張天師の疫病を撃退する妙法とは
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文/中国の法輪功学習者・魏仁

  【明慧日本2020年3月4日】『説文解字』(※)の中で、「疫」について「民皆疾也」、つまり、「多くの人が病気になるのは疫である」と説明しました。秦漢およびそれ以前の時代では、人々は「疫」を一種の「邪気によるもの」だと見なしていました。後漢の末期から晋の初期までの間、政治が混乱し、全国的な規模の疫病は20回程起きました。

 後漢の著名な儒学者・何休(かきゅう、129年-182年)は「多くの人が病気になるのは疫である。それは邪気によって生じるものだ」と言いました。そのため、古代において、一旦疫病が発生すると、君主、そして官吏らは皆自らの施政を反省し、神を敬まっていないか、人間としての道に背いていないか、小人に親しく、賢臣を遠ざけていないか、横暴で殺戮していないか、重税を課して民を苦しめていないか、と反省するのです。

 古人は「人間のすべての念まで神に見られている」、「頭上三尺に神あり」と信じていました。人は真心を込めて懺悔する時、神はそれをご覧になれば、その人の身にある邪気と背後に潜んでいる悪霊を追い払ってくださり、人間の空間の表れとして、表面にある疫病が消えてなくなり、病気が治ると思われていました。

 古代の多くの医者は実は修行者で、しかも、深く道を極めた人ばかりでした。

 張天師は本名が張陵(ちょう りょう 生没年不詳)で、その後、張道陵と名乗りました。彼は沛国豊県(今の江蘇省徐州)の出身で、後漢の天師道(正一道)の創始者でした。伝説によると、漢の順帝の漢安元年(142年)、老子が降臨され、張道陵に『太平洞極経』を伝授され、天師と命じられたそうです。張道陵は後世に道教の三祖(始祖黄帝、道祖老子、教祖張道陵)の1人と称され、123歳まで生き、四川の渠亭山で仙人になって昇天したそうです。

 張道陵は道を修めてから、人に病気治療をしました。蜀(今の四川省)の人は性格が単純素朴で、道に相性がよく、導きやすいため、彼は蜀の地で数万の弟子を育てました。そして、彼は民を率いて道を切り開き、橋を架け、木を植え、草を刈り、ごみを片付け、周囲数10華里の公共事業を担当しました。

 張道陵は弟子達に決して強制的にせず、いつも道徳や儀礼を持って彼らを導き、彼らの行動を規範し、彼らの心の境地を高めました。ちょうど疫病が流行っていた時期に当たり、張道陵は人々のために病気治療を行ないました。その治療法はとても特別で有効なものでした。

 張道陵は感染した患者に、自らの人生に犯した過ちを一つ一つを思い出させ、それらをメモさせ、そして、自ら書いたものを水の中に流し、同時に、神様に再び過ちを犯さないよう、再び過ちを犯したら、自ら命を絶つと誓わせました。人々はそのようにしました。すると、病気が治りました。その噂は1人から10人、10人から100人へと伝わり、そうして早いうちに、皆は病気が治り疫病も消えてなくなりました。

 こうして、張道陵とその弟子達は、数十万人の病気を治癒したそうです。

 この治療法は疫病を追い払っただけではなく、それによって、人々はもっと神を尊敬し、もっと道徳を重んじ、犯罪率も著しく低下しました。張道陵はこの方法で自らの法門の道理と済世の方法を残してくれました。

 現代の観念を持つ人々は神の存在を否定し、人の精神的な面と物質的な面を人為的に切り裂き、物質を強調し、精神(道徳)の重要性を貶し、甚だしい場合には佛法を誹謗中傷し、中国共産党に協力して信仰者を迫害し、大きな罪業を犯しました。ここでは、災難の中の人々に呼びかけたいのですが、くれぐれも諦めないように、怖がらないようにしてください。最も重要なことは、これ以上、中国共産党の虚言を信じないことです。

 (※)『説文解字』:(せつもんかいじ)中国最古の字書。後漢の許慎の著。 15巻。永元 12 (100) 年頃成立。漢字を扁 (へん) と旁 (つくり) によって分類し、その成り立ちと字義を解説したもの最古の部首別漢字字典。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/2/22/401515.html)
 
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