおさめるのではないかと思います。

 2、巡回公演中に、情を放下できるか試される

 私が巡回公演中、台湾にいる母がひどい病業状態になり、息が切れ、呼吸困難になりました。姉は私に「親孝行をするのなら今のうちですよ。両親に孝行すらできないで、修煉者と言えるの」と言いました。

 私はこんな時に母にこのような病状が現れるのは、旧勢力の妨害に違いないと分かっていました。もちろんこんなに重要な情況下に、台湾に母を見舞いに行くことは考えていませんが、母を心配して私はとても辛く、公演にも集中できなくなりました。

 ある日、私たちが舞台の設置を終えた時、2千人近くの観客が入場を待っていました。私は劇場の入口にいる年配の女性が目に止まりました。誠実な素振り、優雅な正装はとても美しく、その目には神韻公演に対する期待がみちていました。彼女の一挙一動は私の母にとてもよく似ていて、表情や姿かたちから、彼女が神韻公演を重要視しているのがうかがえました。

 私はぱっと悟って、自分が携わっている公演の意義を新たに認識できました。私はこの女性のために何かをしてあげるのは、私の母のためにするのと同じではありませんか? 今日、私の目の前にこのような母親はどれだけおられるでしょうか? 彼女たちはみんな、誰かの母親です。たとえ、私が自分の母親のそばに付き添うことができなくても、神韻公演を通じて多くの女性、多くの母親を救うことができます。そう考えると、心が落ち着いてきました。

 その日の公演が終わって法を学んだ後、これから毎日時間を割いて母と電話で法を学ぼうと突然思い付きました。しばらくこのようにして、母の状態はすっかり良くなりました。現在、時間があれば母と電話で法を学び、母もずっと健康を保っています。

 3、素晴らしい現地の同修

 ある日、神韻芸術団はとても小さな町に到着しました。現地の同修の人数もとても少なく、彼らが毎日神韻芸術団のために盛りだくさんの食事を準備するのを見て、私は心から感謝しました。彼らの大法に対する純粋な心が、このように神韻公演を成功させたのです。ゆるめることなく全力を尽くして責任を果たさなければならないと、彼らの正念は私を励ましてくれました。

 現地の僅か数人の同修が数千席ものチケットを売り、私はこの地の人々は本当に幸運だと感じました。思うに、現地の同修たちは全て英雄のような人物です。公演の後、感謝申し上げるために同修に会った時、彼らは全て一見したところ普通の人たちで、とても質素な服装をしていました。しかし、彼らの眼差しは善良で、外観は普通ですが、とても高尚で、人格、教養ともに優れた偉大な人たちです。見えないところで彼らはどれほどの苦労を嘗めたことでしょう。そうして、やっと公演を成功させることができたのです。

 ある日、ある地方の神韻宣伝責任者から「以前、チケット販売はとても大変でした。今年は、天象の変化に応じてチケットの売れ行きが良くなりました」と聞きました。今まで自分の努力が足りないために、最前線で頑張る同修たちに大変な苦労を長年にわたりかけたと思うと、私はたちまち涙がほろほろと流れ落ちました。

 4、ただ一度だけの公演のために

 新しい局面を開拓してより多くの衆生を救うため、私たちは長い旅をして、これまで行ったことのない都市でも公演します。時には、何日も要してただ一度だけの公演のために行ったこともありました。一日のうちに舞台をセッティングして、公演を行い、その後また後片付けをして、作業の量はとても多くてとても疲れます。そこで、ただ一度だけの夜の公演なので、後片付けが楽にできるように、いくつかの作業を簡略化したらと思ったりもします。しかし、現地の同修たちは水を運んだり、私たちのために食事を準備したり、積極的に様々な仕事に協力しているのを見て、これは彼らが1年間かけて準備し、期待した神韻公演だと思うと、私は赤面してしまいました。現地の観客にとって、これは初めての神韻を観る機会であり、人生で唯一度かもしれません。もし私たちの公演に不足があれば、観客にどんなに申し訳ないことでしょうか。気を緩める理由がどこにありますか。気を緩めることは、師父に申し訳なく、舞台裏で全力で準備した同修たちに申し訳なく、神韻を待っていた衆生に申し訳なく、自分自身にも申し訳がたちません。

 このような反省があって、その後、たくさんの「一度だけの公演」に直面し、神韻の前衛部隊の一員として、この一度きりの縁を大切にし、最大に努力してしっかり行い、どこへ行こうと、観客は全て「唯一」です。

 三、神聖で純粋な修煉者になろう

 古代の人は神佛に対して敬慕の念、敬虔な心を抱き、神を祭る前に*斎戒沐浴(さいかいもくよく)して、あらゆる欲望を根絶します。数千年後の今日、幸運にも大法に出会い、さらに神韻芸術団に参加した私は「斎戒沐浴」を重要視しなければならないと思います。

 私は2011年に結婚しました。結婚前、色心を当然のこととして抑えることができたのですが、結婚後、高い基準で自分に求めることができませんでした。そのため、私は深刻な病業の状態に陥り、ひどい呼吸困難になり、目が眩んで、あのような苦痛は本当に二度と経験したくありません。2、3カ月集中して法を学んで、やっと乗り越えました。色心に操られて修煉の厳粛さを忘れたことを私は後悔しました。

 そのため、これからはすべての力を、衆生を救い済度することに捧げようと私は誓いました。「大法弟子」、「神韻芸術団の一員」という自分の身分を弁え、更に、それのみか私たちはこんなに神聖な場所(師父のおそば)に身を置いて、また衆生を救う肝心な時期に、古人の斎戒沐浴と同じように敬虔であるべきではないかと思います。これまで、私はずっとそれを基準として堅持しています。

 どんな事でも表面上、相手のせいだ、相手が悪いようにみえるかもしれませんが、しかしもし冷静になって、無限に心を広くして我慢すれば、悪いのは自分自身だ、全ての苦痛や試練は高い次元への足がかりで、愛と慈悲によるものだと、最後に私は分かりました。トラブルや苦痛に遭った時、辛い思いをするほか、トラブルを起こした相手に申し訳ないと思って、私は涙を流したことがあります。相手のことを自分のことより大切に思う、無条件に相手を愛することが私にはまだ出来ないため、相手を怒らせたことに申し訳ないと思います。

 修煉の過程において、周囲の偉大な同修たちに比べ、私は自分の不足と卑小さを感じます。私にこれほど神聖な修煉の縁と環境を与えて下さった師父に感謝します。今後、自分自身を見直して全ての不足を改め、法を学びより精進して、師父の神聖な足どりに従って邁進したいと思います。

 師父に感謝します!
 同修の皆さんに感謝します!

(2017年 ニューヨーク法会の発表原稿)

* 斎戒沐浴・神佛に祈ったり神聖な仕事をする前に、飲食や行動を慎み、心身を清めて汚れを取り去ること。(四字熟語データバンク)校正者  注

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/5/18/348331.html)
 
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