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杜挺さんら4人の法輪功修煉者、迫害実例に基づいて国連人権理事会に提訴(写真) (明慧日本)法輪功人権チームは2009年7月9日、および8月12、13日に、杜挺さん、鐘振福さん、張立田さん、鄭守君さんら4人の法輪功修煉者が受けた迫害の実例を、「緊急呼びかけ」および「不法と任意による致死」という形で国連人権理事会に提訴した。
杜挺さん(43歳男性)は、上海市提藍橋刑務所で7年拘禁された。2001年5月4日、上海市閔行区公安局と海口区警官に不法に逮捕され、2002年3月18日に上海市閔行区人民裁判所に不法に8年の刑罰を下され、上海市提藍橋刑務所に拘禁された。その間、杜さんは400日の断食で迫害に抗議したため、警官から各種の残虐な拷問で苦しめられた。2007年初めに、虐待や拷問によって一度肺水腫で、命を失いそうになった。その後、杜さんは肺結核を患ったが、刑務所は、各種の口実を作って杜さんを妻と面会させず、服役中重病のための一時出所もさせないどころか、警官・張毅が指図した邪悪な受刑者から各種の残虐な拷問を受けた。 2008年初めに再び命の危険に晒され、上海刑務所総医院に送られた。家族が見舞いに行った時、彼はすでに体が衰弱し、歩行困難で車椅子に頼らなければならなかった。杜さんは治療から刑務所に戻ったのち、警官に裸にされて死人ベッドの上に縄で縛られ、受刑者に命じて24時間の監視、罵り、嘲笑、めった打ちをされた。その間、杜さんの家族は、一時出所を要求したが、刑務所に拒否された。杜さんは、すでに意識が朦朧となり、体が極端に衰弱してほとんど本来の姿形を失った。その後、今年6月ごろ刑期満了後に釈放された。
鐘振福さん(58歳男性)は、2008年5月4日午後、不法に逮捕された。当夜、平度刑務所の中で鉄の椅子に縛り付けられ、熱湯をかけられるなどの拷問と尋問を3日間続けられた。この間、警官は、鐘さんに対し足かせをつけたまま、鉄の突起が付いている鈍器で頭部を殴って重傷を負わせた。その後、足かせをつけられ、独房に拘禁され受刑者に罵られ、法輪功の創始者をけなすように脅迫された。鐘さんが罵らないのを見て、受刑者は鉄の突起が付いている鈍器で1時間以上殴り続けたので、受けた傷が深く立つことができなくなった。鐘さんは病院へ送られ、検査を受けた後、医者は足の傷が非常に深刻であると伝えたため、警官らは責任逃れのため、直ちに釈放した。しかし、鐘さんはその後1カ月入院して1万元以上を支払わされても、傷が治らないまま、2008年7月20日に死亡した。
張立田さん(36歳男性)は2008年4月、「オリンピック開催のため」という名目で莱州市「610弁公室」の長・劉京兵率いる警官らに実家で連行され、錦州市第一留置場に拘禁され、2008年8月7日に5年の刑を受けた。2008年10月、張さんは錦州刑務所二十監禁区域に連行され監禁された後、何回も受刑者に集団で暴行された。2008年11月16日、張さんは断食で虐待に抗議した。その翌日(11月17日)、張さんは監禁区域区長・張宝志に指図された4人の受刑者にめった打ちされて、死亡した。現場では数人の受刑者が目撃した。その後、施設では、張さんの死体に対し家族の死体検査要求を拒否して、「第三者弁護士」による検査を命じて違法行為を果たした。
鄭守君さん(男性45歳)は、2006年2月16日夜9時頃、警官・潘家堡に連行されて、地元の「610弁公室」に拘禁され連夜拷問された。2006年2月17日、鄭さんは遼中県留置場で拘禁される間、頭部を殴られて重傷を負ったが、傷害事件を隠されて治療を受けられないまま、家族の面会も拒否された。それに対し、鄭さんは何度も断食をして抗議した。以後2年にわたって、家族との面会を禁じられてきた。2008年8月18日、瀋陽市の警官は突然、鄭さんの家族に対して、刑務所病院で鄭さんと面会するよう通知を出した。しかし、家族が目にしたのは、鄭さんの遺体であった。鄭さんの遺体は文官屯火葬場で秘密裏に焼却された。鄭さんの火葬が終わるまで、妻と子供の周囲を警官が歩き回って、誰も近づくことができなかった。 2009年11月6日 (中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/10/25/211074.html) |
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