文/中国の大法弟子 蓮成
【明慧日本2017年11月18日】
尊敬する師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
私は中国でテレビのニュースの職種に従事している大法弟子です。1998年に、職場の同僚に勧められて修煉の道に入りました。法を正す時期の修煉は十数年が過ぎ、今振り返って見ると、仕事と修煉の一歩一歩の中で、師父がいつも精魂込めて按排してくださり、いつも加持してくださったことを深く感じました。以下では仕事の話を絡めながら、仕事の中で大法を実証した体験の一部を話しますので、妥当でないところがありましたら同修の皆さんの慈悲深いご指摘をお願いします。
一、名利に対する執着を取り除き、衆生を広く済度する
最初、私は病気を治すために大法の修煉をはじめました。当時、子供を産んだ後の不注意で、関節リウマチや婦人病など多くの病気にかかり、西洋医、漢方医、鍼灸、民間処方などいろいろな方法を試しましたが、まったく治すことが出来ませんでした。1998年、職場の仲の良い同修(1997年から法輪功を修煉し始めた)が大法を学ぶように勧めてくれ、「薬なしで病気が治りますよ、法輪功の修煉をしさえすれば、あなたの問題は根本から解決されます」と言われました。
1992年から1993年、長春で大学に通っていた時、長春で「法輪大法」を修煉する人が非常に多く、大学の門の前が長春市の文化広場になっており、毎朝、整然と列に並び、気勢があり、壮大な法輪功の煉功動作を見かけました。ですから、快く同僚の提案を受け入れ、その時から、大法を修煉し始めました。修煉後「大学時代の事は、後に自分が法輪功を学び始めるための下地だったのだ」ということを悟りました。系統的に学法すると、法理の上で早く向上し、学法し、内に向かって修めると、比較的短時間に百病が解消し、同時に、家庭内や仕事場で少しずつ大法を実証し始めました。大法によって知恵が開かれ、仕事の中でも十分に知恵が体現されました。
法輪功を学び始めてからの数年は、地元のテレビ局のニュース部門の記者として働き、その後、制作の仕事に就き、絶えず法を勉強して内に向けて修煉すると、仕事ですぐに頭角を現し、取材レポートの原稿内容の質が高いので部門リーダーに重要視され、しばらくして、部内で「首席編集者」を任され、記者が書いた原稿を専門的に校正し、編集しました。当時の職場では数が多くはなかった大卒者の1人として、職場で大いに重んじられ、テレビで名が知れていました。しかし、当時の私は大法を修煉していたので、名利に対して淡白になっており、職場で重んじられたからといって得意になったりはしませんでした。
江沢民集団が大法を迫害しても、依然として大法を堅く修め続けており、それどころか、職場で真相を伝えて大法を実証し始めました。職場の各リーダーは、課長から部長まで、さらにはテレビ局の局長までもが何度も私と話をし、こんなに待遇のいい仕事があるのだから、と信仰を放棄するように私に求めましたが、逆に私はこの機会を借りて局長たちに法輪功の真相を伝え、大法を堅く修める決意を伝えました。私に譲る意思が全くないことをリーダーたちが見て取ると、ニュースの編集の職から有線ネットワークの技術部門に私を移動させることを、テレビ局は決定しました。そして毎日、テレビ局で雇われたアルバイトと一緒に仕事を始め、朝早くから夜遅くまで、厳寒だろうが酷暑だろうが、毎日客先に出向いて、有線テレビを設計し据え付けました。しかし、私の心に不公平感はなく、返って幸せに感じました。なぜなら周りの人たちに真相を伝える以外に、客先に出向くことによって、村の家を訪ねたついでに、仕事の合間を見計らって週報や明慧定期刊行物を周りで配ることができ、家を訪ねた時に仕事を利用して、客の具体的状況に基づいて、客に面と向かって真相を伝えることができたからでした。そして「これは師父が精魂込めて按排してくださり、並大抵でない苦心をはらってくださったからで、仕事の配置転換によって、テレビ局のネットワーク技術を持つ同僚と幅広く知り合いになれ、後に『三退』を勧め、衆生を救い済度するために下地をしっかりと作ることができた」ということを悟りました。そして今は「今まで個人修煉の中でしっかりとした基礎を築き、名利を求めず、さらに、衆生を救い済度することを第一に置いてきたので、この関を穏やかに乗り越えることができ、心がとても穏やかなので、家族や夫も仕事の配置転換のことをまったく気にせず、家庭内の妨害も全く起きなかったのだ」と思いました。
二、中国共産党の洗脳班で法を実証し、衆生を救い済度する
