個人経営者は修煉して生まれ変わった
■ 印刷版
 

文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2017年1月12日】私は三十数年洋服を仕立てる仕事をしてきました。仕事の関係で、よく地方で開催される「物資交流会」に参加するのですが、もともと体の弱い私はいつも外で奔走し、不安定な生活と不規則な食生活によって、よく咳をするようになりました。その後、咳から肺結核になり、治療するために、大量の薬を服用し、薬の副作用で肝臓を痛めました。さらに、椎間板ヘルニアにもなりました。よく「病気の問屋」と言う言葉を耳にしますが、それは誇張に過ぎないと理解していましたが、あらゆる病苦が一気にやってきて、正しくその通りの光景が私の身に起きて、本当に悲惨でした。

 「物質交流会」の多くの同業者は皆夫の事を知っており、「呑兵衛」というあだ名を作りました。もともと気性が激しい夫は、酒を飲んだ後、よけいに怖いもの知らずになり、毎日いざこざを起こし、本当に「酒の鬼」そのもののようでした。夫のお陰で、私も毎日びくびくドキドキして暮らしていました。私達の商売は資本金が少なく、規模も小さく、場所代や、国税、地方税などの税金も多く、車のチャーター費用もあり、苦労しても僅かしか残りません。その上、夫の酒代やタバコ代が重なり、私の点滴や薬などの医療費もバカにならず、生活の負担が結構大きいものでした。

 姑は1998年から法輪大法を始めました。以前体が悪かった姑は大法の病気治療の素晴らしい効果から深く恩恵を受けました。姑が煉功によって弱い体が健康になり、精神的にも別人のように一新した変化をこの目で見た私は、姑の影響で、2003年から大法修煉の道を歩み始めました。それは中国共産党が大法弟子を迫害して5年目のことでした。

 煉功して間もなく、私の体に非常に不思議な変化が起きました。長年悩まされてきた咳、肝炎、腰痛が知らないうちに消えてなくなり、さらに李洪志師父の説法ビデオを見て、『轉法輪』を読み、今まで何度考えても分からなかったことが分かりました。師父はたくさんの人生の道理を教えてくださったので、長年心に溜まって来た不平不満は雲散霧消し、虚弱な体も元気になりました。

 夫も修煉を始めました。酒と煙草を止めて優しくなり、彼を知っている人は誰もが別人のように変わったと言いました。体が弱く病気がちだった娘も健康になりました。今まで落ち着かず喧嘩ばかりしていた家庭は穏やかで睦まじくなりました。閑散とした商売も活気が出て、次第に繁盛しました。「家和して万事成る」という言い方がありますが、まったくその通りでした。この睦まじい家庭は大法が与えてくださったのです。

 病気が完全に治った後、私に安逸心が生まれ、自分の意志を緩め、修煉を疎かにしました。ある年、「物質交流会」の初日に、私はひどく咳をし ご飯も食べられず、夜寝られませんでした。横になるのができず、横になると、誰かが私を底なしの淵に落とそうとしているように感じました。全身に冷や汗がいっぱい出て、咳込んで息ができませんでした。昼も眠くて、頭がぼうっとしていました。一緒に商売している人から「早く病院に行って、薬でも飲みなさい」と言われました。

 大法を修煉して、私は無病で軽快な体になりましたが、この数年間、私は病気そのものを忘れるほど元気でした。これはいったいどうしたのでしょうか。この時ふと自分はすでに長く煉功をしていないことを思い出しました。夫も「きっと煉功と学法をしていないからだ。今晩一緒に座禅して煉功し、体を浄化しよう」と言いました。

 夜、仕事が終わってから、座禅し、発正念をしました。30分後、頭がだいぶスッキリして、体も楽になり、今度は横になってすぐ眠りにつきました。夜、夢で、2人の人が私の側に立っているのを見ました。1人がもう1人に「彼女は師父に見守られているから、私達は彼女を連れて行けない。諦めましょう」と言いました。私は朝までぐっすり寝ました。起きた後、すべての症状が消えてなくなりました。昨夜の夢を思い出して、感謝の涙があふれました。

 ある日、友達とトラックをチャーターして山岳地帯に行きました。運転席に3人座り、私は真中に座りました。急いでいたため、車は結構スピードを出していました。前方を走っていた大きな石を乗せていた軽トラックが突然左折しました。私達の車は急ブレーキをかけましたが、間に合わず、ドカンと大きな音とともに前の軽トラックに衝突し、フロントガラスが割れました。前の軽トラックは転倒して、乗せていた石が地面いっぱいに転がりました。

 運転手はびっくりして、すぐ車から下りて、前の軽トラックの運転手は大丈夫だと確認してから、車にいる私達のことを思い出して、こっち側のドアを開けて、私達を下ろしました。友達は手の擦れ傷で済みましたが、わたしの両足は挟まれて動けなくなっていました。運転手は工具を持って持ち上げて、やっと私の足を出してくれました。私は痛みを感じず、怖いとも思いませんでした。しかし、車はボンネットが大きく凹んで潰れていました。私は立つことができず、「私は大丈夫です、大丈夫です」と言いながら、地面に座り込みました。

 「物質交流会」にいる夫に電話をして、事故の事を言うと、夫は心配そうに「どうすればいいか分かるね」と言いました。私は「安心してください。他の人は大した怪我もなく、師父のお言葉もしっかり覚えているから、私の足は大丈夫です」と言いました。しばらくしてから、救急車が来て、私達を県立病院に運びました、友達は手当をしてもらい、私は足の写真を撮りました。同修のCさんはそのことを聞いて、病院まで手伝いに来ました。骨には大きな損傷がなく、筋肉がひどく捻挫していました。医者は入院治療を勧めましたが、私は骨に問題がなければ、家で療養すればいいと言いました。医者は「あなたの足はひどく怪我をしたので、しっかり治療を受けなければ、後は大変なことになるかもしれない」と言いました。この時、私の両足はすでに腫れて靴も履けず、ふくらはぎはパンパンに腫れて、アザだらけで、感覚がなくなっていました。

 車の運転手は他のことを処理してから、私に「この車は全額保険を掛けているから、入院しても保険が出ますので、入院して治療してください。後々になって、問題が起きた場合、私は責任が取れないから」と言いました。この時、夫も駆けつけて来て、同修Cさんと3人で相談し、運転手に「心配しないでください。私は真・善・忍を修めており、法輪大法の弟子です。師父が私を管理してくださっていますから、私の足は大丈夫です。たとえ問題が起きても、あなたに迷惑を掛けません」と言いました。運転手の友達も一緒に再三説得してくれましたが、私達が真面目にそう考えているのを確認してから、数百元を出して、栄養食品でも買ってくださいと言いました。「あなた達のお金をいただけません。今日はこれだけの交通事故に遇って、大きな怪我がなくて済んで良かったです。奇跡です。誠心誠意私の師父に感謝しましょう。私は命を師父に預けています。今日、師父は私達3人を助けてくださいました」と言いました。

 一晩が過ぎました。足は膝から下まで青紫色になって、パンパンに腫れて見るに堪えませんでした。夫は店に行ったので、同修のCさんがご飯を作ってくれ、一緒に法を学び、歯を食いしばっても煉功を続けるように励ましてくれました。法を学び、煉功をして、足は早く良くなりました。3日目には歩けるようになり、4日目にほぼ回復しました。大法の素晴らしい効果が再び実証されました。

 縁があって師父の弟子になって始めて本当の幸せとは何かが分かりました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/1/2/340293.html)
 
関連文章