日常生活の中で修める
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文/黒龍江省の大法弟子

 【明慧日本2018年2月24日】私は1999年以前から法輪大法の修煉を始めました。日常生活の小さな事における修煉体験を皆さんと分かち合いたいと思います。

 一、孫の世話をしながら精進する

 私の孫は今年5歳になります。3歳のときに私の家に来て、最初、私はずっと孫の世話をすることは面倒で、負担になり、修煉の邪魔だと思い、むかむかして内に向けて探すことを忘れました。その後、同修は私と交流して、「孫が来たことは、一挙四得の良いことですよ」と言ってくれました。

 法理を思い出して、私の心は落ち着きました。孫は私の修煉の向上のために来たというふうに考え方を変えてから、孫も大人しくなりました。私が同修と学法発正念するとき、孫は別の部屋で遊びます。時には、私に人心が生じたとき、孫は「お婆ちゃん、少し一緒に遊ぼうよ」とだだをこね、私はが人心を直したら、孫はすぐ静かになります。私が孫を同修の家に連れて行くと、孫はいつも少し遊んでから眠り、我々の学法が終わったら、孫も目を覚まします。

 孫を連れて裁判所、派出所、留置場に行くとき、私が発正念をすると孫も横に座って一緒に発正念をします。毎回、同修たちも孫を抱いたりおんぶしたりして、上記の部門に私は孫を連れてを数え切れないほど行きました。法輪大法が迫害される状況を印字したシールを貼るとき、孫も一緒に貼り、暫く期間が過ぎてから、ほかのシールが全部剥がされても、孫が貼ったシールだけは無事に残っています。孫はとても純粋な心でシールを貼ったのだと私は分かりました。何か間違ったことをした後には、自分から進んで師父に額ずいて、「僕が間違いました。これからきっと直します」と師父に話します。夫が腰が痛いと言うと、孫は夫の後ろに立って、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と叫びました。

 一時、病気の状態に陥った同修・李さんに付き添うために、半月の間、私は毎日孫を連れて李さんの家に行きました。毎日乗り合いバスに乗って朝行き、夕方に自宅に帰ります。昼に孫はパンだけ食べて、眠くなったら下に置いた座布団で寝ます。時には李さんの主意識がはっきりしなくなったときに孫は小さい手で李さんの顔をたたいて、「師父、李お婆ちゃんを救ってください」と叫びます。

 ある日、私の足に軽いケガをして、血が出ました。私はティッシュペーパーを持って来てと孫を呼ぶと、孫は悠然として「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい、師父は素晴らしい」と呼びました。自分は本当にこの子ほど正念が強くない、と私は思いました。

 孫の世話をすることを通じて私はせっかちや相手を見下すなどの性格を直しました。ここ数年を通じて、私は性格それぞれ異なる同修を包容することができ、事をするときの態度もだんだん温和になって、孫の世話をしながら修煉の道で精進しています。

 二、職場で大法の素晴しさを実証する

 数年前、息子の結婚のために私は多くの借金をし、借金を返済するため、同修が経営している飲食店の板前を務めました。飲食店の環境は複雑で、台所の職員らは毎日流行歌や共産党を讃美する歌を流しています。オーナーの同修と一緒にここの環境を正して、ここの衆生を救おうと私は決心しました。私は小さい放送機器を壁に掛けて、大法弟子の歌を流します。板前の仕事のほか、私は皿洗いや、掃除や、何でも手伝います。台所のタイルはとても汚くて、店がオープン以来一度も拭いたことがなかったそうです。私はしゃがんで、少しずつきれいに拭いて、天井までもきれいに拭きました。オーナーの同修は笑んで、私に感化されてホールの職員たちもまめに掃除をやり始めました。

 私は着実に修煉しているため、みんなに法輪大法の素晴しさを見せました。大法弟子の歌のほか、私は伝統文化の番組や師父の説法録音も流し、二つのバッテリーを交代で充電して、毎日欠かさずに流しています。店の店員の十数人はともに法輪大法の真相が分かって三退をしました。

 またこんな事も起きました。ある日の午前10時頃、店で朝ご飯を食べたとき、突然、私は寒い風を感じてぶるっと身震いして、そこから熱が出て、私はほかの部屋に行って発正念をしても熱が下がりませんでした。オーナーの兄は私の真っ青な顔を見て、病院に送ると言いましたが、私は婉曲に断りました。私はずっと心の中で発正念をしましたが、じっと坐ることもできません。私は我慢して台所に降りて、みんなが汗をかくほど仕事をしました。

 私は師父に「ご加持をお願いします」と言って、すぐに仕事を始めました。間もなく、師父のご加持のお蔭で病気の様相が消えて、私は再び元気になりました。オーナーの兄は私に親指を立てて、「法輪功は本当に不思議ですね」と言いました。以前、オーナーの兄と姉は修煉に反対して、ほかの同修が店に来たら同修たちを追い出して、殴りかけたこともあります。それから、兄と姉は大法を支持するようになって、我々に学法の部屋も提供してくれました。

 今、私は板前の仕事を辞めて、ほかのアルバイトもしていません。私が金に対する執着心を除去してから、夫の収入も増えました。

 三、同修を「助ける」のでなく、自分を着実に修める

 私は親切な人間なので、同修に困ったことがあると知れば、できるだけ手伝いなどをする中で責める心、怨む心をだいぶ除去しました。時には、病気に陥る同修のために焦って、法理に照らして同修の至らないところを責めて、同修を助けているのに効果がないなんてと思ったりします。それから、同修たちとの交流を通じて、病気に陥る同修より自分の修煉が良くできていると思う自慢の心が見つかりました。病気に陥る同修を助けるというのは、この「助ける」という言葉だけで旧勢力が行なった迫害を認めたことに等しく、どうして「助ける」のですか、自分が当事者の同修より良く修煉できたと思うからです。

 同修のAさんは病気の状態になってからとても長い期間が過ぎて、みんなが交流するときに私もほかの同修と一緒にAさんの修煉の至らないところを議論したりしました。後になって内に向けて探したら、それは旧勢力の迫害を認めたこと同じではないか、同修を見下す心ではないか、同修のことを自分のことのように考えるどころか、裏で同修の不足を指摘するなんて、本当は顕示心、闘争心の現れだと痛感しました。

 後日、私と4人の同修はタクシーに乗ってAさんの家に行きました。ソファーに横たわって苦痛な表情をしているAさんを見て、私は「これは虚像で、解体しましょう。Aさんはこんな様子になるはずがなく、Aさんは師父に守られているのです」と発正念しました。私はAさんに「私はあなたのことを自分のことのように思っていないため、あなたの難をいっそう難しくさせたかもしれません。今日は彼女らにもし呼ばれていないと、私はきっとお宅に来ていません。あなたに申し訳なくて、師父に申し訳ないです」と話しました。

 その日、私たち5人は一緒に内に向けて探して、一緒に発正念しました。Aさんは腰をまっすぐに伸ばして20分間も発正念して、そして微笑みました。翌日、Aさんの夫は私の家に来て、「妻は良くなりました。あなたに感謝します」と言いました。私はすぐさま「いいえ、師父に感謝してください」と答えました。Aさんの夫も修煉者ですが、どうして「あなたに感謝します」と言えるのでしょうか。すぐ自分を探して、昨日、Aさんの好転を見て自分には歓喜心が生じたことを発見しました。その事を通じて、どんなことにおいても修煉者は自分を修めているので、自分の偉さを実証しているのではなく、すべての知恵は師父から頂き、大法から頂いたのだと新たに感銘しました。再び、慈悲で偉大な師父に感謝します!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/2/18/361742.html)
 
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