頑固で独りよがりな性格がよくなった
■ 印刷版
 

 【明慧日本2019年1月2日】「三つ子の魂百まで」と言われるように、古今東西の歴史に多くの事例が伝わっていますが、この言葉は永遠に論破されない正しい注釈のようです。人生が順風満帆で、日常生活に不自由せず、大きな変化や刺激がなければ、さらに自分を調整する必要性と認識すらなくなるのです。

 しかし頑固で独りよがりで人生が順風満帆で典型的な男性が、1997年から1998年の春までの間に、妻の瑞蘭さんが法輪功を修煉して、心身が大きく改善されたために、その男性も深く感動し法輪大法の修煉を始め、日常生活を心から反省し、さらに性格を少しずつ変えていきました。娘の目には「秦の始皇帝のような暴君がサンタクロースになった」かのように映り、日常生活や人生に対する態度、また周囲の人々に対する印象も変りました。それまでとは別人のようになった性格と人生観に、人々は驚きを隠せず、同時に「真・善・忍」の真理の根底にあるエネルギーと超常性を讃嘆しました。


歯科医の沈錦進さん

 恐れ遠ざかることを威厳と誤解する

 医師は台湾でも人々が敬愛する社会的地位と収入を持ち、上流階級に名を連ねます。沈錕進さんは誰もがみなほめたたえる歯科医で、自分の診療所を持ち、妻は賢明で有能で、子供も賢く、幸せに満ちた家庭で、心地よい人生にあふれていました。しかし人々がうらやましがる「沈医師」は、妻に「沈さん」の愛称で呼ばれていましたが、その性格と言動は家族に受け入れられず、沈さんは「以前の私は性格が悪く、子供に厳しく、すぐに怒り、子供がルール違反をすればきびしく追及したので、彼らは私を恐れていました」と語りました。3人の子供は沈さんの声を聴くと足がすくみ、親子の会話や団欒などは言わずもがなでした。状況はどれほどひどかったのでしょうか?

 瑞蘭さんは「子供たちがリビングで楽しくテレビを見ているとき、それを聞きつけた沈さんが扉を開けると、子供たちは脱兎のごとく驚いて、飛ぶように自分の部屋に隠れ、容易に出てきませんでした。こういうことがしょっちゅうあり、狂言を演じているかのようでした」と例を挙げました。

 沈さん本人も二つの例を挙げています。ある週末にマージャンの予定がなく、家にいるとき、不思議そうに「どうして誰もリビングでテレビを見ないんだ?」と妻に尋ねました。妻は「あなたが家にいるから、誰もテレビを見ないのよ」と答えました。またある週末、家族がデパートに行くと聞き、その日は、ちょうど麻雀の予定がないので、沈さんは「それじゃあ、俺も一緒に行こう」と言いました。結局時間になり待てど暮らせど、子供はみな部屋から出てこず、長時間待っても、誰も動き出そうとする気配がないのを見て、我慢できずに「デパートに行くって言ってなかったか?」と妻に尋ねました。妻は「あなたが行くというから、誰も一緒に行きたがらないのよ」と答えました。沈さんは突然理解し「そうか、それならいい、お前たちで行ってきなさい」と言いました。沈さんは「その日は一人で家で過ごしました」と語りました。

 普通の人がこのような状況に遭ったら、おもしろくないと感じ悲しくなりますが、沈さんは「悲しい!? そんなことはなく、悲しくないどころか、自分はすごいんだと得意になり、自分の威厳に威圧があると感じ、鼻高々で、今その時のことを思い返すと子供に本当に申し訳なかったと思います」と語りました。

 自分の享楽のために家を顧みず

 法輪功を修煉する前、マージャンは、沈さんにとって生活の一部でした。その頃の沈さんは、うわべだけを装い、友人たちとの飲み食いが終わるといつも先を争うように仕切り役になって金を出したがり、仕事の休みに家にいることはほとんどなく、酒を飲んだり、たばこを吸ったり、テニスをしたり、高級外車を運転したり、ブランド服を着たり、高級料理を食べたりするのが好きで、特に好きだったのがマージャンでした。沈さんは「あの頃の私はとても利己的で、テニスが終わるといつも飲み食いし、完全に自分の享楽のために家を顧みませんでした。ほかの人はマージャンをする人が足りない時に誘われれば行きますが、私の場合は私が3人の人を誘い、最初はいつものマージャン仲間を誘いました。妻の瑞蘭が2人目を生んだ時などは、出産間際に瑞蘭が電話してきてやっとマージャンのテーブルから離れました」と語りました。当時は家事をしないばかりか、食事が気に入らないと、箸を投げ捨て外に出て高級料理を食べに行っていたのです。

