大法との位置関係を正しく認識すること
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年2月5日】最近、自分の多くの人心は、「私は誰よりも優れている」という執着と関係していることに気づきました。まるでそれが自分の生きていく拠り所のようで、物事を行う時、話す時、考える時は常に「私は有能で、誰よりも強い」を実証しようとしています。自分自身に安らぎ、安心感、至福を感じさせるのが自分しかいないようです。間違いを起こしたり、間違った事を話したり、他人を傷つけてしまう際は、すべてこの執着と関係しています。師父はもっとも偉大であること、そして大法はすべてを創造したことを理性的に知っていても、その意味を真に理解していませんでした。実際に物事を行うときや考える時は、とても深く隠されていて気づきにくい潜在意識に支配されて、私は「自分がもっとも有能だ」と思ってしまい、至る所において他人への配慮や思いやりが欠けていました。今になって、これが自分の修煉にとって極めて大きな障害であり、法に同化することをひどく妨げていることに気づきました。

 「自分は有能である」という物質は自分しか認めません。それに制御されれば、大法に対する敬虔な念を抱くことが難しくなります。これは生命が堕ちてきた後のもっとも良くない表れで、次元が低ければ低いほどその表れが強くなります。法を実証し、衆生を救うプロジェクトの協調の中で、人心の働きによって人為的に同修にトラブルや面倒を掛けてしまい、対立を引き起こしてから内に向けて探さず、却って無意識的に「私は向上のチャンスを作ってあげた」、もしくは「あなたを向上させたかった」と発言し、引き続き自我を高く持ち上げ、人を驚かせるほど自我に執着しているにもかかわらず、自分は気づかず、いつもそのようなセリフを口にします。

 師父は最近の経文の中でこうおっしゃっています。「師父を除いて、皆さんはすべて修煉者なのです。しっかり行なっているか否かは、いずれも修煉状態の現れであり、例外となる人はいません」[1]

 事をきちんと行う自信を持つことは良いことですが、法に照らし合わせて自分をしっかり修めることはきわめて重要です。大法修煉者として、大法と自分の位置関係を正しく認識することはきわめて厳粛で、且つ一つの根本的な原則です。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『ヨーロッパ法会への祝辞』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/1/24/341519.html)