2003年3月8日、職場単位で女性従業員が地方に旅行に行く事になったのですが、私に大法を勧めてくれた女性同修と相談した結果「2、3日遊びに行くのはもったいないので、他郷の辺鄙な田舎で真相資料を配り、衆生を救い済度した方が良い」ということになり、私たちは別々に職場に休みを取り、数百部のパンフレットとDVDなどの資料を持って出発しました。バスに乗って農村に着き、1人がかばんを手に持って正念を発しながら協力し、もう1人が一心不乱に戸別に資料を配り、うまく協力し、正念も強く、真昼間だったこともあり、順調に数カ所の村で配りました。しかし、資料を配り終えるころになって、資料を作って法を実証することについて考え方が異なり、見解の違いで私たち2人が言い合いになりました。「あなたが私を認めないなら、私もあなたを認めない」となり、トラブルが起きても直ちに内に向かって修めず、資料を配る時も協力すらしませんでした。そこで、村民委員会の人員が地元の警察に電話するはめになりました。
数人の警官が乗ったパトカーが到着し、私たちは警察署に連行されました。しかし、私たちは姓名を名乗らず、住所も告げず、自分の職場のことなど告げるはずもなく、つまりこれは師父の法の中での要求「たとえどのような環境にあっても、邪悪の要求や命令、指図には従わないようにしてください」[1]に沿ったものでした。さらに、真相を伝え続け、その過程で強大な正念を発し、師父に加持と保護をお願いすると、師父のご加護の下、大法が奇跡を現しになりました。私たちを拷問にかけて自白を強要しようとした2日目、警官は腹痛を起こし、全身の痛みでベッドから起き上がれず、家の床板がわけもわからずに水にぬれる、などの症状や現象が起きました。そこで警官たちに、これが「現世で直ちに報いがある」ということだと伝えました。すると、警官たちは驚き、その警官に罰が当たったことを信じました。
警察署に拘留されている間に、警官が真相を伝えていた私たちの隙を突いて写真を撮り、インターネット上で私たちの本当の身分を探し当てました。なんと、私たちがテレビ局の職員であり、高学歴者であったことは、警官たちに大きなショックを与えました。拷問による自白が成果を得ていない状況下で、私たちは地元に送り返されました。そしてまず、留置場に15日間拘留され、その後、地元の洗脳班に10カ月も不当に拘禁されました。職場のリーダーと地元の「610弁公室」は長期間不当に拘禁することによって、「転向」書などを無理やり書かせようとしました。そこで「中国共産党はテレビメディアで中傷することによって、大法と師父を誹謗中傷しようとしているが、それならば、私たちはテレビ局の職員として、専門的な角度から天安門焼身自殺事件のうそを暴露し、そして、自分たちの特殊な身分を利用して大法を実証し、断固として師父と大法を売ることはない!」と思いました。
洗脳班では、中国共産党が様々な拷問で私たちを苦しめ、たとえば「吊し上げ」という拷問では、高いところにある窓格子に、ずっと手錠で手をつなぎとめ、爪先で立たせて何日も連続で眠らせず、ゴムのローラーと棍棒でひっぱたかれました。それで片足の親指の爪が紫色に変色してはがれ、また新しく生えてきました(意外にも痛くなく、すべて師父が請け負ってくださったからで、当時、多くの修煉者が殴られましたが、みな同じ状況で、痛くなく、師父のご慈悲を見ることができた)。また強制的に長時間、立てひざをついて座らされたり、師父と大法を誹謗中傷するテレビ番組を無理やり見させられたりしました。しかし、これらすべては成功しませんでした。
洗脳班での日常生活では、自分の修煉行為と言行を重視し、大法弟子の純粋さと善良さを警官たちに確実に感じさせ、自分たちの身を以って大法の素晴らしさを警官たちに見せました。すると、大法に対して反感を覚えていた抵抗心理が取り除かれ、慈悲の力が邪悪を解体し、洗脳班での環境が変化しました。かつてとても邪悪であった若者の保安警官は、その名前が早くから明慧ネットの悪人リストに載っていました。しかし、私たちに感化され、意外にも私の同僚(同修)に「xxx(同修の名前)さん、正果を得て神にまで修め遂げたら、必ず私を天に連れて行き、あなたの召使にしてください」と言いました。また、私たちの感化を受け、610弁公室の担当者の1人がこっそり師父の新経文を持って来て、私たちに見せてくれました。さらに朝には「自由時間」をくれたので、煉功することが出来るようになりました。610弁公室の副主任(後の主任)は部隊から復員してきた幹部(かつて悪人リストに収録されていた)で、中国共産党の毒害を深く受けていました。