 沈さんと家庭を共にしていた妻はどのように感じていたのでしょうか? 瑞蘭さんは「私は客家人(漢民族の一つで、客家語を話す人のこと)で、小さいころから典型的な男性社会の中で成長し、自活能力と認知能力を養ったので、沈さんの男性としての性格と行為は私にとって慣れっこになっていました。たばこ、酒、マージャンはよくない習慣だと思いましたが、それ以外はどうということはありませんでした」と語りました。家事の全てを切り盛りし、一人で家事を引き受けていた瑞蘭さんは同時に仕事も持っており「私自身も仕事をしていましたので、精神的経済的に独立しており、友人とおしゃべりする時私はいつも『女は精神的金銭的に独立して初めて楽しく生きることができる、もし独立できなければ、生きるのがつらいでしょうね』と話していました」と語りました。

 徹底的に変わる

 沈さんはこのように一生を過ごすのだと思っており、中年に差し掛かったとき、自分は身体が強いと自認しており、妻が学んでいることを運動だとみており、興味を持ちませんでした。1997年11月末、瑞蘭さんは友人の紹介で法輪功を修煉し始めました。最初のころ、沈さんはいつも通りに傍観的な態度を取り、もともと修煉など信じていなかったのですが、修煉後に妻の心身が明らかに変わるのを見て、好奇心から法輪功のことを調べ始め、数カ月後には一緒に大法を修煉していました。

 煉功し、日ごとに深く法を学ぶにつれ、法理に対する認識と心性が絶えず向上し、すぐに酒やたばこをやめ、マージャンもやめ、生活上の言動にも信じがたい変化が現れました。瑞蘭さんは「いつから始まったのかはっきり覚えていませんが、ある日仕事から帰ると、台所の食器がきれいに洗ってあり、しばらくすると、米がきちんと研がれており、またしばらくすると、ご飯が炊けており、さらにしばらくすると、野菜が買ってあり、きれいに洗って鍋の中に入れてあり、私が仕事から家に帰ると、暖かいご飯とおかずがすでにテーブルに並べられ、みんなが食事を待っていました」と語りました。現在に至るまで、沈さんは自分から家族全員の食事を作り「男子厨房に入るべからず」という男性の観念の影響を受けず、いつも「家で料理をする男」と自称し、時には同修を呼んで家で手軽な食事を作り、修煉体験を交流しました。

 沈さんは「妻の瑞蘭は一般企業に勤めていて忙しく、彼女も子供たちも法輪功の真相を伝えるための仕事に責任を負っていましたが、私の診療所は家から歩いて数分のところにあり、買い物をしたり食事を作ったりするのに便利でした。彼らに何の心配もせずにしっかり仕事をしてもらい、私も大法の一粒子としての責任があり、これは全体であり、誰がどの仕事をしようと、その全体の中に一人一人の大法弟子のエネルギーが存在しているのだ、と思いました」と語りました。

 数年ぶりに会った旧友が驚く

 沈さんの自制した性格と現れた外見の変化を、昔からの知り合いは口々に称賛しました。ある時友人の子供の結婚式に参列したとき、テーブルには以前のテニス仲間がおり、正面に座っていたのは、6、7年ぶりに会った台北市立第一女子高級中学の教師を定年退職した潘振輝さんでした。沈さんをしばらくぼんやりと見ていた潘さんは、突然「沈さん、あなたは性格が変わりましたね。まったく人が変わってしまったようです」と叫びました。即刻続々と好奇心から質問しましたが、沈さんは笑うだけで何も答えませんでしたが、一人の旧友が「彼は法輪功を修煉しているんだよ」と言いました。

 瑞蘭さんは「沈さんは以前とてもせっかちで、性格が悪く自分勝手で、彼の辞書には『反省』という文字はなく、どんなにミスをしてもすべて他人のせいにしてしまっていました。大法を修煉した後、何事においても自分の問題ではないかと内に向けて探し、怒りがこみあげてくるとすぐに自分で警戒し、長い間少しずつ進歩するにしたがって、性格はだんだん良くなり、自制心も強くなり、わがままを言わず、他人を思いやるようになりました」と語りました。しばらくして、沈さんは毎晩11時には、家族と一緒に法を学んで交流するようになり、厳しかった父親はともに精進する素晴らしい同修になりました。

