新唐人の仕事をする中での修煉の過程
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文/海外の大法弟子

 【明慧日本2020年5月7日】

 慈悲で偉大なる師父、こんにちは。

 同修の皆さん、こんにちは。

 私は2009年に海外で修煉を始めて、2年後、新唐人テレビ局で執筆を始めました。まだまだ半人前ですが、同修の皆さんと同じ環境で仕事ができてとても幸運だと思っています。修煉する以前の私は、毎日ゲームやショッピングばかりをしていて、ニュースは全然見ていませんでした。中卒の私にとって、新唐人で筆を取ることは奇跡のような出来事でした。

 新唐人の仕事を始めてからしばらくして、夢の中で黄金色の筆が現れ、それは師父が下さった大法を伝える法器だと思いました。その1カ月後の朝の発正念をした時、ある変なモノが悲痛な叫び声を上げながら、私の頭の中から飛び出て行き、それ以来、私の頭はとても明晰になりました。多分、旧勢力の支配から解放されたのだと思います。

 師父のご加護のおかけで、執筆は順調に進んでいます。私の書き方はまず枠を設けて、後は埋めるだけです。普段の仕事とは、午前中に中国で禁じられている話題の文章を1篇、午後からは8篇ほどのネットニュースを書きます。ネットニュースの方は収益が良くて、最初の頃、そればかりを書いていました。

 何もかも順調に進んだせいで、心性の修煉を緩め、法を学ぶことも緩んでいた時、仕事への邪魔が入りました。当時、私が書いた文章が指摘され、発表を取り消されたことがよくありました。目を付けられたような気分で、すごく不満な気持ちになりました。しかし、修煉者は自らの問題を探すことは基本であり、全ての問題は自分自身にあります。内に向けて探すと強烈な闘争心があり、理由を聞かずに反論することが原因だと分かりました。そこで、新唐人を辞めようと思った時、師父の説法「正しく対処せず、自分を修煉者として見なし、内に向けて探すことができなければ、本当にどうすることもできません」[1] を思い出し、新唐人を辞めることを思いとどまりました。

 内に向けて探すと、利己心で他人の考えを憶測したり、書いた文章にチェックを入れなかったり、自分に対しての意見もまともに受け取ることが出来ていませんでした。正念で「内に向けて探す」に対して反発する力を解体しようとした時に、旧勢力が罠を仕掛けて、私を新唐人から離れさせようとしていることに気付きました。そして、旧勢力はチャンスを狙っては問題を引き起こしていました。

 「内に向けて探す」ことで大半の問題が解決しましたが、自分の心性は以前のままで、まだまだ難題がありました。例えば、新聞組の組長が私にくれるはずの話題を、別の仕事仲間に分けた時にすごく怒ってしまいました。それは何の心でしょう? 師父は「時に、それが自分のものだと思い、他の人もあなたのものだと言ってくれても、実際はあなたのものではない場合があります。あなたは自分のものだと思い込むかも知れませんが、最後になるとあなたのものでなくなります。その点から、そのことに対してあなたが無頓着でいられるかどうかを見ますが、無頓着でいられなければそれは執着心なので、この方法を用いて利益にこだわる心を取り除かなければならないのです。そういうことです。常人はこの理が悟れないので、利益をめぐって争ったり、闘ったりするわけです」[2] と教えて下さいました。以後、人の話を聞くようになり、発表が取り消されても怒らなくなりました。

 この事以来、私は奇妙な感覚に陥っています。今までの執着心は遥か遠いところに閉じ込められて、人間の感情で触れることが出来ませんでした。今は体がふわふわとして毎日元気いっぱいで、これこそが修煉する人の状態だと私は思います。

 以前、緩んでいた学法も真面目にしており、毎朝3時から煉功し、6時に正念を発して、夕方6時に仕事が終わった後、寝るまで法を学びます。それにより、常備薬の胃薬がいらなくなり、ちょっと怪我すればすぐ治るようになりました。この状態を続けていると、仕事のチームも良くなり、皆が一緒に法を学んで交流し、助け合うようになりました。

 話は以上ですが、最大の感想は大法に出会えて本当に良かったです。慈悲で偉大なる師父がいて下さり、この上もない幸せな人生であると感じています。

 不足の所があれば、同修の皆さんの訂正をお願いします。

 師父に感謝いたします!

 同修の皆さんに感謝します!

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇一四年サンフランシスコ法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪

(2019新唐人、大紀元法会の発表原稿)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/12/4/396608.html)
 
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