しかし、何度も面と向かって深く真相を伝え、真相を伝えながら師父の経文を挟んで暗唱すると、大法の力と弟子の慈悲により、かたい氷が溶け、上から命令されても私たちを苦しめなくなりました。さらには、積極的に師父の新経文をダウンロードして見せてくれたり、さらに、洗脳班の課長に指示し、私と同修にひそかに『轉法輪』を1冊ずつくれました。そして、私たちは洗脳班で毎日学法し、引き続き発正念も出来るようになりました。師父に対する感謝の気持ちは言葉では言い表すことができません。最終的に、師父のご加持の下、同修の協力の下、真相を理解した610弁公室の主任は積極的に職場と上位の部署に協調をとった後、私たちが「転向」していない状況下で、私たちを職場へ復帰させ、仕事の待遇やボーナスなども何の影響も受けませんでした。
三、職業を利用して法を実証すると、大法の無辺な法力が現れた
2007年、有線ネットワークの会社の大部分の同僚に真相を伝え「三退」を勧めた後、師父の功妙な按排で、テレビ局のオフィスの仕事に戻りました。オフィスはテレビ局内の中核の事務所で、局長と接触する機会が多くなりました。そこで「これは、仕事の機会を利用して局長とオフィスの従業員に『三退』を勧めろ、ということだ」と悟りました。
仕事では、いつも修煉者の基準で自分を律し、オフィスで働いていた期間に、局長を含む、局長クラス、副局長クラスの幹部と、オフィスにいたすべての従業員に真相を伝えると、副総編集長が「三退」しなかった以外は全員三退しました。オフィスに密接に接触している従業員、たとえば食堂を請け負う従業員やシェフ、ビルの保安係、清掃員、店員などに、集中して真相を伝えて三退を勧めると、大部分が「三退」しました。2009年、職場でまた調整が行われ、今回は最初に仕事をしていたニュースの職場に戻され、あるコラムのポストエディティング(後編集)と制作を任されました。そして「ここには師父の並大抵でない苦心があり、新しい職場で大法を実証し、党文化に深く毒害された衆生を救い済度しなければならない」ということを深く知りました。
ニュースの仕事に戻って来たばかりの時、受け入れなければならないことが大きくて多くあり、プレッシャーも大きく、最初は仕事から来たプレッシャーで、ニュースの仕事を離れて十数年経っていたために、設備はすべて新しく更新され、ノンリニア編集システムなどは以前は触れた事もなかったので、すべて1から学ばなければなりませんでした。それ以外に、同僚からの圧力もあり、同僚たちの身にまとう魔性が大きく、闘争心と嫉妬心が強く、リーダーは何かというと暴言を吐いていました。最初は本当に適応できませんでしたが、「修煉者は問題やトラブルに出会った時はいつも自分を内に向けて探し、もし自分に闘争心や嫉妬心などの党文化の要素がなければ、自分の場は同僚たちを必ず制約できるはずだ」と思いました。そこで、心性から探し、絶えず内に向けて探し、内に向かって修め、名利得失に構わず、骨身を惜しまず人の不平を気にせず、すべての人を大切にすると、慈悲心が出てきました。このように数年間努力し、苦難を払った結果、周りの同僚たちは全員真相を理解し、そして「三退」しました。そして、みんなにネット封鎖突破ソフトを渡し、今ではみんながネット封鎖を突破し、さらに、オフィスは穏やかさで満たされ、リーダーも人を罵らなくなり、リーダー自らも、今は事務所の従業員を高い声でしかろうとは思わない、と言っていました。大法の無限大の威力が同僚たちの身に現れました。
大法弟子がしっかり修煉すれば、環境は本当に変わりました。先日、リーダーが私をあるコラムの主席編集者に任命しました。大法の知恵の一面が再び現れ、私が編集した原稿には党文化の要素は一切なく、言葉は流暢で、きめ細かくて論理的で、芸術性が強く、強いエネルギーに満ちていたので、リーダーと同僚たちはみな感心しました。私がコラムの編集を担当して以来、番組の質と視聴率はうなぎ上りで、地元の人々の注目を集めました。そして「これは師父が与えてくださった光栄であり、これによって大法を実証することが目的なのだ」ということがわかりました。
私が行ってきたことは、元々、大法弟子が行わなければならない事であり、師父と大法の要求からはまだ大きな隔たりがありました。適当でないところは同修のみなさんの慈悲深いご指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「大法弟子の正念は威力あるものである」
(明慧ネット第9回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)