 何を言われても言い返さず患者を大切にする

 沈さんの患者のほとんどは予約か定期検診を受ける古い患者です。ある患者は友人になりましたが、医師と患者の様々な関係は沈さんに心性を向上させる環境を提供しました。沈さんは以前に起こった出来事を語りました。ある古い患者はブリッジを入れたがり、その費用は3万6000ニュー台湾ドルでした。沈さんは専門家の角度からこの患者には費用も半分で、1万8000ニュー台湾ドルの入れ歯が必要なだけだと勧めました。患者が迷って決められずにいると、患者の立場に立ち、まず先に入れ歯を入れ、しばらくした後にブリッジを入れたければ入れればよいと答え、まずは入れ歯の費用だけ受け取りました。それはブリッジの半額に等しく、患者は自分にとって有利な条件の入れ歯を選択しました。

 半年後、この患者がやってきて沈さんを責め立てたとき、沈さんはまず1万8000ニュー台湾ドルを返し、患者の希望通りにブリッジを入れることに同意し、入れ歯の費用だけを受け取りました。しかしこの患者は納得せず、無料で治療を行なうことと破格の賠償を沈さんに要求し、あらん限りの暴言で怒鳴り散らしました。

 沈さんは心性を守りその患者と争わず、表面上は「やり返さず」にいましたが、心の中は激しく乱れ、家に帰った後に妻と交流すると、瑞蘭さんは「まだ取り除かれていない執着があるかもしれないので、心の中を探しましょう」と注意しました。沈さんは法を学ぶ時間を増やして内に向けて探し、毎回自分が不満に思う心を取り除き、いわれなきもめごとに善意で対応しました。何回か診察するうちに、この患者は道理をわきまえず怒鳴り散らしたり要求することはなくなりましたが、沈さんの心はすでに乱れず、最終的に入れ歯を無償でこの患者に貸与し、実際には無料でサービスをしたのと同じでした。患者は喜んで借用書にサインしましたが、この時沈さんはすでに不満に思う心を完全に捨て去っており、その患者を恨んだり、怒ったりしないばかりか、心性を向上させる機会を与えてくれたと感じ、この患者に感謝したのです。

 肉眼で見えない変化

 修煉とは高齢者か浮世を見限った失意の人がするものというのが一般の観念であり、もし病気治療や健康保持の目的でなければ、誰が気功を学ぶだろうかと、修煉する前の沈さんも感じていました。何の意図も持たずに大法に入りしばらく修煉した沈さんは、その境地に従って心性が向上し外観が若くなりおだやかで親しみやすくなり、身体にも知らないうちに思いもしなかった変化が起こり、その頃の全く異なる二つの経験を沈さんは挙げました。

 すでに述べたように、修煉する前の沈さんは飲み食いや、遊びを重ね、定期的にテニスで運動し、自分は若く健康で丈夫で病気や悩み事はないと、驕りたかぶっていました。ある時、筋肉に違和感を感じ、目の見えないマッサージ師に按摩をしてもらいながらおしゃべりしていると、マッサージ師は突然「ところで、いったいどれほどきつい業界で仕事をなさっているのですか。なぜ筋骨がこんなに緊張し固くなっているのでしょうか?」と尋ねました。その時、沈さんはまだ38歳だったのです。

 法輪功を修煉して数年たったある日の午後、沈さんが風雨の中で診療所に戻ったとき、70歳すぎの高齢の目の見えないおばあさんが診療所の前の椅子で長い間沈さんを待っていました。沈さんはすぐに扉を開け、おばあさんを支えながら診療所に入り、長いこと待たせたことを詫びると、おばあさんは「大丈夫です」と答え、おばあさんを連れてきた孫はちょうど先ほど帰ったところだと言いました。家族は沈さんが忙しいことを知っており、別の医師の所に行くように勧めても、おばあさんは絶対に待つと言うので、家族は理解できませんでしたが、おばあさんは家族に「沈先生は信用できます」と言ったということでした。

 それを聞いて沈さんは笑いながら「もしかしたら、このあたりの医師の中で私が一番年上なので、信用できるのでしょう」と答えました。おばあさんは「そうではありません、沈先生がどんなに年上だといっても、40歳ぐらいなのに、どうして一番年上なんですか」と言いました。沈さんが実際の年齢をおばあさんに伝えると、おばあさんは「普通の人は外見からその人の年齢を決めますが、私たち目が見えない者は心で相手を感じるのです。毎回治療する時の話し声や動作、それと、先ほど私を支えて入ってきた感触から、沈先生はまだ40歳になっていないと思いました」と自分の感じたことを話しました。その時、実は沈さんの実際の年齢はすでに52歳になっていたのでした。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/4/16/199047.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2009/5/10/107178.html)
 
関連文章